「もっともっと優しくなりてえ」


人種差別と聞くと日本では黒人差別が思い浮かぶと思う。
というかそういう教育を受けてきたと思う。

日本では黒人を見かけても差別用語を投げかけることはないと思う。
でも今住んでるケニアでは差別用語を投げかけれることは日常茶飯事だ。
まだ言葉だけなら良いが、体に触ってきて逃げたりする奴もいる。

まるで白コマが劣勢に立たされている局面のオセロだ。
白コマ1つではなにも出来ない。
ここでプレイボードをひっくり返したとこでどちらかが怪我することは目に見えてる。
そんな子供じゃない。
これと同じことが日本で起きたらどうなるだろう。想像しなくてもわかる。

まあ彼らに悪気はないのだろう。
これらはリテラシーの低さからくるものだからつくづく教育の大切さを感じる。
黒人だけが差別の対象ではないことは前述の通り明白だ。

なにもここでそれらの愚痴をこぼしたいわけではない。
自分自身全然気にしていないし笑顔で対応する。

じゃあここでなにが言いたいのかというと、
被害者だけにクローズアップした議論は何も芽吹かないということ。

ここで置いてきぼりにしがちなのが加害者の心理。
誤解を招く前にいうと100%加害者が悪く100%擁護されるべきは被害者であることに間違いはない。
ただこれらのテーマををディベートする際に絶対蔑ろにしたらいけないのが加害者心理だと思う。

差別といっても千差万別。カラーからLGBTやら男女差別やら。
もはや人種差別に限った話ではない。
全ての悪行に沿う話だと思う。

傷ついた人に優しい人なんかたくさんいる。
でも傷つけた人に優しい人って少ないんじゃないかな。

加害者に優しさなど不要、言語道断。
と、ぶった切る人もいるだろう。
でも忘れないで欲しい、人間誰しも育った境遇や環境、情報によって加害者側になる可能性があることを。

そう、今何気なくスマホをつついているあなたも。
あなたが逆の立場に立たされた時、私を優しくしないで〜なんて言うのか。

今の時代SNSで一気に情報が拡散されてあることないこと話が出てくる。
社会復帰どころか社会に押し潰されているのが現状だ。

なぜか今まで自分自身も自分の周囲も罪なき人に危害を加えてきた人間が多い。
事実とは相反することを言わたり悪い噂は一気に広り、死ねと壁に書かれたこともあった。
失った信頼はレゴブロックみたいに崩れてとてもじゃないけどすぐには取り戻せない。

一方的にオブジェクションを並べたところで本質的なものは何も解決しない。
だからこそ一緒に寄り添い考えたい。思考を止めたら機械と同じだ。
そんなものペッパー君に任せとけ。

俺に差別的言動をしたケニア人たちは何を思っていたんだろ。
こういう場面はきっと日本に帰国しても、いや日本にいる方が多くて考えさせられるんだろな。

夢なんかないけど、優しくて強くて器のでかいかっこいい男になりたいな。

だからそんな彼らには言いたくないな、
『君のその手が汚れてないか確かめてくれ』
なんて。

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