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自分の頭の中を残す、ということ

いざ、いでよ。頭の中の人

「わたしの頭の中の人」はかなり気まぐれで毒舌で人を信用していない。医療従事者という仕事柄、表向きに悪口は言えないし、むしろ言葉を飲み込んで、さまざまな事象にポーカーフェイスで対応する。そうすることを求められる。それをわかって医療従事者って着ぐるみを着て収入を得て生活してる。仕事なんで。聖人じゃないです。
この仕事に従事して20年以上。文句はいろいろあるけどやりがいあるし(やりがいの搾取って解ってる)、日曜休めるし(有給は自由に取れないの解ってる)、ボーナスあるし。そうやって働いてきたのだけど…。
ふとしたきっかけで、私は「わたしの頭の中の人」を大切にしてきただろうかと思うようになった。ずっと、医療従事者としての私、妻や母としての私、娘としての私、女性としての私、など「役割」が私を縛っていて、その役割やイメージの通りに生きることが当たり前と思っていた。昭和な女と認めます。
でも私は「役割なんて関係ないまぎれもないわたし=わたしの頭の中」を大事にしていたか??

学生の時に「役割がなくなるとQOLが低下する傾向がある」と聞いて、人には役割が必要なんだと素直に思っていた。自分が望む役割のまま年を重ねていけばQOLが保たれて、いきいきと生きることができると思う。年取って家族に「お母さん、肉じゃが作って」って言われたら私も素直にうれしいだろう。
話したいことと離れてしまったが、つまりは、私は今の役割を望んでいないのだということ。それがここ一年ほどで急速に「わたしの頭の中の人」がむくむくと顔を出して、毎日叫ぶ。

私はわがままなんだ!
てめえらのことは自分でやれ!
家政婦じゃねぇぞ!
もっとわたしを認めろ!
なんで女だけ頑張らんとならんのじゃ!(男も同じように思うのだろうが…)

ずーっと前から声が聞こえていだけど、役割の私に覆い被さって、たまーにしか出てこなかった。生理前症候群でイライラしてるのかとも思っていた。
私がおばさんになって怖いものが少なくなったからだろうか。子供に手がかからないようになったからだろうか。でも確実なきっかけとも言える私にとっての鍵のような存在はあって。そのおかげで最近は毎日、「わたしの頭の中の人」の声が大きくて、口調も荒くて、収拾のつかない声がこだましては消えていく。そしてまた叫び出す。どこかで吐き出さないといけない。どこに…そしてどのように…。

それがこのnote。まっさらな白い余白にどんどん書き込めるのはわたしの声だけ。
50歳近くにして、これは、表現の自由だっ!

一応大人なので、吐き出すにも、悪口は書きたくない。大人の役割をどうのこうのではなく、井戸端会議で話してるのと同じにはしたくない。
もっとわたしを大事にできる私になりたい。あとどれくらい生きるかわからないけど、私の周りがどう思おうと関係ない、私が満足できる生き方をしたい。
ここに書くことが、満足できる生き方に直結しないかもしれないけど、私と「わたしの頭の中の人」が解離せず、頭の中で怒鳴らず穏やかに生きることを全うできたらいいなと思う。

時には昔のことを思い出して書くこともあると思うし、関係ない日常のこと、大好きな推しのことをダラダラと意味なく書くかもしれない。ひょっとしたら、人生の一大事を整理するために書くかもしれない。その時に出てきた「わたしの頭の中の人」の声を正直に、noteの白に刻みこもう。

わたしの心の中の人、人種はレッドで。






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