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かばん2023.10月号評
10月号掲載の歌からいくつかの歌について評(感想)を書きました。
今回は前号評の係として、私の評が12月号に掲載されています。同じ文章をここにも載せておきます。ちなみに10月は後期入会月で、新規入会の方の歌は1首ずつ取り上げました。特別作品は2首ずつです。
◆特別作品から
僕はただ僕であるからこのまんま僕を続けてればいいんだね
はにかんで君が小さく笑うとき胸の奥なる鈴鳴り止まず 山内昌人
『陽だまり志願』より。自己との対話から生まれた7首目。うん、とうなずきたいもうひとりの僕が見えます。12首目、鳴り止まない鈴の音にとまどいながらも喜びに包まれている様子が伝わってきました。ひとりひとりの胸の奥にある小さな神社、そこに鎮座する鈴を想像しました。
UFOが丘に着陸ぐらぐらと圧倒的に秋が下りてくる
なのにふと土曜日は来るなつかしい人と知らない今を過ごして 柳谷あゆみ
『圧倒的な秋』より。6首目、長い夏を終わらせる秋が急にやってきた感じをUFOの着陸と表現されていて、おぉっ、となりました。季節って空、宇宙から飛来するんですね。8首目、「土曜日」が秋を連想させます。日曜の巣ごもり感が冬っぽくてその準備期間のようです。必要な過去を取捨選択するのも、次の季節へ向かうために必要な準備なのだと思いました。
ゆめぎはをわれも駆けだすこひびとの手がゆつくりと犬を放てば
非常口誘導灯は日常が終はる気配にうつとり光る 森山緋紗
『駱駝の足』より。6首目、われはこひびとの方へは駆けて行かないのだろうと思います。駆けながら呪縛は解けていき、とらわれていたことに気づくような気がします。犬が放たれるのを見た瞬間の表情、駆けだす動きがスローモーションで見えました。11首目、6首目と連動して読みました。日常が終わってもいいのだと誘われているようです。「非常口」というところに日々の苦しみを感じます。
I want you に to を付け足す一呼吸みたいに愛が生活に負ける
忘れられた絵の具でぜんぶ描いたなら夜なんて窓だけの塗料さ 山田航
『愛が生活に負ける』より、4首目、連作タイトルを含む一首。確かに、I want youのあと一呼吸おきますね。I want you の情熱が to をつけると意味が変わってしまう発見。強めに聞こえる「~して」は生活するうえで必要ではあるけれど甘やかな時期を振り返ると淋しくもあります。とは言うものの、始まりはやっぱり、I want you なんですよ。11首目、窓の向こうをのっぺりとした色にすることで、部屋の中の豊かな色彩が見えてきます。明かりを消して家族が寝入った後も暗がりの中に息づくグラデーションが存在します。その生活の中にあたりまえの顔をして愛はあるのでしょう。
◆新入会員作品から
日がしずみ鳥たちの声がしずまった空がねがえり明日にシフト 石田郁男
「ねがえり」が面白いと思いました。夜から朝への変化だけではなく、裏切られるようでもあります。良かった今日も明日はどうなるか分からない。予想外の「ねがえり」に助けられることもあったりします。
仮根ってしっかりしがみついてるの? ワカメになって揺れたい 暑い
田中真司
海藻類の仮根について考えているうちに脳内には海のひんやり感が広がり、ワカメになって揺れたら気持ちいいだろうなぁ、と想像を巡らせたあとの「暑い」がおもしろいです。あ、現実に帰ってきた、と思いました。
カッターの刃を出したまま荷造りを終えたあなたが行ってしまった 田中赫
広くなってしまった部屋でじーっと見つめている様子が伝わってきます。「カッターの刃を出したまま」はぎょっとする光景ですが、ふたりの日常がまだ続いているかのように思いたくなります。
春風があふれる日にはカプチーノ育てるように肌着を重ねて 紺野くらげ
カプチーノの色合い、泡立てた牛乳のふくらみがそのまま肌と肌着の色と質感のようです。内側からふくらむものを大切に育もうとしているように感じました。
消費期限切れた牛乳あっためて復活させてそっと飲ませる 江下夏海
この歌は「復活させて」に強い力があります。復讐のようでいて、復活を願うおまじないのようです。
