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かばん2023年6月号評

全員の歌について1首を取り上げて評(感想)を書きました。
かばんの前号評は2月後、8月号に掲載されるので、発行されたら執筆された方々の評と比べてみようと思います。
 
街明かりかきわけめくるめくめぐる中央線は明日への旅路   かぱぴー
「かきわけめくるめくめぐる」という音のつながりが素敵。明かりに翻弄されながらも突破していく感じがいいです。
 
あんなふうになりたくないわ あんなふうになるのがこわいと祖母繰り返す   小鳥遊さえ
「祖母」の不安を受けて私も不安になってしまいました。そんな私を見て誰かも不安になるかもしれない。結句の「繰り返す」がこわいです。
 
備中と備後を分かつ日野山(ひのうやま)朝霧けぶりもうろうと立つ   江草義勝
朝霧にけぶっている山を見ると汗して働く男性の背を思います。私たちが眠っている間も黙々と守っていてくれたのでしょう。頼もしいです。
 
雨の日はうす紙を折ることさらに平和をがなることから離れ   遠野瑞香
「折る」という文字は祈るに似て静かです。「雨の日」をつい疎ましく思ってしまいがちですが、雨の日だからこそ立ち止まることができるのだと思いました。
 
春の背を撫でるあなたを垣間見て羽毛布団をこっそりしまう   宮田あおい
「あなた」とは母でしょうか、少しおぼろな様子を想像しました。「春の背を撫でる」という仕草にうっとりします。あたたかさを十分に感じているのを見て羽毛布団を「こっそり」しまう。そうでなければ強く拒否されてしまうからでしょう。
 
浅はかな母がまたまた馬鹿やった 笑わなかった朝はなかった   村田マチネ
母の歌をア音のみ、父の歌をイ音のみで作られたとのこと。「浅はかな」とは母がかわいそうと思いますが、二重否定の下句はそれが良かったのだと強調しているように感じました。
 
陰茎を即物的に愛すとき奥の院には水連が咲く   青木俊介
感覚の多重性がおもしろいと思いました。「即物的・観念的」「聖・俗」といった相反するものを同時に感知することで世界が大きく広がります。
 
たんぱく質にいのち宿り巡り逢えた奇跡こと彼氏、LINEを返さず   嶋江永うみ
金色の包みを開けるとなんか白っぽい飴が出てきたって感じ。食べてみないとまだ分からないですが。
 
小さき子が大きくなって浅草のもんじゃ食べるをみるは…miracle   久保明
その土地で長年暮らす人の定点観測的な目線。子が大人になるというだけでなく、(関西風に言うと)おっさん化おばはん化し、あそこの子は親にそっくりになってきよった、みたいなmiracleも含まれているようです。
 
正直じいさんが足りない 吉相の印鑑たちをヒトにもどせ   高柳蕗子
「吉相の印鑑たち」がなぜかこわい。にっこり笑って不運のもととなるものをバッサリ排除しそう。手のひらからビームが出そう。
 
暖かい春はまた来てぼんやりとわが脳みそは桜餅めく   屋上エデン
脳内メーカーの図が出てきて、脳みそが桜餅に置き換わりました。春の眠さはあのピンクのもっちり感によるものでしたか。
 
ごまの国きざみしょうがの国にさえ国母とされる人はいるなり   土井礼一郎
いるのでしょう。ただし地上ではないどこかに保護されているような気がします。
 
海はもうなんだかずっとまぶしくて青いとかいう問題じゃない   斎藤見咲子
ずっと見ていると、海が青いものからまぶしいものに変わっていく。その時、問題も「問題じゃない」と思えるようになっているのかもしれません。
 
ポケットにさっきの会話の残り香を秘める誰にも触れえぬ聖域   天原一葉
スマートフォンで会話したのでしょうか、ポケットもスマホも誰にも触れえぬもので、自分の聖域とするものを聖域にしまうという二重性に惹かれました。
 
降り続く雨と車の水しぶき矛先をまた自分に戻す   山内昌人
魅力的な連作「矛先」。忸怩たる思いをうまく消化できないもどかしさが迫ってきました。6首目の「泣いているような雨音だけがして回り続けている洗濯機」の同じ場所で回る洗濯機がまさにその時の心境ではないでしょうか。そこから8首目のこの歌に着地するのですが、ここには矛先を誰かに向けるのをよしとしない決意があります。雨も水しぶきも自分へ向かってくるがそれでよい、というような。
 
