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熊谷晋一郎先生のインタビュー記事を読んで

2023年1月18日(水)毎日新聞に載っていた
熊谷先生のインタビュー記事がとても好きだった

自己決定だけは人に譲らない
自立=自己決定と捉える場合、
障害の在りようによっては包摂しえない場合があるという
熊谷先生の考える人間の自立とは
依存先を増やすこと
なるほど、と思う

わたしの人生の来し方を振り返るとき
確かに
自立して社会で立つことを実践しようとすればするほど
誰かの親切や誰かの手助けが必ず必要であったと思う
「成功した」と思うとき
その時の成功の背後には
安定した家族関係が常にわたしを支え
その物事に集中するだけの時間が与えられていた

熊谷先生は障害のある人の視点から
社会環境に責任を持つ人に対し
依存先を増やせる社会環境にしていこうと提案されている

社会環境に責任を持つ人…
政治家だけでも会社の上司だけでもなく
わたしのような一個人でも
社会で何かを引き受けている限りは
誰でもなりうるのだろう
わたしも微力ながら
そうした社会環境の構築に貢献できればうれしい

子育てにおいても同様である
2人の子には
ごく小さなころから多くの人たちと交わり
誰かと長く時を過ごすだけの自由を与えようとしてきた
子らはその時間、好きなように
友人と時間を共にし近所の人や祖父母との時間を楽しみ
協力し合う楽しさや信頼感や、ある時には大変さも
味わってきた
そうした子育てそのものが他者への「依存」なしには
あり得ないものであり、そうした「依存」の結果
子らの情緒は安定し
時には自らも誰かの「依存先」になるのだろうと期待している
これは親による教育だけでは十分に与えられないものである
塾通いなどして学習する理由もまた
「勝ち逃げ」「稼ぎ逃げ」のような人生を送らせたいのではなくて
そういう実力を身につけたならば
他者の「依存先」になりうるからでもある

ところで
もう一つ考えていることがある
「依存先」は人間だけに求められるものではない
熊谷先生も指摘するように「物質」もある
私はこの点で、自然、をおすすめしたい

現代人の心情の吐露が人間に対するなりがちなように
人間相手だからこそ傷つきやすく壊れやすいように
人間が人にだけ対峙するのはなかなかに
ストレスフルである

私は週に一度は自然に触れあうようにしている
自然はただそこにある
道端にも街路樹にも、見上げれば頭上にも
誰にも文句を言わず
ただ存在し、生きている
無機物もおもしろいが
植物の日々の変化や季節の生き物などが目につけば
おもしろくて時間を忘れてしまう
その興味たるや
人間の頭でっかちの思考には及ばぬおもしろさである
いつの間にか
よく体を動かしよく歩く
美しいものを見て
自然の澄んだ匂いを嗅ぎ
鳥の声、草むらの羽虫の音に耳を澄ませる
心身共に健康である

おっと
熊谷先生は、依存先を増やすという発言を
障害の「個人モデル」で語ったわけではないのだった
この点無意識に個人について述べている自分がいる
誰しもいつ障害を持つようになるかはわからない
自分ができることはしたいし
子にはできることをしてくれるよう望むだけである

いずれ熊谷先生のご本を読もうと思う

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