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『暴露 スノーデンが私に託したファイル』

エドワード・スノーデンは、ご存知の方も多いと思いますが、簡単にご紹介すると、アメリカ国家安全保障局(NSA)および中央情報局(CIA)の元局員で、アメリカ合衆国連邦政府による情報収集活動に関わっていた人です。そこで得た情報を2013年6月に複数の新聞社にリーク。それまで陰謀論やフィクションで語られてきたNSAによる国際的監視網の実在を告発したことで一大センセーションを巻き起こしました。

そのセンセーションの立役者が、今回ご紹介する『暴露 スノーデンが私に託したファイル』という本の著者で、ジャーナリストであるグレン・グリーンウォルドです。

この本では、スノーデンとグリーンウォルドがどのようにめぐりあったかといったドラマの面白さや、諜報機関がどのような情報をどうやってえているかといったことへの驚きもあったのですが、何より学んだのは、プライヴァシーの大切さです。


本書との出会い

スノーデンが最初に世にでてきたとき、私はまだ日々のニュースをNHKラジオで主にえていて、だからスノーデンのことも名前くらいは記憶に残っていましたが、彼が社会にもたらしたインパクトといったものについても、ほとんど考えたことがありませんでした。

それが2年前にオリバー・ストーン監督の作品を通してスノーデンの存在意義を知り、そのときにいつか読もうと思うようになりましたが、すぐに読みだす必要性を感じずに、心の片隅に置かれた状態が続きました。

昨年にはいって、動画での情報収集が格段に増え、グローバリストの支配による人口削減と人類家畜家計画などが進行していることを、陰謀論とかで切り捨てられないものと感じるようになりました。同時に、ソーシャルメディアなどで進む監視や検閲などを、私自身が実感するようになりました。そんななか、憲法改正が年初から始まる国会で実際に審議されることになるといったことも年末に知って、これまで享受してきた自由がさらに大きく制約される時代がきそうな危機感を強くもつようになりました。それで年末から、スノーデンを手始めとして、憲法など法制面も含めて読み進めていこうと考えるようになってのことです。

この本で一番学んだことー プライヴァシーの大切さ

悪いことをしていなければ、見られたとしても問題はないと思う人は多いと思います。私もどちらかというと、そう考えていたところがあったのですが、こだわっている人がいることも知っていたので、気になってはいたのです。そのプライヴァシーの大切さを悟らせてくれたのが、この本でした。

2001年9月11日に起こったニューヨークのツインタワーの崩壊以来、アメリカでテロ対策として始まった個人情報の収集。私自身、自分のメールがどこかで収集されているかもしれないという漠然とした予感はあったものの、世界中の人々の個人的なメールを含む電子データが収集されていたことを確信したのは、この本を通してでした。とはいえ、スノーデンが実態を暴露したことによって、今はもしかするとされていないのかもしれませんが、NSAは今も存在しており、なくなったともいえないと思います。

ですから現状がどうなっているかは、これからの読書などを通して知っていくことになりそうですが、この本を通して、なぜ国家が個人のプライヴァシーを侵してはいけないかが明確になり、今後読み進めていく上での動機づけともなりました。

まずプライヴァシーの大切さという点で、見られていたり監視されていたりするとどうなるかについて、スノーデンの発言をいくつかご紹介します。

誰かに見られるだけで、人間の行動は大きく変化する。まわりに期待されているとおりに行動しようと必死になり、恥をかいたり、非難されたりすることを避けようとする。(中略)その結果、他者の視線を感じているときに人が考慮できる選択肢の幅は、プライヴェートな領域での行動時よりもはるかにかぎられることになる。つまり、プライヴァシーの否定は、人の選択の自由を著しく制限する作用があるということだ。(中略)私たちはほかの誰にも見られていないと信じているときだけ、自由と安全を感じることができる。何かを試し、限界に挑戦し、新しい考え方や生き方を模索し、自分らしくいられるのは、誰にも見られていないときにかぎられる。インターネットの魅力はまさにこの点だった。匿名で会話や行動ができる場所、つまり自己の探求に欠かせない機会を与えてくれる場所。それがインターネットの魅力のはずだった。

