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【SS】あの日と同じ青い空

月曜日の午後3時。週明けの慌ただしさがようやくひと段落した頃、ふと空を見上げた。思わず見とれてしまう程の青い空に、縮こまった体を伸ばしたくなった。一息つくために席を立ち、建物を出た。駐車場の隅の車が止まらないスペースで大きく深呼吸をした。
「そういえばあの日の空もこんな感じだったかな……。」
私は久しぶりにあの日の事を思い出していた。

「OK!私が手伝わなくてもできたじゃない。」
「ありがとうございます。風間さんのお陰です。」
その日は以前勤めていた職場の最終出勤日だった。自分がやっていた仕事を同じ部署の後輩、合田沙良に引き継いでいた。
「でも、来月からはひとりでやらなきゃいけないんですよね。なんか不安です。」
「大丈夫。今月だって私の手伝いが無くてもちゃんとできたじゃない。」
「でも……。」
「合田さん、大丈夫だって。自信持って。」
私の励ましにまだ多少不安そうではあるが合田さんは笑顔を見せた。
「じゃあ、このデータを小泉主任に送っておいて。」
「はい!あ、風間さんは……。」
「私は片付けがあるから。後はよろしくね。」
「はい。」
合田さんはさっきよりは明るい笑顔で部屋を出た。私は残っている私物の整理を始めた。明日からこの場所には来ない。引き継ぎは終わった。次の職場は決まっているが出社は来月初めからで、少し余裕ができた。なのでこの際だからと残っている有給休暇を使って休養を取ることにした。ただし引っ越しやその後の片付けなどでのんびりはできないが。
何となく感慨に浸りながら片付けているとメールが届いた。
―少し話せる?屋上に来て。
差出人の名を見て軽くため息をついた。相変わらずだな、と思う。とはいえこんなことも今日で終わりだ。私は部屋を出た。
「よう。」
屋上に上がると手すりのそばに元カレ小泉悟が立っていた。悟は両手に持っていた缶コーヒーのうち1本を私に差し出してきた。
「ありがとう。」
私はお礼を言って受け取ったが、飲まずに手に持ったままにしていた。悟の方はそんなことはお構いなく蓋を開けて飲み始めた。
「今日が最終出勤日、だよな。」
「そうだよ。」
「次はもう決まっているんだっけ?」
「うん。」
「いつから?」
「来月から。」
「それまではどうする?」
「忙しいよ。引っ越しするから。」
「別に引っ越しまでしなくても。」
「次の職場に近い方が良かったの。」
「そうか。」
他愛のない話をしながらも、私は遠くの景色ばかり見ていた。今日の空は何だかいつもより青く見えた。
「相談してほしかったな。」
「何を?」
「転職のこと。」
この時初めて私は悟の方を見た。悟は私と同様、遠くの景色を見ていた。
「仕事をしたいって本気だったんだな。」
「だからそう言ったじゃない。」
「そうだけど、付き合っている時、そういう相談をしてくれなかったじゃないか。」
「……。」
「なんか寂しかったよ。」
「……。」
私は景色の方へ目を向けた。何となくいたたまれない気持ちだった。
しばしの沈黙の後、悟が私の方を向いた。
「じゃあ、俺、行くわ。」
「うん。」
「最後に話せて良かった。」
「そうだね。」
「元気で。」
「そっちも。」
悟はちょっとだけ微笑んだ。悟が建物の中へ歩き始めた時だった。
「悟。」
私は少し大きな声で悟を呼び止めた。
「私の仕事は全部合田さんに引き継いだから。」
「あ?ああ。」
「合田さんのこと、頼んだよ。」
「ああ。沙良……合田の事は任せておけ。」
悟はそう言って前を向き直り歩きながら手を振った。私はしばらくの間、空と景色を眺めていた。

あれから1年。悟とは一度も会っていない。引っ越しして、転職して、慌ただしく目まぐるしく日々が過ぎていった。だからあの頃の事を思い出す暇もなかった。こんな風に思い出せるようになったのは落ち着いてきたということか。
「あの缶コーヒー、いつも買ってくれたけど甘すぎて苦手だったんだよね。」
私はポツンと呟いた。悟は私の事を見ているようで見ていなかった。転職の事だって本当は何度も相談しようとしていた。だけど声を掛けても生返事しかしない悟に、いつしか相談することを諦めてしまった。そして彼・彼女の関係を続けることも。
「こんな穏やかな時間が来るなら、あの日の決断も悪くなかったのかな?」
空を見上げたまま、私はそう呟いていた。

この時の私はまだ分かっていなかった。本当の荒波がやってくるのはこの後だということを。


こちらに参加しています。

小牧部長、いつもお世話になっております。
今回はお久しぶり『Starting Over』シリーズの作品です。


残っていたキーパーソン、小泉悟と合田沙良を出しました。そろそろ本編を、と思っていますがどうなることやら。またこちらでお知らせします。





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