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ジェーン・バーキンとフランソワーズ・アルディ

2024年7月19日金曜日に新宿三丁目のる・たん あじるでトークライヴを開催した。来れなかった人のために、披露したエピソードの一部をここに書き残したい。

アンニュイとノンシャラン

フランソワーズ・アルディの歌は、憂いがある。それに比べて、ジェーン・バーキンの方はあっけらかんとしている。
どうしてなのか?
それは、二人の生い立ちが大きく影響していると思われる。

フランソワーズの父親は一つの家庭に安住するタイプではなかった。どこかへ行ってしまい、彼女は、母子家庭(妹との3人家族)で育った。
週末には、母方の祖父母の家で面倒を看られたが、祖母は保守的で高圧的な人で、優しくしてくれなかった。
フランソワーズは、感受性が強かったので、勢い内省的になり、頭で思い浮かべる夢の世界に逃げ込んだ。
その後、家は貧しかったが、なんとかギターを買ってもらい、自分で歌を作ることになる。
母の勧めで、歌手のオーディションを受け、パテ・マルコニ、ヴォーグと立て続けに不合格となるが、ヴォーグからの「ペチュラ・クラークの代役でレコーディングしないか?」との電話連絡があり、補欠のような感じでデビューすることになった。

ジェーン・バーキンは、海軍中尉の父と舞台女優の母のもとに生まれ、兄は演劇や映画のシナリオライターをしていた。
子供の時から、俳優になりたくて活動し、17歳で音楽家のジョン・バリーと知り合い、18歳で(1965年)結婚、長女・ケイトを生んだが、3年後には離婚している。
そして、幼い子供はいるものの、映画やテレビ番組のオーディションを受け続け、パリへの進出を試みた。
いつも、前向きで、力強く前進していくタイプだ。

パリの街での幸運なめぐり逢い

フランソワーズ・アルディは、デビュー直後の1962年、モンマルトルのテルトル広場で偶然、写真家のジャンマリ-・ペリエと出逢い、被写体として雑誌に出るこという幸運に恵まれた。
その写真を見たデザイナーから次々とオファーが舞い込み、フランソワーズは、クレージュ、イヴ・サンローラン、パコ・ラバーヌなどのブランドのアンバサダーとして一気にファッション・アイコンへ上り詰めた。

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