引っ越しを教えてなくてきっともう来ない友だちの個展のはがき   湯島はじめ
引っ越しを教えないという幕引きは静かだなぁと思った。タイトルの「サイレント・ムービー」が効いている。
 
泥搔きの難を逃れて陸跳ねるアメンボたちは次々飛んで   雨宮司
1首目の「いつまでも部屋に籠っていられない~」と対になる8首目。アメンボの軽やかな動きが気持ちいい。上句で「跳ねる」下句で「飛んで」とあります。人は跳ねているように見ていますが、アメンボとしては飛んでいるのでしょうね。
 
藍色の空白むまで聴く歌の調べに動く指がわずかに   藤野富士子
眠りのさなか、わずかに動く指。これは誰かの、ではなく自分のことのように思います。眠りのなかで歌を聴いている私、それを見ている私。夢にはそういった万能感があるように思います。
 
黄山吹白山吹の七重八重おまへこそここのへおもほゆれ   佐藤元紀
「ここのへ」は咲き誇る山吹よりもこころなぐさめる存在としての最上級の言葉と思いました。ひらがなで表記されていることで「ここ」が目に入ってきて、「ここ」にいてくれる「おまへ」がより際立っているように感じました。
 
姪っ子が中学生になりました私ハーブの種を蒔きます   千春
若い頃はなにもしなくても次々に乗り換えのエスカレーターがやってきますが、大人になると自分で発見してセッティングしないといけない。それが面倒でしんどい時もあるなかで、この宣言は清々しく響く。蒔くという行動に見合う以上の収穫があるでしょう、ハーブってすごい生命力ですから。
 
仕事中そっと目をやる窓枠の中の景色が私の名画   島坂準一
外の景色を名画と言っているのではなく、窓の外から見た自分こそ名画だと。そう思った瞬間、力が宿ったのではないでしょうか。宿る、というか力が再結集した、という感じです。
 
まだ眠い目に記録するピーターパンみたいな空ときみが呼ぶ夜   本多忠義
「ピーターパンみたいな空」という表現に心が動いた様子が鮮やかです。目にはその時の空、耳にはきみ(娘さん?)の声が記録されてずっと忘れないんでしょうね。
 
海よりも海の鼓膜をふるはせてスイミーを聴く二十八人   森山緋紗
人の鼓膜はスイミーを聴いたときには海の鼓膜となってふるえる。みんなが同じようにふるえることでしか連帯できないのではないか。スイミーもまたそういう物語だと思う。
 
てのひらで顔を覆って泣くときのてのひら溶けてひかりがみえる   みおうたかふみ
泣くことで少し冷静になり次第に周りが見えていく。目隠しがてのひらであたたかく解けていくようです。
 
桜花ひとひら毎にLetter(レター)ありそを読まばやと猛(たけ)る心よ   白糸雅樹
たくさんのLetterが今年も吹雪いていきました。この膨大な数のLetterをすべて読みきることはできないでしょう。この歌と同じような感覚を図書館でも覚えます。全部読むことはなく死ぬんだなと思うと「猛る心」が分かるような気がします。
 
そよ風が3月の休みの子供見つけサクラの花びらをトコトコ歩かす   ゆすらうめのツキ
「花びらをトコトコ歩かす」、というのがおもしろいです。花びらの動きが目に浮かびます。
 
交流のない親族を思い出すような豆ふの味噌汁を飲む   岩倉曰
「豆ふ」の表記が、交流がないだけで特に害があるわけではない、うすーい親族を表しているようで効果を生んでいるように感じました。
 
ゆつくりと良くなつてゆく父よ父よ今度は私が手をつなぐから   大黒千加
「父よ父よ」に思いがあふれています。良くなられますように。
 
銀盤をぐるぐる回るスキーにはない円という動きのかたち   山田航
ぐるぐる回ると楽しくなってきます。「円という動きのかたち」は自由で楽しい。いいな、北海道のこどもたち。
 
花水木に見下ろされつゝ街路往く我らみな四月のしもべ   松澤もる
「四月のしもべ」、どの月のしもべでも当てはまるかと思えばそうではなく、やっぱり四月かな。動き出す季節は人にとってもそうで、動け働け四月のために、と言われているようです。4句目が5音なのはもったいないと思いました。
 
