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かばん2024.4月号評

4月号掲載の歌からいくつかの歌について評(感想)を書きました。

◆特別作品から
 
エーゲ海きらめくばかり青く澄み母が沈んで父が沈んで  松本遊
小泉八雲の生涯をテーマにした『片目の男』の3首目。海はいのちのスープという表現がありますが、死を取り込んでもまったく穢れることなくそこにある。エーゲ海を実際に見たことはないけれど、きっとキラキラしてるんだろうと思わせます。その海は島国である日本を囲んでいて、今も父母に守られているかのようです。(これを書いている時、今秋からの連続テレビ小説が小泉セツさんだと知ってびっくり!)

指先が港の蕊に触るるとき忽ち変わる水兵の色  松澤もる
「港の蕊」とは何か、想像して楽しい。旗色を示す根本的な何か、宗旨替えさせるような圧倒的な力・・・。水兵がゲームにでてくるその他大勢のキャラクターみたいな感じがしました。

夜空には光の人の立つと言ふ顔は見えぬが確かに立つと  前田宏
古い言い伝えのような不思議な歌。ナウシカみたいです。『そのもの青き衣をまといて~』ってやつ。いつかこのような光景を目にするのかもしれません。人類の今できることを積み重ねた、とても地道な行いがこのような神秘的な現象に見えることがあるのかもしれません。
 
左目が記憶している風が吹く水平線を見るような恋  本多忠義
右が未来、左が過去を表すと聞いたことがあります。「水平線を見るよう」に遠くにあるけれど、なにも遮るものがない景色は清々しくあります。その世界に「恋」以外の余計なものを置かずに守ってきたからでしょう。静かな歌ではありますが、空と大地の間に光がちらちら動いているような、いきもののような歌だと思いました。

◆会員作品から
 
雪の野に光が反射するように家への不時着を繰り返す  山内昌人
家に帰りたいけれど帰れない。居場所があるはずなのに受け入れてもらえない感覚。雪に反射する光のやんわりとした拒絶を感じます。氷のような拒絶よりもつらく感じます。家族がいるともいないとも読めますが、どちらにしても現状を受け入れるための試行錯誤をしているのだろうと思いました。
 
四等星を最も明るき星として麒麟座はあり 北天冥し  遠野瑞香
この歌の肝は結句の「北天冥し」だと思います。北の守護神といえば毘沙門天で、悪から守る善なる神と言われている。今の紛争や戦争の先の見えなさに、善なる力が弱体化しているように感じたのかもしれません。それでも変わりなく北極星は道しるべの役割を果たしていると思いたいのですが。

杉の木が切り倒されて年輪の地下につながる渦かおり発(た)つ  江草義勝
木の年輪の平面がふいに立体的になったように感じられて驚きました。年輪の中心が地下へ沈み込み螺旋の階段が現れる。その地下を覗き込めば杉の木の粋(先に取り上げた、松澤もるさんの歌に出てくる「蕊」とも言えるかも)から発せられるような深い香りがきて、しばし陶酔しました。
 
親戚がよく死ぬひとと食事してうそは桜の花芽が好物  藤本玲未
一読してふふっと笑ってしまいました。いますね、こういう人。「花芽」を摘んでしまっていることに気づかない。でも、そういう人と食事をするというのは、まだ手を放すところまで気持ちが行ってないのかな。悲しいな、と思いました。

長身を長方形の枠に入れ余白見ているキリンの切手  屋上エデン
キリンらしさは顔のアップでは伝わらず・・・と思っているのは人間の思い込みだな、と改めて思いました。枠のなかにいい感じの構図で収めたがる習性が(短歌を詠む)人にはあるかもしれませんが、枠を持たずに物事を見ることや、(自分の)枠にはめず表現することがいかに大切か、改めて考えさせられました。
 
さびしさを海と喩える歌を聴くわたしの砂漠はわたしの砂漠  夏山栞
わたしが生きるために欲する水の世界をさびしいと歌う歌を聴き、何かを持っている人の悲しみとわたしの悲しみは違う、と歌っているように感じました。わたしに海の水を注いでもすり抜けていくだけ。わたしを生かすものはおそらく別のもの、それを知っているのはわたしだけなのでしょう。

花屋行き花を一本買うときの絶望からの希望への息  千春
花が今の空間に新鮮な空気を運んでくれ、ようやく息がつけるというほどに切実な思いがそこにある。「行き」と「息」が呼応しており、動くことで自分を助けているのだ(動けるわたしはまだ大丈夫)、という思いが伝わってきました。
 
脳みそにあえてチップを入れずともわたしは従う気で動いてる  岩倉曰
わたしも従う気でいる方ですが、たまに従わせる側に立つときがあり、その時は他人がことごとく従ってくれない前提で物事を考えてしまうことに気づいてしまいました。
 
生牡蠣を一つすすると一つ分意識の芽吹く音の湧き立つ  悠山
「おっ!」とか「ん~♪」とか。あのポップアップしたような感覚を「一つ分意識の芽吹く音」と歌われていて、確かに確かに、と思いました。

