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まゆりとルッチとしいちゃん的日常⑧ お風呂でチュ!


しいちゃんとルチアにはそれぞれ縄張りにしている場所がある。
ルチアがうちに来てから自然に決まったようで、お台所はし
いちゃん、ルチアは洗面所とお風呂場、それ以外の場所は兼用ということにしているらしい。絶対不可侵という程ではないのだけれど、ルチアは台所にほとんど入ってくることはないし、しいちゃんは、ルチアが来る前はお風呂ものぞきに来たくせに、今はなんだか入りづらそうにウロウロしている。もともと対して広くない家なのだから、仲良くしてくれるならどんなルールを二匹が作ろうと構わないのだけれど、意外だったのは二匹の縄張りという概念には、土地だけでなくそこにある“上物”の所有権が含まれているらしいことである。“上物“というのはつまり、そこにいる私のことで、台所にいるときの私はしいちゃんの所有物で、洗面所にいるときはルチアの所有になるらしい。そのせいで夕方はとにかく忙しい。
帰宅して手を洗っていると、しいちゃんが”コッチキテー “と廊下で催促する。台所で夕飯の支度を始めると、ルチアが洗面所で
”オミズー!オミズノミターイ!オ・ミ・ズー!“と叫んで洗面所に呼び付ける。ルチアに
お水を飲ませているとしいちゃんが、“チョットナガクナイ?”と洗面所の前までプレッシャーをかけに来る。
私は私の用事があって台所や洗面所にいるわけなので、勝手に変な所有権を作られても困るのである。
でも、二匹が縄張りルールを決めてくれたおかげでいいこともあった。
 しいちゃんはもともと素直な甘えん坊の愛され上手なのだが、ルチアはどこか拗ねたところがあって、同じように可愛がっているつもりでもいつもしいちゃんと比較して、“しいちゃんはイイナ…しいちゃんはイイナ…”と思っている節がある。でも私がルチアの縄張りの中でルチアを構うと、素直に愛されていると感じられるらしい。
毎朝、私がシャワーを浴び終わるとお風呂場のすぐ外で待っていたルチアが意気揚々と入って来る。浴槽のふちにヒョイと飛び乗り思いっきり首を伸ばしてこっちを見る。私も腰を屈めて顔を近づけ、お鼻の先でチュ!とする。私とルチアの朝の挨拶である。一回の時もあるし、ルチアの気分で何度もチュ!っとすることもある。それから、ルチアはネコの額程のおでこで私のことをズンっと頭突く。猫の頭突きは“大好きだよ”という意味である。ルチアは私が大好きなのだ。それからお風呂場の蛇口にむかって頭突きをする。ルチアは蛇口も大好きなのだ。私と蛇口に対する愛情表現が同じなのはちょっと悲しい気もするが、人間だって“あなたが好き”と“モナカが好き”に同じ“好き”を使うのだから、猫のボキャブラリーに文句を言える筋合いではない。
最後にお風呂を一周するとルチアは満足して、尻尾をピンと立て誇らしげに縄張りを後にする。私とルチアの毎朝の儀式であった。
 幸福な儀式が変化したのはコロナの感染拡大で日本にも緊急事態宣言が発せられてからだった。緊急事態宣言中、私は羽田空港の検疫のPCR検査のお手伝いを志願した。振り返って考えればそれ程危険な仕事ではなかったが、自分のことならともかく、周りを巻き込むのが怖かった。それに、当時はヨーロッパで動物園の虎がコロナにかかったとか、猫にも罹るとかいろんな噂があったのだ。
私は検疫所の仕事から帰るとまずお風呂場へ直行し体中を洗った。ルチアは喜んでお風呂の外で待っていたのだが、私はすぐルチアにチュ!をする気にはなれなかった。“もし、ルチアに感染して肺炎になってしまったら…””もし、猫がコロナを媒介するとおもわれてしまったら…” “人の命を救うためにネコを殺せというようなパニックがおきてしまったら…”正体不明なのはウィルスだけではなく、それに対して反応する人間社会そのものなのだ。心配の種はいくらでも生まれてきた。
私はルチアを身を切る思い出シャワールームからルチアを追い出し、しばらくチュ!はしないことにした。


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