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普遍的人権の灯火は、南アフリカが受け継いだ

Edwy Plenel メディアパート紙編集主幹論説 
2024年1月13日 訳:逸見龍生

〈われらの民衆の期待に応えようとするならば、ヨーロッパ以外の場所に目を向けなければならない〉。これは、フランツ・ファノンのエッセイ『地に呪われたる者 』(1961年)のほぼ最後の言葉である。
今日起こっている逆転現象の予言として読むことができる。…ベトナムからアルジェリアにいたるフランスの植民地戦争で、ファノンはヨーロッパがヒューマニズムの名でヒューマニズムを否定したことを猛烈に批判した。

〈ヨーロッパと離別しよう。ヨーロッパは、自国の街路の隅々で、世界の隅々で、人間と出会うあらゆる場所で人間を虐殺しながら、人間について語ることをやめない 。[...] ヨーロッパは、謙虚さや慎み深さだけでなく、心配りや優しさも拒否した。
浪費家のヨーロッパは人間に対しては金を出し惜しみしている。人間に対して傲慢であり、残虐であり、殺人的であると示してきた。兄弟たちよ、私たちはこのヨーロッパに従うよりも、もっとすべきことがある。そうではないか?〉

フランツ・ファノンを読み直すことは、…パレスチナが世界に向かって何を訴えているのか、私たちの未来の何が危機に瀕しているのかを知ることである。今日、権利、正義、平等の普遍性を守るのは誰だろうか。とりわけ、共有と連帯という意味では普遍化可能なものを、守るのは誰か。

自分たちのエゴイズム、とりわけ経済的なエゴイズムが危うくなると、たちどころにこの普遍性に反対し、普遍性を反故にすることを辞さぬほど、普遍性の正当な所有者であると主張する国家、民族、国家による略奪的な簒奪から、逃れたいと考えているのは誰なのだろうか。

南アフリカはハーグの裁判所において述べた。〈起源は正統性を担保しない。特定の国家、文明、文化などが独占したり、特権を持ったりする普遍的なものは存在しない。試練の時期において存在するのは、たえずつねに普遍化可能なもののみである。

特定の人類の運命──攻撃され、迫害され、侵害され、差別され、抹殺され、絶滅させられるなど──が、人類全体の運命を危機に瀕しさせている、この今のような時期においては。〉

2022年10月13日、ジョゼップ・ボレル欧州委員会副委員長兼欧州連合(EU)外務上級代表は、ブルージュに新設された欧州外交アカデミーの開校式で挨拶を行った。

〈ヨーロッパは、政治的自由、経済的繁栄、社会的結束が人類が築き上げた最高の組み合わせ〉 である。その一方で、〈世界の大半はジャングルであり、ジャングルが庭を侵食する可能性がある〉と彼は懸念した。〈ヨーロッパの庭師たちは ジャングルの中に入っていく必要がある〉 。

〈ヨーロッパ人はもっと世界に関わる必要がある。そうでなければ、世界の他の国々が、さまざまな方法と手段で私たちを侵略するだろう〉。

ガザが荒廃し、パレスチナが打撃を受けたいま、庭はどこにあるのか。ジャングルはどこにあるのだ? そして、ここ数カ月、世界と人類への関心を捨ててしまったヨーロッパの公的な〈庭師 〉たちは、どこにいるのだろうか? ジャングルは私たちに異質なものではない。

それは征服と権力、搾取と支配の盲目さによって、いままさに増殖しているのだ。どんなに清潔に見える庭も、最悪の蛮行の温床となりうる。アイデンティティ、起源、文明の名の下に、自分たちが他より優れていると信じ、大量虐殺という犯罪につながるのだ。

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