だったのかもしれないし違うのかもしれない緩やかな海で背びれをかえす   田村ひよ路
確かめることはせず、ただひとり身をひるがえす。悲しいですね。自分にとっての真実と誰かにとっての真実は違うこともありますが、それらを丸ごと抱えている海というのがいいと思いました。
 
波平もフネもマスオも声帯を取り替えながら生き延びている   伊藤汰玖
そういわれると急にSFっぽく感じられるサザエさん一家。「声帯」が妙に生々しい。アンドロイドに囲まれているかのようで、改めて考えてみるとこわいですね。
 
登り坂を若者たちが走りゆき神があらわる箱根の山で   坂井亮
毎年つい見てしまう箱根駅伝。新たな山の神の出現を、私たちがというよりもテレビ局の人達が待ち望んでいそうです。
 
川を見に来たのではなく川を見るきみをはっきり思い出したい   有田里絵
川へ来れば、きみの不在をより強く感じてしまうだろうに。それでもここで川を見ていたきみを思い出したいという思いの強さに打たれてしまった。
 
逃げ切ったのちの世界の侘しさよ 鍋に揺蕩う二本のパスタ   土居文恵
逃げ切ったのはどちらだったのか、逃げ切ったのは多数派であり、鍋に残された二本は取り残されたのかもしれない。心細くもあるが成就しているような、パスタをゆでた時の一コマがドラマチックに描かれている。
 
紋黄蝶の舞ったあたりにサボテンの大きな花の残留思念   大甘
蝶の残留思念ではなく、花の方だというのがいいと思いました。サボテンという動きのないものゆえ抜け出た感が強調されている。
 
白木蓮を加えてわたしの多神教申し訳なく膨らんでいく   アナコンダにひき
白木蓮の中に取り込まれてその中で膨らんでしまう神様たち。「申し訳なく」がおもしろいです。多分、花が開けば元に戻るのでしょうけど。
 
ひかる小窓。手書き入力などもできる時代のわたしがなんか不安だ   小川ちとせ
「ひかる小窓」はスマートフォンでしょうか。手書き入力、便利ですよね。読み方が分からない漢字を入力したい時とか。そうやって技術が助けてくれる時代であるのに不安感はなくならない。「なんか不安だ」、そうそうそれ。「なんか」なんですよね。
 
悲しみは抱き締めやすい ぬひぐるみと同じ構造 だから汚れる   玉野勇希
悲しみはどこか無味無臭な感じがしていましたが、手垢のつきやすいものなのか、そうだったのかと思いました。「抱き締めやすい」から依存してしまう危険もありますね。
 
繰り返す日々に瞬間はっとする君の真顔が光って見えて   百々橘
真顔に表情はないけれど真実があると思う。鏡かもしれない。真剣に生きている人は多くを語らないし、人を責めたりしないけれど、こんなふうに気づかせてくれる。
 
月夜には造花の百合も匂い立つプラスチックの誘惑のような   吉野リリカ
視覚的に美しい。プラスチックの誘惑に惹かれるのは同じくプラスチックだろうか、とすればこの造花を見て美しいと感じる感覚には生身ではないものが混じっているのかもしれない。
 
雅叙園の傘寿記念のパーティーに並んだ顔はみんな陽炎   野川忍
もやもやとしたゆらめきが儚くあるが、「陽炎」という文字からは魂が燃え立っているような力強さを感じました。
 
研ぎ水のたぷたぷ揺れて濡らす手のゆびのさきから忘れてゆくよ   久保茂樹
物忘れは頭からぬけていくのではなく、こうして日々指から流れていってしまうのか。米を研ぐたびにこの歌を思い出し、いろいろ忘れていきます。
 
謝罪後の駅のホームに遠花火きっと赤子は尻振りて寝る   伊藤詩一香
近景から遠景に、また近景に戻ってその数時間後を思う、というような空間と時間が広く詠まれていて、謝罪という縮こまる感覚を自ら開放していくような力強さを感じました。
 
たくさんの動植物に囲まれているものだから何も出来ない   来栖啓斗
2首目のこの歌が8首目の「一本の道具のように生きるから僕は寂しいのかもしれない」につながっていると思う。生き物のそれぞれの役割に圧倒されて自分の価値を見失ってしまう。それでも生きる限りは役に立ちたいという思いが「一本の道具」にさせてしまうのだろう。生きる中でポジションを見つけることと、役に立つために作られることとの違いを考えてしまった。
 
