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まゆりとルッチとしいちゃん的日常⑤ ルチア登場!!


しいちゃんがうちにやってきて1年が経った頃、私はもう一匹ネコを飼うか迷いだしていた。しいちゃんは夕方になると毎日玄関に私を迎えに来る。それはとてもうれしいのだけれど、昼間一人でしいちゃんは寂しい思いをしているのではないかと思うと胸が痛い。もう一匹ネコがいて二人で遊んでいてくれるようになれば、安心して仕事に行ける。でも、新しいネコとしいちゃんの気が合わなかったら…。ネコの好みを聞いてみるわけにもいかないし、でも決断するならtime limitは迫っていた。ネコは大人になって自分の生活パターンが確立してしまうと仔猫を得け入れにくくなってしまうのだ。もう一匹ネコを飼うならまだしいちゃんが子供のうちに、この1,2年内に決めなければいけなかった。さらに、もう一つ、2匹目を飼うならできれば保護ネコを、という気持ちもあって、ハードルを高くしていた。
保護ネコを引き取るのは手続きが大変で腰が引ける。でもペットショップで命を売り買いするということに、私は悪とはいわないまでも遠いところで人身売買につながるような後ろめたさを感じるようになっていたので、背中を押してくれるような捨て猫との出会いなんかないかなあ、と都合の良いことを夢想していた。
そんなわけで、飼うとも飼わないとも決められずに、その日私はなんとなくペットショップを覗いていた。小さなアメショーのメスがお尻を向けて寝ていた。
“アメショーがお好きですか?”
不意打ちだったので、いま一匹飼っていて、もう一匹飼うか迷っているんだけど…などと、なんとなくモゴモゴ言ったのがいけなかった。本当はもし、2匹目を飼うんなら白くてフワフワのアメショー以外の子が欲しかったのに、商売上手の店員さんに押し切られ、気が付くとそのお尻を向けて寝ていた仔猫を抱っこすることになっていた。店員さんに抱えられたそのネコの顔は不満げでなんとも愛想がなく、はっきり言ってかわいくなかった。
ところが、ペットショップの店員さんはこの不満げな猫を絶対美人になるからと激推してくるのである。
「二匹目に飼うなら、この子は絶対お勧めです。この子はいろんなネコと同じケージですごしてきましたが、大きなネコと一緒にしても自分と同じぐらいの仔猫と一緒にしてもうまく合わせて一緒に遊べるこですから、絶対先住ネコちゃんともうまくやれますよ。おうちにかえったあとも先住ネコちゃんと仲良くなれるように我々も全力でサポートしますから」
しいちゃんとの相性を一番心配している私にとってこの言葉はとても魅力的だった。それにしてももうちょっとかわいいお顔をできないもんかなあ。
「この子は将来絶対かわいくなりますよ。骨格的にバランスがいいですから。それにこうして出会ったのも何かのご縁ですよ」
「そうかなあ。お前、うちのこになりたいの?」
冗談のつもりでそう話しかけたとたん、それまで膝の上でおとなしくしていたその子猫がなりたい!とでもいうようにぴょーんと私の胸にとびついて爪を立ててわたしにしがみついた。
「ほらあ、行きたいって言ってる!」とこれみよがしにせめられて、後に引けなくなって其の子猫、ルチアをうちにもらいうけることになってしまった。
店員さんの話では、しいちゃんとルチアが仲良くなるためには、いきなり合わせない方がいいらしい。しばらくルチアを別な部屋に隔離して何かがいる気配だけ感じられるようにしておいて、お互いの興味が高まってからご対面させると一緒に遊びだすらしい。そして、とにかくしいちゃんがやきもちを焼かないように、なんでもしいちゃんを優先することが大事だとも教えられた。
「ルチアは気にしてあげなくても大丈夫なんですか?」
「この子は気にしなくても大丈夫です。兎に角しいちゃんのことを一番に気にしてあげてください。」

