デウスエクスマキナ①(執筆中)

 コンクリートの階段を登る。この扉の先はラジ館の屋上。先輩が潜伏し、この混乱の指示を出していると予測される場所だ。わたしはここまで登ってきたことで乱れたのか、緊張で乱れたのかよくわからない息を整える。ショルダーバッグから拳銃を取り出す。マガジンを入れ、スライドをひく。装填完了。左手で銃を構えつつ、ゆっくりとドアを開いた。先輩は私に背を向けて立っている。わたしはフロントサイトを先輩に向けた状態で、射程まで気づかれないようにじりじりと距離を詰めた。
「先輩。こっちを向いてください。ゆっくりと」
驚いた様子もなく、先輩はゆっくりと振り向く。左手にはトランシーバーのようなものを持っている、彼女が何をしようとしているのかという疑問を押さえつけ目の前の対処に集中する。
「来ると思っていたよ。」
ゆっくりと振る向く。憂いを帯びた表情で先輩は言った。
「下手に動かないでくださいね。動きを見せたら躊躇なく打ちます」
「きみが銃の取り扱いに慣れているとは意外だね。」
 少し揶揄うような調子で喋る。
 足元で爆ぜるような音が鳴り、硝煙の匂いが広がる。
「これでもですか。」
先輩の顔色が変わる。どんな状況なのかやっと理解したようだ。
「あまり下手なことをしないことですね。生殺与奪はわたしが握っているんですから」
「きみがここまでのことをするとは思っていなかったよ。いや、逆に言えばここまでのことをするのは君以外、世界の誰でもなかったのかもしれないね。」
それを俗に運命と呼ぶ、と先輩は付け加えた。その声色は狂気を帯びているように見えた。
 彼女がそんな言葉を言う事は意外だった。でも、振り返って思えば確かに「そう」としか思えなかった。文系の言葉は定義不能で、遡行的にしか見いだせないと言っていた西教授を思い出す。
「わたしはずっと疑問だった。あなたが何をしたいのか、何を知っているのか、何を考え、何を思ってきたのか。」
 先輩は口を挟まず、言葉の先を待っている。吸い込まれるような例の瞳でわたしを見つめた。わたしは、以前だったらそこから先の言葉を紡ぐことはできなかっただろう。だが、今なら言うことができる気がした。ゆっくりと口を開く。
「あなたは傲慢な人だった。自分の負っている責任の重さに、認識の茫漠さに常人が付いていけるはずがないからと勝手に心を閉ざしていた。わたしはそんなあなたに憧れた。完成されたヒトに。無理な話だけどあなたになりたいとすら思った。そしてこんなわたしにあなたは、あなたなりに応えてくれた」
でも、とわたしは言葉を区切り
「わたしにさえ全てを見せてはくれなかった」
 どうせ最後の機会なんだ。洗いざらい話してしまおう。わたしは投げありな気持ちで、声を荒げる。慣れないなりに。
「どうして信頼してくれないんですか!わたしだってあなたの力になりたかったのに!」
 先輩の表情は俯いているからか、よく見えない。
「全てを話せばいいというものではないよ。こればかりは。私は黒萩を信頼していないから話さなかったんじゃない。逆だよ。知ってしまうことは状況に対する全面的なコミットになると途中から気が付いたんだ。遅かったんだけどね。」
 俯いた顔をあげ、焼け鉢になったかのように先輩は言った。
「そう、もう何もかもが遅い!」
 両手を広げ、支配者のようなポーズを取る。
「こぼしたミルクは帰らない!だから私は選択をする。傲慢だけど人類の未来をかけたものをね。」
 その表情には世界を支配するであろう人間の顔ではなく、ただ後悔と諦念だけが残った顔があった。
「意思決定を大衆に開くこと自体の危険性は何千年も前から指摘されていた。私もそうだと思っていた。けれど、いざ自分が決める側となるとね」
 怖いもんだよ、とひしゃげたような表情で言った。初めて見る顔だった。
「話して下さい、先輩の見てきたこと、考えてきたこと。全てを。状況を始めるのはその後だっていいでしょう」
 暫しの逡巡。これは賭けだった。論理的な彼女に対してこんな見え見えの揺さぶりをかけることをこれまで選んだ自分が意外だった。
「・・・わかったよ」
 わたしはそれを同意と受け取り、グロックを下ろす。先輩は訥々と話し始めた。
 そう、一連の事件のことの始まりは3月に起こった無差別テロだった。