相づちを打つようにして火を灯すプロキシサーバーは眠る森  みおうたかふみ
プロキシサーバーを調べると社内LANと外部インターネットの間に入ってデータの受け渡しをしてくれるものとのこと。社内サーバー室のようなところにある機器を想像すればいいのかな。灯りの点滅や音には彼らにしか通じない言語があるようで想像を掻き立てられます。間に入るプロキシサーバーはセキュリティ機能もあるようですが、ということはなんらか情報が変化している可能性もあるわけですよね。この歌をふまえて連作を読み進めていくと、次の歌はとても不穏な気配が漂ってきます。
疑いを知らぬ目をした人たちのすべての顔が照らされている
薄暗い部屋でパソコンの画面の光に照らされている人の顔・・・。こちらの歌を単独で詠むと無垢であることを祝福されているようですが、連作として読むと印象が変わるなぁと思いました。連作のおもしろさですね。

友だちを花嫁にする 天の指に摘ままれやすいドレスを着せて  森山緋紗
「天の指に摘ままれやすい」という表現にどこか不穏なものを感じてしまいました。摘ままれてしまえば、もう地上には戻ってこれないのではないか。と考えて、あぁこれは死出の旅なのかもしれないと思いました。
 
とぼとぼと人生を日々めくりてはときたま銀で縁取られた日  齋藤けいと
「銀で縁取られた」とはどういう日なんだろう。重要な決断をする日とか、みんなの前で褒め称えられるほどではないけれど、日々の地道な取り組みを知ってもらえるとか、「まちがってなかった」という確信を得るチェックポイントかな、と思いました。

各部屋をめぐる大家の手に五円ニセ大家なればこれしかやれず  土井礼一郎
五円といえば思い浮かぶのはお賽銭で、ニセ大家ではあるけれど神様かもしれない。私たちはこの世界に間借りさせてもらっているわけなので、神様=大家と言えなくもありません。ちゃんと各部屋めぐってくれるなんて、なんと足マメな神様でしょうか。
 
クロッカスではなくこれはヒアシンス 世界よもっと単純になれ  沢茱萸
多様性も極まれば混沌が待ち受けているような気がしますが、読んだ瞬間、私の脳内ではクロッカスとヒアシンスが田中さんと鈴木さんに置き換わりました。人間として括らなければならないことと、個人を見ることの両立について考えさせるような歌だと思います。
 
吐く息の白さも給湯器の湯気も日毎うすれて春はあけぼの  大黒千加
「春はあけぼの」への着地がとても美しい歌だと思いました。自然と春の早朝の気温が体感できます。「湯気」「うすれて」「春」「あけぼの」どの単語も調和していて心地よいです。
 
春一番のかけ声のきらら「とうっ」 垂直上昇の仮面ライダー  井辻朱美
「とぅっ」という掛け声は1号2号あたりだけみたいです。今の子らは知らないかも。それはさておき、上句の言葉のつながりに驚きました。「かけ声のきらら」こんなふうにつなげていいんだ! 「とうっ」の後にきらきらが残ったように見えました。

歩いては呑み呑んでは歩く三人のなかの一人は打出の小槌  笠井烏子
「打出の小槌」? スポンサーかなぁ?と思いつつ、この三人目は本当はそこにはいないのではないかと思いました。お酒が入って次から次から楽しい話が湧いてきて、まるでそこにもうひとりいて話題を提供し続けているかのような感じ。次の日に「あれ誰だっけ?」と聞いて「はぁ?」と言われるんですよ、きっと。

ああ、声は燃え残っている。花びらのほろほろつもる細道を辿る。  小川ちとせ
声は燃やせない、実感としてそう思います。この声をたどる時、道しるべのように花びらがある。この細い道を案内して人々と合流できる道まで、ひとりにしないでいてくれる声なのだと思います。

雑談を必勝形に持ち込んでゆく流れとか一級河川  深海泰史
一級河川って技術じゃなくて川幅とか長さとかだと思うんですけど(笑)これ、いつかなんかのタイミングで使ってみたい。「一級河川か!」ってツッコんでみたい。
 
髪ゴムはいつもかばんに入れてあるそしてかばんは三つあります  有田里絵
マジックでよくある、伏せた3つのコップのどれかにコインが入っているみたいな。毎日、当てもんのようにかばんを探すわけですよね。「そして」の使い方がツボでした。

墓石を見ていた人のかなしみが終わったような気がしてしまう  来栖啓斗
かなしみの消化時間はひとそれぞれだと分かっていても、隣の人がすでに悲しみ終えていると気づくのは・・・埋められないものを発見した気持ちになるような気がします。立場の違う夫婦間ならともかく、兄弟姉妹とかだと特に。
 
念入りで奇妙に長いうがいの音 掠れた横断歩道のような  土居文恵
うがいの音にも音程があると思いますが、そこそこの低音で野太いような気がします。音から横断歩道・・・という発想がすごいなぁと思いました。
 
せんそうがくるこないくるどこここにマクレガーさんのかくれがーミッケ!  千葉弓子@ちば湯
怖い。子どもらの鬼ごっこのバリエーションっぽくもあり、可愛くてこわい人形に見つかってしまうホラー映画のようでもあります。この明るさが怖さを倍増していて震え上がりました。そして、現実に起こっていることとして目をそむけたくなる恐ろしさがあります。
 
今月は以上です。



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