明日ここは共学になる種子抱いて眠るわたしに這えトケイソウ 北瀬昏
共学になる=他民族の侵入を許す、ような感じなのかもしれません。トケイソウから清らかな時間を閉じ込めてしまいたい思いを感じます。
生まれつき持たされているチケットもあること 山頂までの直線 夏山栞
ひとつ前の歌にロープウェイが出てくるので、山頂までの直線はロープウェイなのでしょう。「持たされている」という表現に複雑な味わいがあります。生まれ持った幸運には要求されるものが伴うのでしょう。地道を歩かず得るものと取りこぼすものとを天秤にかけているようでもあります。
保護猫の瞳に未知の星があり語れぬ過去を持ちて生きをり 浅香由美子
「未知の星」に惹かれます。怯えながらも奥から好奇心が光っているような瞳なのだと思います。
本当は、ほんとうはってたらればの明るいほうを仰ぎ見ていた 神丘風
「仰ぎ見ていた」の過去形がいいなと思いました。きっと今はそうじゃないのでしょう。思い描いた「本当」に近づいたのであれば、それは「明るいほうを仰ぎ見ていた」からです。
お嬢さん私のことが好きですか把握しましたでは左様なら 白田山頭火
一音一音、等間隔で置かれたように読みましたが、それでも「好きですか」のあと一拍置いてしまいます。その短さが切ないです。
性格が国土地理院本当は海で水着ではしゃぎたいのに 深海泰史
「性格が国土地理院」とはいったい…? 想像できなくて逆に興味がわきました。国土地理院のホームページを見てみましたが手掛かりを発見できず、もやもやしています。生真面目なだけではない何かがありそうです。
起きてからはじめての水 遠くから愛されたこと 水の甘さよ 島田幹大
今、口にふくむ水は地球上を循環したのち、多くの人の手を経てもたらされていることを「遠くから愛された」と表現されていると思います。前触れもなく突然理解する愛を「水の甘さよ」と感嘆されていることに感動しました。
さみしいを象形文字にしてみたら 天使の背中みたいに見えた 丸山となり
「さみしい」から「背中」というのは想像しやすいですが、「天使の背中」なのですね。天使は背中に羽をもっていて凛としていそうですが、そうか、さみしいのか。ひとり輪に入れない子の、でも、真っすぐに立っている後ろ姿を思い浮かべました。
有給の申請だけでは飽き足らず足の爪に忍ばせた赤 みづきゆいな
楽しい予定を思いついた時からすでに動き出している感じが伝わってきます。行動するのは足からで、そこにアクティブな色があるというのは象徴的です。
◆会員作品から
火に近い暮らしをすればいなくなった人の名前を呼んだりしない 湯島はじめ
「火に近い暮らし」から、まず縄文時代くらいの火を囲む人々が目に浮かび、そこから煮炊きしている時や、調理した温かいものを食べている時は気持ちが安定するなぁと思いました。さみしさを誰かや何かで埋めようとせず、暮らしに求めようとする姿勢に強さを感じます。
やる気とかあるわけなくて草なんだ(「草」というのはネットスラング)
斎藤見咲子
ネットスラングには疎いので検索しました。(笑)→「warai」→「w」→「草」。乾いた笑いを想像するけれど、草は踏まれてもたくましく、笑っているだけじゃないしぶとさがあると感じました。
親友のあかしが日に日にふえていく犬の消しゴム怯えているよう 水庭まみ
他者が入り込んでくる違和感にいち早く気づく消しゴムの犬、というのが面白いです。吠えるのではなく「怯えている」とは、かなりヤバい状況を表しているようです。「親友のあかし」が負のオーラを出しまくっています。
真夏には花のように咲き晩夏には朧げになる平和のことば ユノこずえ
原爆投下の日、終戦記念日と夏には決意を新たにして平和を願い、秋冬とゆるやかにトーンダウンしていく…ような気でいましたが、「晩夏には」。そうかもしれない、そうであってはいけないのですが。
串刺しの食べ物ばかり喰んでいる祭りの夜は百舌鳥の大群 ソウシ
にぎやかな祭りの印象が一変するような歌です。人間がことごとく異形の者に見えてきました。
それぞれが息子の担当決めている少女五人が順番を待つ 藤田亜未
連作ではないのかもしれませんが、「園児」という言葉が出てくるので、息子さんはまだ幼いのだと思います。が、まるで宮仕えの女官五人にかしずかれているかのようです。あら、モテモテと思いつつ、1首目に「全員が怪しく見えてしまう夜蛍と蝮どちらの光」とあり、それこそ宮中の陰謀渦巻く世界のようだと感じました。
