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「反ワクチン」という目隠し

報道機関が「反ワクチン」と称するのは
一体どんな対象についてだろう
・ワクチンなら何でも否定する
・ワクチンに関する陰謀論を信じる
・ワクチンに関する誤った情報を信じる
…そういったことだろうか

しかしながら
「反ワクチン」といいながら
・ワクチンには慎重であるべき
・ワクチンについて見るべき少数意見がある
・ワクチン接種は個々人の体質・体調を見極めて接種すべき
…など
十分に理由があると思われる主張もまた
含まれるかのように報道されてきた

ことに新型コロナワクチンについては
WHOが報道のためのヒントを与えている
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)ワクチンの専門的報道におけるアドバイス | WHO健康開発総合研究センター

そこではデータを無批判に信用しないことや
副反応を開示することが求められているが
同時に
「歴史上類を見ない疫病を終結させるために、ワクチンの有効性に関する
事実と数値を報道することで、ワクチン接種への躊躇に立ち向かってください。」
と要求している

こうした姿勢に従い
報道機関は「ワクチン接種への躊躇に立ち向か」い
出版社やYoutubeなどに至るまで
ネガティブな印象を与えかねない情報の開示に反対し
言論空間への一部の人々の問題提起を止めさせた
つまり「反ワクチン」を拡大解釈することによって
ワクチンへの慎重な言論は封じたのである
「反ワクチン」ということばは
慎重論に対する人々の目隠しとして機能し
ワクチンを慎重に検討して信用するのではなく
ワクチンを検討することなしに盲信することを促したといえる

その結果はこうである

「接種後の有害事象と
新型コロナワクチンと因果関係のある有害事象は
異なる」
という言説はまことに真である
しかし、何かを体内に入れて具合が悪くなれば
科学的・医学的に因果関係が証明されなかったとして
それに何の意味があるのだろう
「有害事象が起きた」で十分である
科学も医学も万能でも無謬でもなく
後世にわかることもあるという性質のものなのだから

かつての薬害の歴史を少しでも学ぶならば
特定の薬品に躊躇する人々の存在は
人類全体の生き残りにおいて重要なはずである
躊躇しない人々と躊躇する人々
いずれも人類の科学的・医学的進歩と
それに対する人文学的洞察の深化に
貢献してきた

だからこそ
個人の接種・非接種のいずれの意思も尊重されること
が重要だった
つまり
接種も自由
非接種も自由
である

新型コロナワクチン接種後の有害事象は増え続けている
デマ、陰謀論者、「反ワクチン」と称されながら
根拠のある危険性を訴えてきた
ごくごく一部のジャーナリスト、医師、政治家は
言論空間を狭められたところで闘わざるを得なかった

「私」に接種は必要なのか
人々のその判断の幅を狭め
社会的な同調圧力で接種圧を増長した責任は
政治、医療従事者、報道機関のメインストリームにある
世論もまたそれに加担したことは言うまでもない

「反ワクチン」と「ワクチンの盲信」
両極端なその姿勢は
実は情報災害(インフォデミック)の
二大原因であり
異論を許さない点でまったく同根である

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