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【SS】雲の向こうの恋

朧月を見上げてため息をつく私は、生活に疲れたおばさん主婦にしか見えないだろうな、と思う。本当はただの50半ばの独身おばさんなのだけどね。読書会の後の熱を冷まそうと会場近くのベンチに腰掛けた。見上げれば笠のかかった月。読書会のテーマとリンクしていてちょっと出来すぎだな、と思った。
数か月前から読書会に参加するようになった。友人に誘われて何となく参加したのだけど、誘った友人は早々に飽きてしまって来なくなってしまった。逆に私は楽しくなりひとりで参加するようになった。元々読書好きだったのだが、老若男女様々な参加者の新しい視点に刺激を受けて更に読書が楽しくなった。それにしても色々な世代の人と交流することがこんなに楽しいとは。恐らく共通の「好き」で繋がっているからだろう。
そんな中、ひとりの男性が気になるようになった。年の頃は私とそんなに違わない気がした。多分私の方が少し上だろうけど。物静かな人で、自分の意見を押し付けるようなことは言わない。でも作品に対してしっかりとした意見を言える人だった。例えると文学青年がそのまま年を取ったような感じの人だ。私とその人は個人的に会話することはなかった。だからその人がどういう素性の人か知らない。家族構成も知らない。ただ顔を合わせた時に会釈するだけ。それでもその人は優しく微笑んで会釈してくれて、それが妙に嬉しかった。気がつけばあの人に会えることを楽しみにしている自分がいた。
今日、読み合ったのは『源氏物語』の『花宴』の現代語訳。私が「感情に素直になれる朧月夜がちょっと羨ましい。」と感想を言うと、あの人が「何となくわかります。」と共感してくれた。それだけの事に心から喜んでいる自分に戸惑った。私はこの感情を誰にも知られないよう必死で平静を装った。
「私、何をやっているんだろう。」
またため息をつく。まさかこんなことになろうとは思ってもみなかった。読書好きだということ以外何も知らない人にこんな感情を抱くなんて。相手に家庭があったらどうするの。仮にもし独り身だったとしてもこんなおばさん、相手にするわけないじゃない。頭の中でそんな言葉がぐるぐる回っていた。これが10代20代の若い頃ならば感情に任せて突っ走ることもできたかもしれない。でもこの年齢になるとそうもいかない。「いい年をして…。」と白い目で見られるだけだ。大人になるというのはそういうことなのかもしれない。それにしても友人には子育てを終えて孫の世話を、なんて人もいるのに、私は中学生並みの事をしている。何だか情けなかった。私はまた空を見上げる。ぼんやりとした朧月は私の心そのものだ。表に出しきれず、だけど雲に隠しきれない。またため息をつきそうになった時だった。
「今夜は朧月ですね。」
掛けられた声に目線を向けると、あの人が微笑んで立っていた。
「何だか奇遇ですね。隣に座ってもいいですか?僕も月を鑑賞したいので。」
「え、ええ。どうぞ。」
私はちょっと慌てて立ち上がりすこし横にずれて座った。
「ありがとう。」
その人はそう言って私の横に座った。その後二人で月を眺めていた。特に会話はない。いつも通り何も聞かない。色々知りたいと思う気持ちを雲の向こうに隠したままだった。それでもその空間と時間は嫌なものではなかった。それはまるで朧月のような恋の始まりだった。


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色々手直ししていてちょっと遅れてしまいました🙇
ヘッダーの写真は土曜日の夕方に撮りました。過去の写真を見たのですが、春に月を撮っていなくてちょっと焦りました💦でもタイミグよく土曜日の月が朧月になってくれてホッとした次第です。

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