ZUZUのロールモデル
ZUZUこと安井かずみについては、年代によってその捉え方が異なっていると思う。おそらく70代以上の方々にとっては六本木でディスコやバーを徘徊し恋をしているファッションセンスの良いモデルのような作詞家をイメージされるに違いない。50代、60代は、加藤和彦との理想的なワーキングカップル、お洒落で旅が好きでリゾート地でゴルフやテニスをして、素敵なお家(うち)でホームパーティをして手作りの料理を振る舞う姿を想像するに違いない。私は、結婚前と結婚後の彼女を Avant 和彦(かずひこ前)、Après 和彦(かずひこ後)と呼んで区別しているのだが…
ZUZUについていろいろ調べて行くうちに、彼女にはロールモデル(自分自身が目指すべき理想的な人物)が実在していたのではないかと推測し始めた。思い当たる節の或る何人かの人物について書いてみようと思う。あくまでも仮説に過ぎないが…
フランソワーズ・サガン
フランソワーズ・サガンは大学在学中に「悲しみよこんにちは」の原稿を書き、時間は掛かったがなんとか出版に漕ぎつけ、1954年に批評家賞(Prix des Critiques)を受賞した。その時19歳だった。処女作が売れ有名人になった彼女は、サンジェルマン・デ・プレで様々な文化人と交流することになる。
安井かずみは、文化学院在学中にアルバイトでアメリカン・ポップスの訳詞を始めた。エルヴィス・プレスリーの「GIブルース」を和訳した時は、まだ21歳の若さだった。六本木界隈で遊興を繰り返し、特に「キャンティ」では様々な文化人とアーティストの卵たちと交流した。恋愛にのめり込む生活の中でその後作詞家に転じ、1965年に伊東ゆかりの「おしゃべりな真珠」でレコード大賞作詞賞を受賞した。26歳で第一線に立った。
ZUZUがどのタイミングでサガンを意識したかは定かではないが、著書にはこんな記述がある。
「サガンは何気ない絹のシャツを着て、袖を少しまくっていた。もちろんすぐ真似た。」(「女は今、華麗に生きたい」大和出版刊)
彼女の若き日の自由奔放なライフスタイルは、サガンが手本になっていたに違いない。
サガンがお酒だけでなくドラッグにまで手を出したことは有名だが、安井も1970年にマリファナ不法所持の容疑で逮捕されている。72時間後に釈放された事なきを得たが、この点はお手本を間違った感がある。
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