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かばん2023.11月号評

11月号掲載の歌からいくつかの歌について評(感想)を書きました。歌会では1首について様々な読みを聞くことができ、読みを深めていくことができますが、他の方の読みに流されることもしばしば。それが歌会の醍醐味でもありますが、個々の読みをしっかりさせるにはやっぱりこうやって書くのがいいように思います。で、他の方の評を読む。そういう場があればいいのにな。本誌以外に「かばん○○月号評」をまとめて読めるような・・・。(いや、別にかばん評に限らなくてもいいんですが)

◆特別作品から

白妙のペッパー君の墓場はヤバイ廃虚の鳩はめったに飛ばない  森村明
『さよならペッパー君』より。いつか家庭には1台(というか1人?)、ペッパー君のような存在が加わるのかもしれないなぁと思いながら読んだ。廃棄され、さらに無機質になったペッパー君に「白妙の」という枕詞がつくと妙なたましいを得たかのように感じる。とまった鳩を逃さないように楽しい会話を日々生み出しているのかもしれない。鳩のいのちが絶えるまで。う、怖っ。
 
寝室でダウンを脱げばふたまわり小さい人間二月にふれる  森野ひじき
『クローゼットの中の十二枚の異なった布たち』と題された12ヵ月の衣服を詠んだ連作より。「ふたまわり」がいいなぁ。ダウンを脱いでひとまわり、寝室というプライベートスペースで素の自分に戻るという意味でもうひとまわり、ということですね。
 
この家に伝わるものがまたひとつ増える今夜の妙な食卓  百々橘
『夕食』より。あるある~! 食卓とあるので夕食メニューそのものかもしれないし、取り合わせかも、セッティング的なことかもしれませんが、その家ごとにあると思います。ちなみに私の実家では父の誕生日はぜんざいで祝い(夕食がぜんざいオンリー!)、あまりの甘ったるさに文句を言った私きっかけでラーメンも食べることになったという「妙な食卓」がありました。
 
韻だとかリズムは鑿よ今を生きる世界と詩的地平を鑿つ  本屋彩折
『赤と鑿と白』より。この歌が置かれた8首目までは、宗教団体やネットでの承認欲求にまつわる歌が並ぶ。歌というとどこかふわふわしたもので、これもまた実体をもたないように思いがちだが、そうではないという強い意志が感じられる。1本の木から仏像を彫りだすように、わたしたちは自身から言葉を掘り出す作業をしているのだ。
*鑿【のみ】世界【リアル】鑿【うが】にルビがあります。

◆会員作品から
 
ポッピング・シャワーを食めばわたしたち小さな星の拍手をあびる  ちば湯
あの小さなパチパチを「星の拍手」と表現されていることに拍手したい!
 
豆餅のまぼろしをみる いま夏草生えかわるだけの美福軒  みおうたかふみ
店構えとかではなく、豆餅から始まるのがインパクトあっていいです。「夏草生えかわるだけ」という表現でお店が今はもうなく、時が経っていることがわかります。うまい!
 
「別れても次がいないかもしれないし」そんなことよりきれいなまゆげ  みづきゆいな
まゆげの直線、またはなめらかな弧の始点から終点までを目で追う。そのうっとりする感覚が素敵です。「別れても次がいないかもしれないし」なんて雑念は「そんなこと」に格下げされ、きれいに消えています。
 
八月は悼むばかりに過ぎ行きぬ母の語りはクラウドにあり  ユノこずえ
クラウド上に母の音声や文章が保管されているという意味だけではなく、天上での永遠を願っているようにも感じました。
 
筋肉の畝うつくしく純白の粉をふきつつ飛ぶ入道雲  井辻朱美
入道雲は浮かんでいるのではなく、その筋肉で飛んでいるのか。夏の雲にはそれだけの力を感じます。
 
ヘルンさんの見た百日紅(さるすべり)の花の色確かめられぬ我は旅人  雨宮司
結句の「我は旅人」が効いている。旅は生活ではないから全てを見聞きするわけにいかない。まだ花をつけぬ百日紅と出会ったこともひとつの出会いなのだと思います。
 
こんなところにわたしがぽつんと立っていてぼくに見えないものを見ていた  雨野時
自身のなかにはいろいろな自己があり淡い性のグラデーションを持っているようです。決して乖離しているわけではなく、その時々で一番ふさわしい自分が遊離して見聞きしている。相手の立場に立つ時、そのようにして仲介してくれる存在を人は持っているのだと思います。
 
愛だけを信じているの綺麗だし満たせばあふれ光りだすから  榎田純子
「綺麗だし」がどんな理屈も超えてしまいます。「だってきれいやん」(←関西弁)って言われたら言い返しようがないですもん。というわけで、私も光りだすくらい愛を信じたいと思います。
 
親戚がみな風邪お見舞いLINEして慌てて食べるすっぽん雑炊   屋上エデン
お見舞いもLINEで。風邪がうつらないためにもいいですね。で、ご自身は精がつきそうな「すっぽん雑炊」を食べるという。「慌てて」とあるのでご一緒されてたんですね。
 
正しいこと言うのはすごい簡単だ誰も見てくれない逆上がり  夏山栞
この「正しいこと」というのは、時流に沿ったとでも言うようなことだと思います。その流れに身を任せて流れていく先が望まない場所と知れば、なんとか流れを変えなくてはなりません。ひとり逆上がりする姿にとてつもない重力を感じました。
 
