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かばん2024.3月号評

3月号掲載の歌からいくつかの歌について評(感想)を書きました。
 
◆特別作品から
 
小魚も熊もイルカも殺し合う 地球、地球、きれいな瞳  水庭まみ
上句のドキュメンタリーのような映像からぐーっと引いて地球が瞳となるカメラワークに引き込まれました。「地球」のリフレインには、残酷さを内包してもなお美しい地球への賛美と、人もまた残酷さを持ち合わせているという哀しみを歌わずにはいられない、という作者の思いが強く押し寄せてきました。
 
せつなくて無駄が多くてだらしないときにときどきポテトチップス  みおうたかふみ
姿勢よく食べるのがこれほど似合わない食べ物もそうないですね。「今日くらい、いいんじゃない?」って自分をゆるめることだって大事。そう思うとポテトチップスの存在はとっても偉大です。初句の「せつなくて」が状況を読者に提示していて、自然に寄り添うことができました。
 
友人があるく音だけ三月の博物館の天秤の翅  松山悠
「天秤の翅」というと、死者の罪を調べるため片方の天秤に心臓を、もう片方には真実の羽根を載せるという話を思い出しました。静かな博物館に「友人のあるく音だけ」が響いている。カツ、カツ・・・。この音は厳しさを持っており、なんらかの審判が下されるカウントダウンのようです。三月から魚座を連想し、罪を暴かれることも救済に至る道かもしれないと想像しました。

◆会員作品から
 
わたくしの小さな休日縁(へり)ばかり歩く小さな月の出るまで  遠野瑞香
畳の縁(比喩表現としてではありますが)かと思います。休日だからゆったりと畳の上に横になってもいいのに、縁ばかり歩くというのは、狭い世界で小さく過ごしている気がします。やっている本人は楽しい。でもそれを俯瞰して見てみると、小さい世界に閉じこもっているな、となる。「これでいい」「こんなんじゃつまらない」が同時に存在して、一日が終わる頃、私もこんなふうに後悔(反省)しているなぁと思いました。
 
いつだって言葉足らずのやわらかい気持ちの畑に声を植えたい  山内昌人
春のあたたかな畑の土。静かだけど土の中は微生物にあふれ多弁である。そこに「声」を植えたらどうなるのだろう。声は育ってどのような声になるのだろう。楽しみであるような恐ろしいような。
 
最後には言葉で言わなくてはだめで醤油をちょっと垂らすみたいに  とみいえひろこ
「醤油をちょっと垂らす」。小さくても決定的なはじまりを意味しているようです。言わなければならないのが別れの言葉であったとしても。
 
カヌレ割るあなたの指を信じつつあなたの指は物を書く指  千春
指の動きをじっと見つめる様子が目に浮かびます。いつか、私が泥の中であがくような危機に陥った時、助けるためにその指を汚してくれるだろうか。信じていたいという気持ちと「物を書く指」を自分のために汚したくないという気持ち。手ではなく「指」としたことで、より意志を問う歌になっていると思いました。
 
透き通る大きな時計が空にあり地球の時を示しているが  前田宏
どんな形の時計なのか、何を示した「時」なのか、想像が膨らみます。アナログの時計だとして、何時かを指しているとして、もし「12」が地球の終わりを表すなら・・・。今その時計は何時を示しているのだろう。
 
カメレオン同化の方法覚えてからいつ目があっても平気のへっちゃら  ゆすらうめのツキ
攻撃される可能性がぐんと減ることによって、のびのびと無防備に生きられる。でも、それは他生物間では有効かもしれないが、同じ生物同士ではどうなのだろう。他者の違和感にとても敏感な人間の群れの中、同化することは難しい。そもそも同化するべきなのだろうか。「平気のへっちゃら」なカメレオンがうらやましく思える。
 
わかりやすく世界が切れる坂道のむこうをつなぐ電信柱  柳谷あゆみ
上り坂の向こうの世界を予告するように見える電信柱、はじめて行く土地で急こう配の坂を上っていく時(特に車で)の不安を思い出します。ふと見える電信柱が地続きの世界を保証してくれて安心できる。私はすごい坂を上がった先の少し下ったところに住んでいるのですが、毎日見ている風景のなかにこんな歌の種があったんだ、と目を見開く思いでした。
 
会うひとも別れるひとも手を振ってだから地球はこんなに花が  夏山栞
手を振るという行為はつまりどういうことなんだろう。検索すると、基本的に「手を振る」という行為は相手に対して心を開いているサイン、とのこと。そこから愛情を示したり、別れるときは「無事を神に祈る」という意味に発展したようです。手のひらが揺れると花みたい。手形アートも花のように見えますね。
 
すれ違い絡む言葉を解きほぐす答え合わせの散歩路なり  悠山
ゆっくりと歩きながら、「あの時のあれってさー」と話すふたり。「なーんだ、そういうこと」と会話を交わしているのでしょう。歩きながら話すと言葉が柔らかくなるように思います。言葉で伝えるけれど、本当に伝えたいのは言葉じゃないんですよね。「答え合わせ」っていい表現だなと思いました。
 
