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かばん2024.1月号評

1月号掲載の歌からいくつかの歌について評(感想)を書きました。
1月号は全員2首の提出で、より個性が際立っていると感じました。

倖せを呼ぶごと明(あか)る朝の日の「放射冷却」窓(まど)霜(しも)の輝(て)り  浅香由美子
「放射冷却」の「放射」という文字に引っ張られ、朝日新聞の社旗のような朝日が思い浮かびました。いつもの朝日とは比べ物にならない強さが元旦の朝日にはあるようです。朝日を吸収して輝く霜を結句とすることで、万物に光が宿っているような神々しさが表現されていると思いました。

公平で冷たい指に触れられて私の中で狂い咲く花が  天原一葉
これは誰の手なのか、私は親の手なのではないかと読みました。自分を特別にしてくれるのは自分ではない誰か。その手を求める激しさを自覚してしまった、もだえるような歌だと感じました。

散らかったゆかで明日も寝るだろう探してみますと打ちこみながら  蛙鳴
人から見ると「散らかったゆか」でも本人にとっては巣のような居心地の良さがあります。「探してみます」と打ちながらも、その探しものの在り処は見当がついている気がします。それでも返答しないのは、自分の時間を誰かに割かれたくないからでしょう。

ともしびのともることなきそのまどをのこしてつたは一軒をだく  雨野時
人工物のガラスには足がかりが築けないためにその進路を変えているわけですが、これが植物でありながら動物的な気がします。「だく」とありますが、食っているという感じ。仕上がったものは別の生き物のようで、そこに造形美を見ることもできますが、同時に怖さも感じてしまいます。

古本の頁めくればぽろぽろと剝がれてしまふ活版の文字  飯島章友
読むたびに短い映像が流れます。剥がれないよう頁をめくろうと何度もトライするように、何度も繰り返し読んでしまいます。

すあまのような雲のやさしさ 春の夕宇宙船いくつ散りてゆくかな  井辻朱美
関西人なので「すあま」を知らず、検索しました。かわいいピンクで確かに雲のかたちみたい。こんな春の夕をいつだったか見たことがあったかもしれません。「散りて」は宇宙船のワープの残像みたいです。

バースデー・ソングを歌われて上手く微笑めない人よ、おめでとう  伊藤汰玖
かばん40周年の記念企画のひとつに関わることになり40について考えていた時、この歌のことを思いました。お祝いの言葉が気恥ずかしいような感じ。まさに「かばん40歳」に贈りたい歌。

瀬戸の海連絡船で渡りゆく若き日島の闇にまよえり  江草義勝
生まれ育った地域の地形が影響することはあると思います。瀬戸の海と日本海とは違うし、山の形によっても感じることは違うでしょう。いくつかの島は身近な目標ポイントになり得たかもしれません。だだっ広い海の闇よりはほんの少し具体的な迷いのような気がします。

夕焼けが怒(いか)れる主任の目を照らすきれいでやさしい遺伝子の色  江下夏海
遺伝子という言葉によって、人が本来持つやさしさが表現されていると思いました。主任の怒りは仲間を思っての怒りだったのではないでしょうか。

夜が来るのが寂しいと人と話した 子供が来れば子供と話した  来栖啓斗
年齢を問わず「夜が来るのが寂しい」という感覚はあると思いますが、それでも年を取るほどその感覚は強くなる気がします。それで寂しさがなくなるわけではないけれど、いろんな人にその日の夜をなんとか過ごせる小さな灯りを分けてもらっているのだろうと想像しました。それは人の根本的なあり方であると思いました。

天の手に組み立てられて薔薇 どんな比喩も負わないときうつくしい  佐藤弓生
薔薇にように美しい、というように比喩として使われることはあっても、○○にような薔薇とは言わないなぁと改めて思いました。うつくしいとは、他を引き寄せない孤高を保つことなのかも。

曲順がシャッフルされてまた摑みそこねる動いている心臓を  沢茱萸
普段シャッフルして聴かないのですが、確かに。曲順とありますが、短歌の連作に置き換えてみると、絶対にそう!と思います。

はっきりとした考えに触れた時 自分のことがはっきりとする  島坂準一
確かに! 実体のない「考え」の輪郭をはっきりさせるのは他者の「考え」なのだと思います。どちらかというと「はっきりした(違う)考え」がより自分の考えをはっきりさせてくれます。

白魚は海に磨かれ透きとほる月のかがやくしづかな夜に  嶋田恵一
なんてうつくしい、というか言いようがありません。

うつむいてタバコを吸っている顔に取りたくなった税も優位も  千田チタン
たばこ税がどんどん上がっていくのは、こうった心理があるのかもしれませんね。

めるちゃんの袖を拒みて手をひらく秋めくひかりにボディぴかりこ  ちば湯
「ボディぴかりこ」が素敵すぎます。

ながい論争の果ての朝 おとなりのデッキブラシの音は潮騒  土居文恵
デッキブラシの音は南の島の休暇のようなイメージがあります。「ながい論争の果て」とありますが、お互いに納得がいく結論に着地できたのでしょうか。私はできなかったと読みました。眠りと覚醒の合間で、今必要なのは休暇なのではないかと思いました。

幸せな公園・不幸な公園があって残りは植物公園  土井礼一郎
「幸せな公園・不幸な公園」とは人の手が入ったもので、人がよく利用し手が入っているものかそうでないか。これは地球上ごくごくわずかなもので、それ以外は植物の植物による植物のための公園なのだ、ということなのかな。

指さしたつもりのビルは来週に取り壊されて青空になる  みおうたかふみ
「指さしたつもり」という表現におもしろさを感じました。①取り壊し予定のビルを指でさしている映像 → ②ビルが消えて指と青空になった映像 → ③実際はビルを見上げているだけの主体の映像 みたいな映像の切り替えを楽しみました。

赦しかた習ってなくてママごめんおでこを押さえて思い出す傷  百々橘
子どもの立場で詠まれた歌ですが。これはかつて子どもであったすべての人が共感する歌であると思います。ママもまた「赦しかた習ってなくて」、そのまたママもそうなのです。そして大人になると忘れてしまうのです。

今月は以上です。
お読みいただきありがとうございました。

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