ほじくったあとのキウイの皮くらい頼りない助け舟だけど出す  岩倉曰
つかまるくらいはできそう。ちっとも無駄じゃないです。キウイの皮のへろへろ具合を想像してハラハラしながらも、本当はアボカドくらい頑丈な舟がいいなと思いました。
 
はばたきの一瞬ごとに忘れ果て蝶々それはまったくの楽天家  吉野リリカ
物忘れを恐れることなかれ。一瞬一瞬を真新しく生きるなんて素敵。そろそろ今までの価値観を壊していかなくちゃ。
 
帰りきてエンジンを切る助手席の袋にパンがはみだしている  江草義勝
パンはよくはみだします。軽いパンは買い物袋の一番上に入れているから、ということもありますが、パン(特に菓子パン)は元気なこどものような気がします。そういえば、ブレーキを踏む時、こどもをかばうように助手席の買い物袋に手を伸ばしてしまうなぁ。でもたまにポーンと飛び出すパンがあるのです。
 
乾きたる大地に雨の感嘆符あきらめた日々さえも潤せ  山内昌人
「雨の感嘆符」ってすごい。直線と、点は地上に触れた瞬間ですね。雨は天からやってきて初めて見る大地に感嘆してるんだな、と思いました。
 
湯船より遠き昔の夢を見ん水の温(ぬる)みしカンブリア紀を  小野とし也
同じく湯船につかっているような心地になりました。気持ちいい。
 
凡長な地球の歴史から見ればわたしは一瞬、岩はまずまず  小野田光
思わず、ふふっとなりました。「岩はまずまず」って、そうなのか。地球で一番の長老って何なんでしょうね?
 
夏草のたわわに繁るわが畑に茄子も胡瓜もひそかに実る   上田亜稀羅
野生の勢いのまま繁る夏草に比べると、人の栽培する野菜は繊細でひよわな感じがします。自然に間借りして生活する人間も本当は弱い生き物。
 
枇杷の実のやはらかな毛は起こされて 響く だれかの台風がくる  森山緋紗
小さなうぶ毛よりもさらに小さくなって見ているかのよう。白い毛が立ち上がり警戒する。この白と台風の薄暗さの対比によって映像がくっきりするように感じました。
 
あばら家の天窓を開けて真夜中のミルキーウェーに来ていただいた  石田郁男
比喩として読めば。自分で自分の窓を開ければいろいろなものをお招きできる、ということですね。
 
呼び声はまだ埋もれていて 通常の日々を続ける今はまだ、まだ  生田亜々子
誰の「呼び声」か、どのような「呼び声」か。想像すると広がっていく歌です。埋もれている場所を掘ってみるのではなく、一見なんの関係もなさそうなところにスイッチがありそうです。
 
YouTube二倍速にて視る人の時間二倍に伸びるものかな  大黒千加
最後の「かな」が文語でもあり口語でもあるような使われ方をしていて(それも自然に)、おもしろいと思いました。
 
本棚が傾いてるがひょっとして傾いてるのは壁じゃないかな  田中赫
くらくらしている歌。単独で読むといろんな状況を想像しますが、ひとつ前の歌でわかれ話をしているので、そこから絞り込むことができそうです。宇宙全体が傾いているくらいな気持ちかと思いますが、あえて目に入るものを詠むことで、せつなさが倍になって伝わってきました。
 
正論をばらまく人の利き腕に虫に刺された跡が三か所  土居文恵
くすっと笑えます。「三か所も刺されてるやん、この人」と思ったらその人が何を言っても入ってきません。正論を聞きながらも目は一、二、三か所・・・と発見を続けているのがおもしろい。
 
ものすごく態度の悪いレジ係 無理していないから大丈夫  島坂準一
通常は態度が悪いレジ係にイラっとするわけですが、下句では寄り添うような心の声が置かれている。無理をしている自分はいくら腹立たしいことがあってもにこやかに接客するだろう。心を抑圧すれば苦しく、その苦しさを思えばレジ係の態度の悪さにも「大丈夫」と寄り添える気持ちが生まれる。共感とはこういったことを言うのでしょう。
 
甲冑に身を固めても死ぬときは死ぬからねえと蜻蛉の群れ  松澤もる
肩の力がふわっと抜けるような歌。はかないものの喩えとしてよく登場する蜻蛉ですが、あの羽ばたきには事実を事実として受け入れているシャープなものを感じます。
 
自動ドアを反応させるために立つ今はどうして今なのだろう  来栖啓斗
存在が希薄な感じ、その時代に合っていない感じ。それでもここに存在していると証明するために自動ドアの前に立つ。自動ドアは普通に感知してドアを開けてくれるのだけど、違和感は消えない。どうして今、生まれてるんだろう、という謎は解けることはないんでしょうね。
 
僕はもう後部座席の真ん中の第一候補ではなくなった  白田山頭火
期待される子から普通の人に、と読めますが、誰かの期待から自由になった、とも読めます。8首の流れからいくと前者だとは思いますが。「後部座席の真ん中」なんて窮屈ですよ。
 
変換の直前にみる「ゆにくろ」は寿司ネタめいて終業まぢか  飯島章友
ひらがなで見ると全然イメージが違うという発見。うにとろ。

以上です。
今月も楽しく読ませていただきました。

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