ねむれない季節のひかり漆黒の弦楽器ほろり奏でるひとり  小川ちとせ
「漆黒の弦楽器」とはピアノのことでしょうか。月明りに照らされたピアノを想像しました。「ひかり」「ほろり」「ひかり」と軽やかに韻を踏んでいて美しいです。ほろりと奏でた音が自分の中にこだまして、ひとりの充実感と寂しさが同時に伝わってきます。
 
さわさわと洗濯物が揺れている私もじきに雲の向こうへ  木村友
衣だけを置いて行ってしまったかのように揺れる洗濯物。喪失は心に重くのしかかるけれど、さわさわと揺れる洗濯物を見ているとそんなに重く考えなくてもよいのかと思う。誰もがいつかこの世から消える、それはシンプルでさわやかなものと考えてもよいのかもしれない。
 
黒服が集まり影絵の国となるかくのごときかわれの葬儀も  松本遊
お通夜を歌った連作で、この「影絵の国」という表現がすばらしい。「黒服」「葬儀」というワードはどちらかでもよかったような気がします。自身も影絵の国の登場人物であり、この場において影絵でないのは死者だけなのかと思うとおもしろい歌だと思いました。
 
トンネルはどこにも続いてゐないから誰もが帰つて来る心臓  松澤もる
上句では閉塞感、下句では「ホーム」を想像させるあたたかさがある。行き場のなさを救うようであり、それでもやっぱりここからは出ることはできないのだという諦めも漂う。相反するものに感情が左右に引っ張られ動けなくなりました。
 
朝の陽が深夜喫茶に差し込めば白飛(しろと)びしてる将来のこと  浅香由美子
「白飛び」とは写真が光が過度にあたって白くなること。この白飛びが写真のどのくらいの大きさを占めるのか、想像してみるといろいろな物語が生れてきそうです。自分の顔だけ見えないとか、誰かいるけど誰だかわからないとか。見えないことは不安ですが、未来の幸運もまた見えない。これからの変化を不安に感じながらも、この歌の映像には明るさがあると思いました。
 
木漏れ日がきみの体にさはるやうに明るくかるく触りたいなあ  久保茂樹とても大切に思っている人なんだろうと思いました。「さはる」という意志を嫌わないでほしいし、傷つけたくもない。「触りたいなあ」の結句は、そうは思うもののできないなあ、と言っているような気がします。木漏れ日は「さはる」、人は「触る」の使い分けもなるほど、と思いました。人はどうあっても生々しい。それが哀しく感じられます。
 
「ポカ休」と呼ぶらし不甲斐ないけれどポカキュウと鳴くこいつをなでる  深海泰史
「ポカ休」という言葉は初めて知りました。出勤当日になって急に休むことなんですね。体調不良ではなく、急にやる気がなくなって休む感じなのかな。「ポカキュウと鳴くこいつ」が電池切れを教えてくれるのかもしれない。「こいつ」はどんな生き物なのか想像すると楽しいです。ピカチュウみたいな感じ?
 
三時間後に雨が降る予報とはあくまで予報強気で歩く  有田里絵
予報はありがたいですが、それに縛られて行動するのは嫌だなと思います。降ったら降ったで傘を買えばいいし濡れたっていいやん、でいきたい。「強気で歩く」、颯爽としていてかっこいい。有田さんの歌には、颯爽と歩く人物がよく登場する。ご自身もそうなのだろうと思う。
 
工事中みたいな気持ちで愛されて十年かけてビルにされそう  折田日々希
恋人になった頃から教育されて、結婚したらさらに教育されるんですね。ビルになるのは立派そうだけど、もうそこから動けないような閉じ込められる感覚。「ビル」という表現が男性を表しているように思います。ビルにされて心地よい人もいるし、反発する人もいる。愛のなかには相手を改変しようとする力が存在していて、おそろしいなぁと思いました。(いやはや、私にもあるのですが)
 
忘れるな、忘れてほしい、忘れたくない、忘れてもよい、そのあいだ  森野ひじき
五段活用のように並んだ言葉のそのどれでもない、という感覚。今の自分の感情をとらえるためにあらゆる角度に言葉を繰り出しているよう。「そのあいだ」かもしれませんが、今はまだ「そのすべて」のような気もします。

はつゆきよ誰にもわたしをゆるさないそれを暫く帆としてゆきぬ  森山緋紗
凛とした佇まいに惚れます。「はつゆき」だからいいのだと思う。雨だとずぶぬれになって髪の毛は貼りつき、気持ちはあっても姿がみじめで帆は張れない。今はじめてこの決意をしたのだから「はつゆき」なのだと思う。雪は体温で解けてしまう。私は負けない、という思いがこの光景に現れている。

ガーベラの似合うしつらえ知られずにだるくたたずむアパルトマンは  小野田光
なんでも見た目じゃない、ということなのだと思う。外観が古びていたとしてもその中に暮らす人の矜持が同じとは限らない。ガーベラからカメラが引いていくとこぎれいに片づけられた部屋の様子、また引いていくと少し古びた建物。そしてここは日本じゃなくて多分フランス・・・。読み進むごとに、おぉ、おぉ!となるカメラワークがすごいと思いました。
 
 
今月は以上です。

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