自分以外の長い眠りはおそろしいあるひ春のひ芽を出しており 小川ちとせ
目覚めない、というのはおそろしいです。目覚めてくれなかったらどうしようと不安になります。でも、このおそろしさを眠る本人が感じることはない、確かに。下句の「あるひ」「春のひ」の「ひ」に違和感があり、確約できない未来を暗示しているように感じました。
「失礼します」を七色絞り染めにして走るなんだかいつもとちがう日 杉山モナミ
「七色絞り染め」が気になります。「失礼します」は退職する日の最後のあいさつではないかと想像しました。ムカつくこともあった、世話にもなったな、これで解放される、次なにしよう、とりあえず待ち合わせ…みたいな思考と感情があふれているようで面白い歌だと思いました。
四捨五入してきたことの四以下が排水溝を詰まらせている 島坂準一
日々の「ま、これくらい、いっか」と流してしまっているあれこれに思い当たることが多すぎて、思わず「うっ」となりました。
心臓は脈を止めない寝そべれば肌を押し上げ地を打ちつける 齋藤けいと
気力が弱っているときでさえ心臓は規則正しく血液を送り出す、その力強さが体感として伝わってきました。
帰りつきエンジンを切りドア開けるどっとふるさと我れにまつわる 江草義勝
「どっとふるさと我れにまつわる」、こどもたちが我先にと駆け寄ってきて離してくれないような、ふるさとをそんなふうに表現されていて思わず胸が熱くなりました。ふるさとを祖父母のように、父母のように感じていた頃を経て今はこどものように感じている、それだけの年月を重ねられたのではないかと想像しました。
星の夜は世界の幸福おもふなり〈ジョバンニ〉〈よだか〉の言の葉にれかみ 遠野瑞香
「にれかみ」を知らなくて調べると、にれかむとは反芻すること、とありました。〝みんなのほんとうのさいわい〟について、静かに思いを寄せる毎日が続いています。
お祭りの思い出料も含まれて屋台のフードちょっぴり高い 屋上エデン
「思い出料」という名目が直球で面白いと思いました。案外、みんな納得していると思います。
寮生活点呼の時間に手紙来るゴッドブレスユーの文字だけ光る 小鳥遊さえ
「神の加護があらんことを」というよりは「健闘を祈る」といった感じでしょうか。送り主はご両親(のどちらか)で、まさに今というタイミングで届いた言葉なのだと思いました。「光る」から驚きと喜びがあふれてきます。
コーヒーをホットにしても淋しくて深海の中どこへもゆけぬ 千春
コーヒーの褐色を光の射さない深海としていて、そこでひとりでいる恐ろしさが伝わってきました。淋しさは寒いです。
秋霖が窓にじませる図書室の本棚の裏ひみつを結ぶ 藤野富士子
秋霖は秋の長雨、とあります。その雨で外からは見えにくくなっているというシチュエーションに導かれるように秘密がつくられる。静かで深い引き返せない情熱を感じます。
階段を上るとき誰もがひとり膨らむごとに月も皺んで
階段を下りるとき道連れといてきみを思えばほんとうにひとり
とみいえひろこ
「道連れ」は他者ではなく自分のなかで満ちたものだと思います。やるべきことのエネルギーは自分で調達するものであり成果もひとり味わうものだと思えば、この2首は本質的な孤独を歌っていると思いました。
教科書屋時間を忘れる極楽よ夢の宝がわんさかわんさか 水野蛍
「教科書屋」が不思議の国のアリスに出てくる帽子屋みたいな響きがして素敵です。卒業してから本当に勉強したい時期がやってくる、今がそうなのですね。まぶしい光景です。
噴水は上がったとたん落ちていく今は認識したとたん過去 高村七子
今というのは瞬間なんだなぁと改めて思いました。「今は認識したとたん過去」の体言止めの余韻がとても大きく響きます。
遠慮なく反射しながら乗客が茜に染まるバス 百万遍 みおうたかふみ
「百万遍」は地名と知っているけれど、その字面からこのバスはこのまま浄土へ行ってしまうような光景を想像してしまいました。毎日、毎日、疲れた乗客を夕日の向こう、西方へ連れていくのです。
ぐんぐんとマティスが描いたデッサンの木々はノートをはみだし伸びる
松本遊