2050年。3月11日。

 俺は今から人を殺す。
 無意味に、無価値に。俺と同じだ。無意味に、無価値に。いや、違う。彼らは意味がある。愛し、愛され、顔面がよく、金があり、社会からも承認されている。俺は無価値だ。そんな無価値な俺が、今から価値のあるお前らを殺す。彼らは死んでゴミになる。つまりは無価値になる。
 俺と同じだ。イコールだ。
 彼らは死んで初めて俺と同じ立場に立つ。正しい彼らは、間違った俺とようやく同じ土俵に立つ。そして俺は奴らに叫んでやるのさ「どうだ、同じだっただろう。結局俺とお前たちは」ってね。
 世間は俺のことをこう言うだろう。
「気持ち悪い」
「理解できない」
「動機不明」
「自分勝手」
「迷惑かけずに一人で死ね」
 すべてクソくらえ。
 奴らはは俺の復讐心をすくすくと育てたのが他ならぬ奴らの言葉であることに気づかない。すべてわかっている。奴らが今回のテロを起こしたときに考えそうなパターンはすべて検討した。どれも下らない凡人どもが考えそうな意見だった。奴らは本質的な領域まで思考を飛躍させることができない。
 なぜこんな使い古されたテロのフォーマットをなぞり、実行するのか奴らは理解できないだろう。それは愚鈍であることを意味するとともに、どこまでも無痛的な透明人間であることを意味する。まともな人間を気取っておきながら、貧困と孤独に喘ぐ人々を無視した奴らが一番まともじゃない。
 そんな人の大半は善良?
 馬鹿を言え、善良なその奴らが俺を苦しめたんだ。
 ここまで考えるという犯行の動機は義憤のように思える。
 だが、俺は動機なんて結局のところ気に食わないからぶっ殺すでしかないんだと気が付いた。
 つまりは嫉妬だ。
 わかっている。動物的な感情の延長線上、思想も動機もクソもない。ありふれた使い古された低俗な感情だ。オマキザルにだってある。つまりは無価値だ。俺はその無価値性を知っておきながらもこの行為を起こす。それしかないと知っているから。これが俺の運命だから。
 言い聞かせるように俺はトイレの中で座りながら考えていた。
 自動小銃の開口部を持った手が震えている。俺はAKの模造品を銃床を下にし、杖のようにして気づけば前のめりに寄りかかっていた。これは俺が悪いんじゃない。世間が、広く言えば世界が悪いんだ。これは必然なんだ。自然現象なんだ。運命なんだ。必死に言い聞かせる。いや・・・違うだろう。その欺瞞性に気がつかないほど俺は馬鹿じゃない。そうだ。違うんだ。どんな審級があろうと俺のせいなんだ。世間で絶望の表現型としてのローンウルフ型のテロリズムが広がろうが、社会不安が広がろうが、政治の腐敗が極限までそこを突こうが、これは俺の責任なんだ。だから俺はこの行為を徹頭徹尾無意味で無価値であることを容認して行わなければならない。
 ため息を吐く。
 俺はなぜこんなにもクソどうでもいい倫理観にいまさらこだわり続けているんだろう。今から人を殺めるのに。

 全てが無価値に思える。

 ため息をつきながらAKに付いたスリングを肩にかけ、トイレのドアノブに手をかける。今更ながら思う。もし世界全てが無価値だとしたら。無価値なのは俺だけじゃないのだとしたら。クソッたれな上司も、害悪でしかない親も、ゴキブリも、電柱も、木々も、草も、散っていった桜も、京子も全て本質的に無価値なのだとしたら。
 全ての前提が崩れる考えが虚をつくように浮かぶ。いや、俺にはもうこれしかないんだよ。自嘲気味に笑い、トイレのドアを開いた。
 
 後戻りはできない。



 本日、午後未明東京都京王井の頭線で走行中の特急列車で自動小銃を持った男が乗客に発砲をする事件が発生しました。死傷者の数はいまだ不明ですが、警察関係者への問い合わせによれば相当数に上ると思われています。銃火器の入手元は警察が調査を進めている模様です。

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