ところが、大丈夫ではなかったのである。ルチアは連れてこられたその日からご飯をたべなくなってしまったのである。
1日目はまだ、緊張しているのだろうとそっとしておいた。2日目、ネコ大好き必殺チャオチュールをなめさせてみたが、顔をそむけて食べようとしなかった。3日目、仔猫用のミルクを解いて、注射筒で飲ませようとしたが、いやいやをして飲まなかった。それまでは、動物が水も食べ物も豊富に与えられているのにも関わらず自ら進んで餓死することなんてないだろうと高をくくっていた私も、ここへきてさすがに心配になって獣医さんに急遽診察をお願いすることになった。陽だまり病院の先生は「こんなに小さいこだし、育たない可能性もありますが、一通りの検査をしてみましょう」と優しくでも気の毒そうにいってくださった。
検査の順番を待つ間、私はしょぼくれていた。でもルチアは輪をかけてしょんぼりと不安げにみえた。わたしが胸に抱きかかえるとルチアは小さい腕を目いっぱい伸ばして私の首に抱き着いてきた。まだ飼い主になって3日しかたっていない私を頼みの綱としてめいっぱいすがってくるのだ。私はそんなルチアをしっかり抱きしめながら、なんだかルチアの気持ちが分かった気がした。ルチアは寂しかったのだ。初めて会った日にぴょんと飛びついてきたのはきっと偶然ではない。ルチアにはなぜか私が自分を迎えに来てくれた家族だとわかったのだ。それなのにやっとおうちにこれたと思ったら小さな部屋に隔離されて構ってもらえなかったから、ショックでご飯も食べられなくなってしまったのだ。実際に私はこの時までルチアのことよりしいちゃんの幸せを第一に考えていた。しいちゃんのストレスになるのならルチアをもとのペットショップに返すことすら考えていた。でも、診察室でルチアの不安を抱きしめているうちにこのこをうちの家族にしようという覚悟が決まっていった。この先、検査でどんな病気がルチアに見つかろうと、ルチアを家族として受け入れてできるだけのことをしてあげよう。でも、神様、願わくば私たちが家族として仲良く暮らせるように、ルチアを助けてあげてください。ルチアが元気に病院を出られたら、もう寂しい思いはさせません…
結局、検査には何も異常はなかった。ルチアは念のため一泊病院に入院したが、翌日からは案の定モリモリご飯を食べ始め、無事に退院した。
しいちゃんと対面したルチアはネコのくせにとんでもないじゃじゃ馬だった。ご飯の支度を始めると今まで忘れていたくせに食べられるまで“オナカスイター、オナカスイター”と騒ぎまくる。しいちゃんのおもちゃを横取りして遊んでいる姿勢のまま寝落ちする。しいちゃんとベランダで涼んでいるとペット用のドアに向かってネコのくせに猪突猛進、頭から突っ込んで飛び出してくる。ペットショップの店員さんが言っていた「大きいネコでも小さいネコとでもうまくやっていける」というのはどうもずいぶん脚色された表現で、大きいネコでも小さいネコでも忖度なしに自己主張する猫、というのが正味のところのようだった。
ネコに貴賤はない。野良猫でも血統症付きのネコでも家族が見つかるまで自力で生きることはきっとものすごくストレスで命がけだったのだ。
ルチアはちびのくせに、いろんなねこのケージに同居させられて、きっと必死に生き抜こうとしてきたのだ。だから私はルチアの必死さが愛おしい。そして、そうであるならば、この一生懸命な猫にどうしても伝えてあげたい。もう、そんなにがんばらなくてもいいんだよ、と。必死に自己主張しなくたって、いつも見てる、いつも聞いてるよ。ただそこにいるだけで、ルチアは家族としてもう愛されているんだよ、と。
今日もルチアは洗面所で“オミズダシテ―”と騒いでいる。用もないのに“チョット来テー”のときもある。私は台所仕事の手を止めて必ず様子を見に行ってあげる。ルチアが我が家のonly oneだということをわかってくれるその日まで。


ルチアなの

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