『マティス展にて』と題された連作。作品と対話するような歌が並んだなかで、この歌からは鑑賞時に感じたデッサンの木々の生命力がいきいきと伝わってきました。「ノートをはみだし」、今もぐんぐん伸びているように感じられたのでしょう。
翼竜がかつて抱きしめたことのある白亜紀の天より青い 父のおもいで
井辻朱美
高潔な青をイメージします。そして広い。世界は高く広く、どこまでいってもいいのだと示してくれているようです。そのような存在だったのではないでしょうか。
枝たちのおしゃべり周りの木に伝い梢が揺れるそれが風になる
Akira
風が吹くから木々が揺れるのではなく、ですね。小さなさえずりから世界を動かすムーヴメントだって生まれるわけですから。
おまへのはだへのうつくしさたとへやうもなく 禾目天目を眺めてゐたり
佐藤元紀
「おまへ」が人だという保証などなかったのだ、とこの歌を読んで思いました。禾目天目茶碗を調べてみると、なるほどすべすべとした肌をしていて、ずっと見ていたい気持ちになりました。
もろびとの星のやうなるきみの瞳(め)を銀経銀緯の宙(そら)に嵌めたし 瀧川蠍
「銀経銀緯」という壮大な銀河座標を思い描くだけでうっとりとします。「きみ」とありますが、初句に「もろびとの」とあるので、多くの人々ひとりひとりに語りかけているように感じます。世界中の人々の瞳が輝き銀河となるのですね。きれい。
電磁的記録のなかを頼るより海を見つける方法はない 松澤もる
「電磁的記録」というだけで、近未来の中華街にあるレトロなネットカフェが登場しました。誰も知らない「海」は、過去の記録へダイブするしか見つけることはできない…。まるで物語の導入部分のようです。
カステラは切っても切ってもカステラで額縁のなかの花はずっと花
土居文恵
ずっと美味しくて甘いカステラ、朽ちることなくずっと可憐な額縁のなかの花。そんなふうにわたしは生きられません、という宣言のように感じます。でも、そういう幻想にとらわれている人がいるんですよね、わりと身近に。
ささくれをそのままにする難しさ血の滲むほど努力していず 有田里絵
なにかに一生懸命になっている時は自分をなくせるのだと思います。そういう生き方を思い描きながらも、自分を二の次にできないことを「ささくれ」で表現されていて、鋭い痛みを感じさせる歌だと思いました。
つながらない街の落日をゆく車 街はわたしの胎内にある 吉野リリカ
『遠い声』と題された連作。報道で知るウクライナやガザ地区の現状に思いを馳せます。遠くの街ではあるけれど「わたしの胎内にある」。悲しみも憤りも共に感じようとする強い意志を感じました。
ベビーカー1台夜の交差点渡りきり飛んで戻らない蝉 沢茱萸
ベビーカーのみが交差点を渡りきったのか、そこに乗ってた子はいたのかいなかったのか、何も書かれていません。ただ、「渡りきり」という表現にあちら側へ行ってしまったのだと想像しました。蝉(の声)がこども(の泣く声)を暗示しているように思えます。夜の交差点とはそういう場所なのかもしれません。
仕事だからしょうがないよね決まりだから戦争だからしょうがないよね 嶋江永うみ
「しょうがないよね」の行きつく先が「戦争だから」。ここに至って取り返しがつかないことをしたと、横並びの小心さを後悔するのです。このままじゃいけない、と気持ちを掻き立てる歌です。
なおすたび少し早まる時計からたまに出てくる川底のすな 蛙鳴
この時計はここにあることが何か間違っているのでしょう。本当は川底にあり、川底には地上とは異なる時間の流れがあるのです。蓋をあけて地上の空気にふれるたび、本当の居場所を思い出しているような気がします。
責任を持たない会話に終始して大人の箸でつつくお造り 百々橘
結局、誰も食べないお造りが残るのですね。食べられないというか、食べたくないというか。
家族らはおててをふたつぶらさげて玄関居間を行きかっている
土井礼一郎
何(誰)の目線なんだろう。犬かな、植物かな。と考えてみて、これは人目線がいいなと思いました。家族であっても他者、その距離を時にはぐんとあけることも必要かと。また、人という生き物を無垢なまま見つめてみれば、このように見えるのかもと思いました。
理不尽を内包したままそこにありはぜた柘榴の美しきかな 悠山