『暴露 スノーデンが私に託したファイル』259頁

政府が全員の行動を監視しているとなると、反対運動を起こすこと自体もむずかしくなる。それどころか、大量監視は人間のさらに奥深くにあるもっと大切な場所で、反対意見の芽を摘んでいる。言い換えれば、人々は頭の中で、まわりの期待や要求に沿う考え方をしようと自らに教え込むようになる。

『暴露 スノーデンが私に託したファイル』265頁

悪事を働いていると思われたくないのであれば、監視能力を振るう当局を挑発するような真似は慎むようにということだ。この取引は受け身で従順な態度を招く。当局に眼をつけられずにすむ一番安全な道は口をつぐみ、彼らの脅威になるようなことは何もせず、従順でいることだからだ。

『暴露 スノーデンが私に託したファイル』293頁

ここで取り上げたスノーデンの発言は、私にはとても思い当たるところがあります。私はアメリカに留学したことがあるのですが、そこで学んだことによって自分で考えるという習慣を身につけました。それまでは、日本人がよく言いそうなことを自分の意見としていたところがありました。それが、自分の頭で考える習慣をアメリカで仕込まれ、留学前の自分の発想がいかに周囲の空気に制約されていたかに気づくという体験をしているので、スノーデンの「まわりの期待や要求に沿う考え方をしようと自らに教え込むようになる」といった言葉は響きます。

自分なりの意見をもつようになった今は、ソーシャルメディアでの発言で、かなり気を使っている自分にも気づいています。YouTubeで感染症などの話をするときは、特に気を使っています。ですから、自己検閲がやはり働いていて、自由に表現したいという思いと、YouTubeなどのプラットフォームの制約のなかでどのように表現していくかを模索しているところがあって、制約が思考を委縮させていることは絶えず感じています。

その委縮効果だけでなく、民主主義社会においてプライヴァシーが大切な理由について、スノーデンは次のように語っています。

民主主義には統治者の説明責任と統治される者の同意が不可欠だ。自分の国でおこなわれていることを国民が自ら知ること以外に民主主義国家を実現する道はない。国民が政府の役人の行動の一切―ごくかぎられた例外はあっても―を知ることは民主国家の前提だ。それこそ役人が公僕と呼ばれ、公の部門で公の業務に従事し、公の機関のために働く所以でもある。逆に言えば、政府は法を遵守している国民の行動については―ごく限られた例外はあっても―何ひとつ把握していないことも、また民主国家の前提だということだ。それこそ、われわれが私人と呼ばれ、私的な立場で行動する所以でもある。透明性は公務を遂行する者、公権力を行使する者のためにこそあり、プライヴァシーはそれ以外のすべての者のためにこそある。

『暴露 スノーデンが私に託したファイル』314頁

この一節はとても大事な指摘をされていて、民主主義は私たちが政府のしていることをそれなりに知っていてこそ健全に機能するものです。今は政府が何をしているかをほとんど知らされないまま、私たちのプライヴァシーや選択の自由を大幅に制限するような制度がつくられつつあり、民主主義においてあるまじき逆転現象が起きているわけです。

たとえば、世界保健機関(WHO)で進んでいる国際保健規則の改悪やパンデミック条約の制定といった話でも、立憲民主党の原口一博議員が超党派議連を立ち上げて、厚生労働省や外務省に説明を求めなければ、私たちは何も知らないまま次の感染症がきたときにワクチンを強制される事態になっていたかもしれないのです。今も、役所はほとんど説明していないに等しいですが、少しずつ状況が明らかになりつつあり、この事態に懸念をいだく国民の数も増えてきて、世論も形成されつつあります。

そうやって私たち一人一人が学び発信し続けていくことで、私たちのプライヴァシーや自由を制限しようとする公権力の勢いを押しとどめ、逆転させていかなければならないのだと思います。そんなことを考えさせてくれる一冊でした。

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