横たはる野良の骸に導かれ桜並木をくる鼓笛隊   笠井烏子
静と動、色彩のコントラストが目を引く歌。最後に聴覚で終わっているのがいいなと思いました。読み終えた後も鼓笛隊が近づいてくるようでした。
 
咽喉にまだ枯草のするどさこめて発つ時ひとが置いていく夜   とみいえひろこ
「枯草のするどさ」を想像して咽喉がケホケホしてしまった。柔らかさを失ったものとしてこんなに鋭い表現ってあるだろうか。
 
空き缶のない美しい公園でどろぼうにもけいさつにもなれない   森野ひじき
最近の子どもは管理された公園でお行儀よく遊んでいるようでさみしく感じる。「どろぼうにもけいさつにもなれない」からは、想像力が封鎖されたようなとてつもない閉塞感を感じた。
 
蛞蝓を銛にて突けばぞろぞろとハラワタはみ出(い)でてこの寂しさは何?   乗倉寿明
小さなものをえらく大きなもので突くんだなぁとまずは思い、そのうち小さかったはずの蛞蝓がどんどん大きくなっていくようで不思議な感覚になりました。空虚な寂しさだと感じました。
 
春の野はサーモンピンクのコクリコよ 外来生物ナガミヒナゲシ   上田亜稀羅
上句のかわいらしさが下句で一変するのがおもしろいです。外来種を外来生物としたことで、まるで宇宙から侵略されているかのような印象を受けました。
 
一路さん駄目だよふいに逝くなんて犬も歌友もことばがでない   ユノこずえ
この語りかける上句のリズムにぐっときます。山下さんからの返歌がほしいです。
 
わが内にDNAはひそむという夢見がちなるネアンデルタール   松本遊
現代人のDNAからネアンデルタール人のDNAにまで遡ることができるそうです。だから、先祖代々のDNAだって存在しているのだけれど。やっぱりさみしいですね、肉親を失うということは。
 
春風は熱を孕んで吹き寄せる生き急げとう死者たちの声   前田宏
「生き急げ」という言葉が響くようになってきました。そう言ってくれる死者たちの存在がとてもあたたかく感じます。
 
数独の孤独さを眼に焼きつけた金魚をすくえなかった春に   篠本乃宇
数独のマスの四角と金魚すくいのポイでしょうか。希望が叶わず、白紙な感じが迫ってきました。春、というのが効いています。
 
かなしみはマシュマロやグミマシュマロやグミをかむかむためのかなしみ   沢茱萸
マシュマロもグミも口の中で噛んだり溶かしたりしてゆっくりと消えていく。かなしみをすぐに飲み込む必要はなく(飲み込めないし)ゆっくりとよく噛むうちに自分の体に合うように変化していくのだと思う。かなしみをもつ人への共感に満ちてとてもやさしい歌だと思います。昨年の返歌特集では河野裕子さんの歌への返歌として掲載されていて記憶に残っています。
 
おかあさんかわりに色をぬらないでわたしの手足をもぎとらないで   鳩
この歌はとても叫んでいるけれど、実際には叫ぶことができない人の叫びだと思いました。多くの人が(私も含めて)待つことができない。そのことを改めなくてはなりません。
 
プラチナの斧を女神が持ってくるまで待つつもり池のほとりで   本田葵
「まぁ、なんと厚かましい」「ちょっとまだ帰らないんだけど、どうする?」などと池の底で女神がこそこそ言い合っているようで、笑ってしまいました。
 
真からの笑顔が近い 励ましには励まされなくてはいけない呪い   生田亜々子
圧がすごいですね。で、「呪い」について考えたのですが、この呪いはどこで発生しているのでしょうか。この例に限らず、受け取り手によって変化してしまうことは多々あるように思います。
 
ライオンズを見下ろす頭上はるかなる銀河もベースボールに沸くか   柳谷あゆみ
視線は球場のスタンドから下へ、しかし脳内視線ははるか銀河へ、そして銀河から球場へ。一首のなかに3つの矢印があり、その長さがそれぞれ違う。おもしろいと思いました。
 
「ご一緒に」ポテトはいかがと言われしも独りもさもさ食べるだけだし   小野とし也
いつもならスルーする定型の言葉にひっかかってしまう。「ご一緒に」の明るい声とポテトのもさもさ感のかけ離れた感じがせつないです。
 