柘榴がはぜるのは自然なことで、その自然を美しいと感じる。同様に人もそうではないかと言いたいけれど、なかなかそういうわけにはいかない。爆ぜてしまえば終わってしまうことを人は恐れてしまいます。
バーガーを一人の部屋でかぶりついて距離とは人の心が作る 生田亜々子
隣にいても遠い存在であることもあり、確かにそうだなと思いました。心をどこかへ飛ばしてかぶりつく時、バーガーはきっとさみしいでしょう。
大切な命のように濡れている衣服を干して乾かしていく 来栖啓斗
洗濯物を「大切な命のように濡れている」と表現されているのが新鮮でした。目線よりも高い位置に干すのも敬意の表れのように思えてきます。
いくぶんか行方不明となっているらしき私として傘をさす 雨野時
数あるドットのうちの一つがぱっと明るく大きくなる。空から広く世界を見て、あぁここにいたのかわたし、と確認しているようです。自分の立ち位置が把握しにくい人には有効な方法かもしれません。
レンタルの山羊もくもくと夏草を食むも満腹昼寝の時間
八月の高校野球をみて思ふもつと涼しいときにやればと 嶋田恵一
「八月の高校野球」、ごもっともです。しかし、いつもの嶋田さんの歌とはどこか違うような気がしてなんだか違和感が。と思ったら2首目に満腹で昼寝中の山羊が登場しているではありませんか。この山羊の夢に乗っかって人間の世界を見てみると、不思議なことがいろいろあるなぁという、ふわふわした発見の連作なのではないかと思いました。山羊→山羊座→冬という連想で、酷暑を食わせるためにレンタルした山羊ではないかと睨んでいるのですが、どうでしょうか。
スカイウォークのような歯列に座ってたちぎれかけてる緑の小ねぎ
小川まこと
「スカイウォーク」と「歯列」というかけ離れた大きさの比喩によって、自分が小さくなって歯の上をてくてく歩いているような感覚になりました。
しわしわなアルミホイルに真実を語って欲しいそれではどうぞ
折田日々希
アルミホイルには自分の顔が映ります。しわしわなので、たくさんの顔が真実を聞こうと待ち構えています。嘘が混じっている場合は、その多くの聴衆(自分自身)によって非難されそうです。「それではどうぞ」と丁寧に言っていますが、己の良心の目の前で言ってみな、ってことでしょう。
はじめてのドイツでしょうか 窓枠に見える入道雲はももいろ
土井みほ
「はじめてのドイツでしょうか」と語りかけたあと、会話が続いていきそうです。いつもとは違う雲の訪れに、自身がはじめて訪れた時の緊張感やわくわく感を思い出し、気づかっているようなやさしさを感じました。
膝折るやかしこまり鳴く鹿の声/曽良
飼育員立ち去りたればメィと鳴く小さき鹿が膝折らずして 白糸雅樹
『鹿島立ち』と題された連作。鹿島立ちとは、鹿島神宮に由来する故事から、旅行に出発すること、旅立ち、門出を意味するとのこと。(知らなかった)ちょっとした旅行にでかけた際、その地を詠んだ先人の歌や俳句がすっと出てくるのが素敵です。曽良の歌に対して実景を詠み、ちょっと苦笑いしている様子がうかがえます。
涼風が髪なでていく わたくしの分子が香り風となり吹く 榎田純子
ひとつ前の歌に「幸せになっていこうよ 悲しみは果てて空へと揮発するから」があり、わたくしから離れていく分子は悲しみであると読みました。悲しみは薄れる頃には他の感情と結びつき、新たな分子となって旅立つのかもしれません。一瞬香った後さっと風が運んでくれる、これもまた別れの儀式なのでしょう。
夕立ちに文をつづれり鉄線の一輪挿しに見まもられつつ 歌野花
鉄線といえば、ぱっちりとした瞳の凛とした花、強靭な蔓をもっていて花言葉には「甘い束縛」というものもあるそうです。そんな鉄線に見守られながらつづる文に何が書かれているのか気になります。夕立ちの音に遮断された中、本当の感情を言葉を選びつつ書いているような気がしました。
ゆつたりと夕暮れ色を濾してゐる老教員のひとりのじかん 飯島章友
自身がフィルターとなり、通過していく夕暮れ色をしみじみとあたたかく見送っているような気がします。泣きたくなるようではまだまだです。手元に何も残らなくても、自分を通過していった(子らの)余韻をただ味わうのが老教員の境地なのかもしれません。
以上です。
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