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かばん2024.2月号評

2月号掲載の歌からいくつかの歌について評(感想)を書きました。

◆特別作品から

 旅人に疑問の余地なく朝が来ることを伝える必要がある  壬生キヨム
旅人というのは、宇宙人。地球人なら朝が来ることに疑問の余地はないわけだし。とすると、どうやって伝えたらいいのかな。太陽や自転のことを話したいけど、最後には「とにかく、いつまでも真っ暗じゃないから安心して!」と言ってしまうと思います。地球のルールを知らない宇宙人はきっと不安だと思うから。

さびしげな鳥のようだね机から机へ渡る白いプリント  茂泉朋子
2月号ということもあり、卒業またはクラス替えを控えている頃の心情なのかと思いました。先生目線かもしれませんが、教室中でさびしさが共有されているとしたら、きっといいクラスだったのだと思います。

◆会員作品から
 
これだもの武器開発は止められぬ 手軽な銃がトイザらスにある  遠野瑞香
「ごっこ」と「本当」の境目を人間ならばきちんと理解できる、という前提で世の中は動いている。とはいうものの、無邪気におもちゃの銃を撃つ子供をただ無邪気に見ていていいのか、考えさせられる一首。
 
振り返るくらいならありがとうくらい言えよってもうビームが出そう  藤本玲未
「言えよってもう」あたりの高まりが好き。この高まりによって高いところからビームが放たれることが想像できてしまう。ビームはやっぱり目から出るんですかね。眉間かもしれません。
 
書くことに恩があるかもしれないと結露の窓に指すべらせる  有田里絵
小さい頃、結露の窓に意味もなく「あ」とか書いたような記憶があります。今、同じように「あ」を書いたらこのように感じるような気がします。「書く」という行為によって自分が作られてきた感覚、共感します。
 
ふるふると揺れる改札口を出て大きく羽ばたいている渡り鳥  みおうたかふみ
言葉が置き換えられているようで面白い作りの歌だと思いました。自動改札の開閉が「羽ばたいている」かと思いきや、改札口は「ふるふると揺れ」ていて、そこを通過した渡り鳥が「羽ばたいている」。このズレが歌を立体的(平行四辺形のような感じの)にしているような気がしました。
 
できることしかできないと気づいたら百々松の香はありふれて良き  百々橘
自分は自分でしかないという気づきと、常緑の松の組み合わせが一致していて自然に納得できる歌です。松の清々しい香りに胸がすっとしました。
 
溺れかけていた私は若く蘇生した私はもう若くない ここは凪の部屋  森村明
蘇生とあるので、いのちの瀬戸際、もしくは重大な心の危機を体験されたのかと思います。「もう若くない」と言ってしまうほどのエネルギーが使われたのでしょう。その感覚を歌にされたエネルギーがすごいと思いました。

かりんの実大きくふくらみどの曲の歌詞も刺さらずすべり落ちてく  沢茱萸
刺さらないのは歌詞のせいなのか、その実の堅さのせいなのか。きっとどちらにも原因があるのでしょう。ただ、防御に気をとられすぎていると言葉は自分に届かなくなってしまう。さて、どうするか、という歌のような気がします。
 
本当に気持を込めて飼うことがなくてやっと猫と気が合う  田村ひよ路
気が合うというのはとても深い部分での一致だと思うので、確かにそうだなと思いました。こうしてあげたいという愛情には混ざり物が多いということでしょう。
 
街路灯水面に映えて輝きぬ夜しか綺麗に見えぬこの川  浅香由美子
夜の川を輝かせているのは人工の光であり、昼間の光の下では特別きれいでもなんでもない。それを二人の関係に当てはめると満たされない気持ちでたまらなくなります。
 
あふれでる白さを持て余しながらおじいさんは立つ 歳月のような  柳谷あゆみ
なかなか白さをあふれさせているおじいさんを見かけません。この「立つ」がとても力強くて圧倒されます。いいなぁ。そのまま松の木にでもなってしまいそうです。
 
音階のごと寒さはのぼりきてグリーンティーは目にすきとほる  森山緋紗
冬の寒さをキーンと表現しますが、まさに音階が上がっていくようです。グリーンティーという表記は透明感があってこの歌にふさわしく感じました。(緑茶ではにごりが感じられてしまうという発見!)
 
どこまでも引くことの出来る引き算の蜜柑ジャム煮詰めるほど光る  とみいえひろこ
世の中のいろんなものは万人向けに薄味に作られているのかもしれません。その中から自分がこれ、と思ったものを自分自身で煮詰めて取り出していくんだなぁと思いました。蜜柑ジャムの輝きがとてもきれいです。
 
がむしゃらに立ち漕ぎをすることもなく自転車は坂をゆっくりと行く  森野ひじき
電動自転車に乗ってゆっくりと坂をのぼりながら思い出している、かつてのがむしゃら感。過去と現在の対比が際立つ作りです。とはいうものの、過去よりも現在に軸足はあり、時間の流れを受け入れている安定した心持ちが感じられます。
 
水滴をたっぷりたたえた鍋の蓋 叫びたかったあの日の私  Akira
鍋の蓋を取った時の発見に、過去の自分が伸ばしていた手をつかんだような感覚になりました。
 
ゆびのさき割れて火が吹くみずしごと布巾に赤い花がひらく  千葉弓子@ちば湯
火と水の対比を際立たせながら、「みずしごと」とひらがな表記にすることで水のトーンを落としているのがテクニックだなぁと思いました。歌の主役はひび割れた指先の痛みであり、それは実直に仕事をした証である。布巾についた血を花と表現したところに作者の思いが込められていると思いました。
 
瘡蓋のかゆみを堪へてかさぶたの剝がれるまでが遠足ですよ  飯島章友
「瘡蓋」が「かさぶた」に、傷の生々しさがうすれていく様子がひらがな表記にすることによって伝わってきます。「~するまでが遠足ですよ」はひとつの定型文ですね。これって関西限定なのかしら。この定型文をつかって題詠したら面白いかもしれないですね! 
 
今月は以上です。

 

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