列車から降りるまにまに終点は始点となりぬ今日エッシャー忌   飯島章友
「まにまに」がすごいと思いました。転換は日常の中にさりげなく組み込まれています。
 
いつもとは違う声音で話したい何か楽器が弾ければよかった   大池アザミ
楽器を弾くとはその楽器の声で話すということか、と思った。その声でなければ伝えられないことがあるように思います。失恋を歌う曲で、最後にトランペットが言葉にならない感情を奏でる曲を知っています。その曲のことを思い出しました。
 
面識のない人間を欲望でどうにかしたい国民国家   千田チタン
そうそう。世の中はこのエネルギーで動いています。総括するとそうなんですが、この「どうにかしたい」ためにやっていることをちまちま拾い上げていく連作が読んでみたいです。
 
諧謔のきもちだけではつめたくて場違いながらたましい晒す   小野寺光
山下一路さんのことを思い浮かべました。山下さんと親しくされていた方々とかつての山下さんを語る時、軽さのある言葉ではおさまらない気持ち。悼む心があふれてきます。
 
重力に逆らい墜ちてく夜の底にああああんなに遠く満月   西塔史
宇宙の闇へ吸い込まれるようなスピードを感じる。この歌と8首目の「彗星のふるさとのように君の部屋想ってみてる電話するとき」が呼応していて、会えない時の距離感が宇宙規模で感じられてせつないです。
 
蝙蝠のしきり飛び交ふ濠の上に朱(しゅ)は奏でをりピアニッシモを   嶋田恵一
濠と聞くとお城の濠を想像します。木が覆いかぶさるような暗がりにも夕日がわずかに入り込む、その光の加減をピアニッシモと音で表現されているのが繊細だと思いました。
 
そのむかし本だったみたいにパッと葛餅色に傘はひらく   杉山モナミ
葛餅・・・透明な中に餡が入っているものを想像したのですが、検索すると乳白色の全然知らないものがでてきました。ビニール傘の向こうに透けて見える人が餡かな、と思ったのですが、間違っているかもしれません。
 
この土地で選べる道が増えていく一人の部屋に八足の靴   ソウシ
ひとり暮らしの部屋に友達がやってくるとも読めるが、この靴は自分の靴だと読みました。スニーカーやパンプス、ブーツ、サンダル・・・。行く場所や出会う人に応じて使い分ける靴たち。その靴の種類の多さが「この土地で選べる道」の多様さにつながっていると思います。
 
二枝(ふたえだ)にわかれて咲いた白き薔薇 抱(いだ)かれている薫(くゆ)らせている   榎田純子
「二枝にわかれて咲いた白き薔薇」が白い腕のよう。薔薇には棘があるからぎゅっとは抱きしめないけれど香りで抱きしめてくれるのですね。
 
糸口を結び直せず絶えたキミその手触りを思い出してみる   Akira
「結ぶ」が「手触り」に繋がって、暗闇のなか手探りでキミを探しているような歌だと思いました。私にとっては、記憶する中で触覚は失われやすい気がします。なので、キミのその手触りはとても遠く感じました。
 
うつむいてフライドポテトを折っているきみのつむじのちいさな台風   ちば湯
「つむじのちいさな台風」はかわいい表現だけど自己主張できる存在であり、いつか風雨をもたらす予感として表現されていると思いました。
 
がらんどうを覗き込む後ろ姿 廃屋でよく会うフライトジャケットの男   森村明
ふたつのワード「がらんどう」も「フライトジャケットの男」も主体の分身であるように感じます。夢占いのようです。
 
重なりし指の長さを比べ居り上野の宵の月の清けし   悠山
どんなふうに重なっているのか、想像してうっとりしました。手のひらを合わせているのかも、手の甲に手のひらが重なっているのかもしれません。どちらにしても二人は手の重なりだけで満ち足りているようです。
 
百舌の餌の枝に悶ゆるはなにに似る 磔刑・離弁花・二人の歩幅   瀧川蠍
百舌鳥の早贄ですね、磔刑は見たとおりですが、そこから離弁花への飛躍が目を引きました。贄との関係をかつての花とし、今の二人の距離としているところ、なんて容赦がないんでしょう。
 
