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科学と哲学の狭間に① 学会の片隅でネコをかぶる



過日、某高校に出張講義に行く機会がありました。医療系学部を目指す高校生を相手に医学部ではどんなことを学ぶのかを、免疫学をどう説明したものかと悩みましてこんな風に話を始めました。
臨床医学というものはまず「病気」が存在してそれをどう治そうかということを考える学問である。ありもしない病気、居もしない患者を勝手に想定しその心配をするというのは臨床的にはナンセンスである。一方、基礎医学は「正常」からスタートする。健康な人間の体は正常、病気になった人は異常と思われるかもしれないが、では例えば健康な人がインフルエンザに罹って発熱すれば病気になったといえるが、それは果たして「異常」だろうか。「正常な」人の体には白血球という病原微生物と戦うための細胞が存在し、発熱はこれらの細胞の「正常な防御機能」一つの結果である。もし明らかな感染があるのに熱が出なければその人は発熱システムの「異常」を持っている可能性がある。この場合、正常な高熱と異常な平熱はどちらが人間に害をなすであろうか。高熱で苦しんでいる人を解熱してあげたいのは人情であるが、情だけでは正しい治療は行えない。「正常」を突き詰めた結果として、例えば発熱していることが免疫細胞が病原微生物と効率よく戦うために自ら作り出した体内環境であるならば、解熱させないことがインフルエンザの最新最良の治療である、というような結論に到達することも十分にありうる。ありうるかもしれないが、「何もしないこと」と「何もできないこと」は違うのだ、と。
大学の宣伝をするはずが禅問答のようになってしまい、いたいけな高校生をビビらせてしまったことはやや不本意ですが、免疫応答とは本来体内の異物を排除するための機能なのですから、炎症そのものが異常ならば「正常な免疫応答」は存在しないでしょう。「免疫力」をヒトが持って生まれてくるということは、その人生において病原微生物と戦うことがあることは想定の範囲内ということになります。



このころの私の研究テーマは「好中球NETの酸化ミトコンドリアDNAは慢性肉下種症のSLE様炎症を増悪するか」というものでした。好中球は病原微生物が体に中に侵入したときにまず初めに防御にあたる細胞です。まず最前線に立つわけですから、この細胞の重要な務めはとにかく素早く相手を攻撃することです。そのためかつては好中球というのは、細胞質のなかに傷害顆粒というたんぱく質分解酵素を入れた爆弾を抱えていて、焼夷弾のように病原体をめがけてぶつけて自らは役目をはたして死んでしまう単純で短命な細胞だと思われていました。ところが、2004年に発表された論文により、好中球はただ傷害顆粒をばら撒いているのではなく、好中球を形成する自らのDNAを糸状にほどいて、スルスルと細胞の外へ放出し、投網のように病原体をDNAにからめとっておいて、そこにタンパク分解酵素をぶつけていることがわかりました。この細胞外に放出されたDNAは近年NETとして提唱されている好中球独特の構造物の略称で正しくはNeutrophil Extracellular Trapといいます。DNAは好中球を作るための設計図ですが、好中球はその死に際し、自らのDNAの設計図という役割は無視し、ほどいたDNAの粘張性が高いという性質のみをりようしてまさに網(NET)のように細胞外に放出し、細菌を絡め拡散を封じて殺菌します。この特殊な好中球の細胞死をNETosisと呼称します。個体を守るためとはいえ、健気で命がけの防御策です。またそれまで研究者が考えていたよりNETをつかった攻撃無暗に焼夷弾をおとすより、味方である地の細胞に与えるダメージが少なくてすみます。細胞の死というのは、時に個体を守るための重要な機能そのものになっているのですね。NETosisは生体防御の最前線の応答として重要ですが、核成分を修飾して細胞外に放出するためNETの存在自体が抗核抗体産生の原因になったり、放出したNETの分解が遅いと全身性エリテマトーデスなどの難病、自己免疫疾患の増悪要因にもなります。従ってNETosisを抑制すればSLEの増悪を防げる可能性があります。しかしながら、前述の禅問答ではないですが、正常に備わった防御機構を無暗に抑制することは短期的な寛解を齎してももっと本質的な異常を招く可能性もあります。「正常なNETosis」のメカニズムを把握するため、ちょっと専門的になりますが、まずは好中球の主要な武器であるNOX2による活性酸素産生とミトコンドリアでの活性酸素産生の関連、及びその時の細胞外DNAの性質と自己抗体産生への影響を調べていこうと思っています。

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