幾千の契約の場に立ち合いて朱肉ますます無口になりぬ   茂泉朋子
これは初めて朱肉を買い、初めてハンコを押す時を想像するとよくわかります。ふっくらとした朱肉の面におそるおそるハンコをあてる初々しさ。その真逆として、無表情にバンバン振り下ろされ、そりゃあ無口にもなりますよ、って感じです。
 
雲形の定規を置いて空をみるただの模倣のわたしの住まい   藤本玲未
私たちの生活はほとんど模倣のバリエーションかもしれません。それを普段は楽しんでいるはずなのにふと空しくなってしまう。どこか意図的に誘導されていると感じているからでしょうか。
 
みずからの影にその身をかさね葉は降る 道道の眼を隠すべく   松山悠
一枚一枚の葉の影がぱっちりと開いた眼で、引き合うように葉は影に向かって散る。ふたつが合わさった時、まぶたを閉じるのかと思えばそうではなく覆われているだけなのですね。闇に向かう光の献身というイメージですが、救済にはほど遠いのだと思いました。
 
風箱にかなしきわれを送りたり非和声音の解決を聴く   中沢直人
解決の糸口になるのが和音に属さない音であるというのがいいです。といっても具体的には知らないのですが、パイプオルガンの音に包まれ、音によって気づきがあるとは天からの啓示のようです。
 
週末の神さまみたい友の手にビールと串揚げ光っています   土井みほ
動画のようにくっきりはっきりこの友の姿が見えます。両手の位置とか光の当たり具合とか。めちゃくちゃ笑っています。
 
ぼんやりと窓のページが繰られてく男の子の小さな文庫本   小川まこと
「窓の」とあることでとても幻想的な世界が立ち上がってくる。窓の絵が描かれているページかな、ぼんやりと繰ることで知らず知らずのうちに次の世界へ入っていくようです。
 
子育てはブランクですか職歴に白チョコレートのような空らん   蛙鳴
「白チョコレート」がいいです。密に詰まった濃厚な経験があります。
 
くすぐりに弱くて誰も守れない 皮膚をなぞればおもしろく孤独   折田日々希
「うわーやめてくれー」と笑いながら全力で拒否してしまう。誰かと一緒にいて感じる孤独は世界から締め出される感があって、より孤独。「おもしろく孤独」が「おそろしく孤独」に見えてしまう。
 
ルービックキューブのように組みかわる主語も述語も出口の場所も   木村友
私にとってはいつまでも正解にたどり着かないルービックキューブです。意図しない組み合わせで発見できる出口もありそうです。
 
蓬髪を野放図に天にあずけつつ密議を終える蘇鉄の一族   井辻朱美
ヒントをもらいつつ、これなんだろうと考えているところに明かされる「蘇鉄」、ダメ押しで「一族」。一族でいます、うちの庭にも。密議と聞くと、幕末の志士みたいです。
 
水星からヒッチハイクで来たんだと語る瞳は炎を映し   河野瑤
山下一路さんのことを歌ったと思われる連作「夏を預ける」。私は山下さんとは面識がないままでしたが、この歌の印象そのままの方なのだろうと思いました。
 
まなうらに大麦小麦ゆれる夜おやすみこどもおやすみおとな   佐藤弓生
世界中の人々がウクライナとロシアのことを忘れきれずに眠りについていると思う。そうした思いがひとつになり悲しい目をして天上から祈ってくれているような気がします。
 
あいまいに言葉の分かる猫ちゃんが家にいるよう二歳との日々   齋藤けいと
「猫ちゃん」がいいなぁと思いました。写真もいいですが、大人になったときに成長の記録を短歌で読めたらきっと嬉しいだろうと思います。
 
鉢うゑのちひさき円に春を盛るふた葉はたれかをhugせむとして   歌野花
旧仮名遣いのなかにあって「hug」が際立っています。私はふた葉のことを体操選手の決めポーズのように感じていたのですが、もうそんなに幼いころから「hugせむとして」いるのですね。やさしいです。
 
情報化社会に溢れ出した線線線線に囲まれている   杉城君緒
「線線線線」と線が4つもあり、まさに包囲されています。一昔前のスパイ映画(?)にあったような赤外線が張り巡らされ触れると警報が鳴るみたいな。一方で、セイフティネットかもしれません。人が無意識のうちに避けてしまうようなことをキャッチしてくれるのであれば、それはそれでいいのかもしれません。
 
 以上です。

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