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執着を生み出す物事と、どう関わっていくか〜ヨガ哲学と占いのよもやま話vol.8

お越し頂いて、ありがとうございます🥰
Noriko_dipaです。
今回は、ふとテレビで拝見した事から、
ヨガ哲学について、考察してみたことを、
書いてみようと思います。
よろしければ、お付き合いくださいね。

私は、ネイタルの天体が風に分類されるものが、月しかないので、
昔から感じていた事なのだが、恐ろしく情報に疎い😂
自分にとって必要な情報はめっちゃ積極的に取りに行くのだが、
世の中で今何が話題になっているのか?とか
芸能人のスキャンダルとか、
わりかし皆が大好物なネタを、
まあ知らない事が多く、

えっ⁉️知らないの⁉️
今めっちゃ話題になってるよ❗️
テレビでも毎日取り上げてるし😅

とよく言われて、
すいません…💦って思う事がよくあります😅

そんな調子なので、
先日朝イチに出演されていた、
稲垣えみ子さんのことも、
全く知らなかった😂
皆さんご存知ですか?
ご存知ない方は、ネットでググると出てくるくらいの、有名な方なので、ご覧になってみてください😂

その、稲垣えみ子さん。
めっちゃインパクト大のルックスに、目が釘付けになり、
この方何者❓なぜアフロヘアなの…❓
などと思いながら少しテレビを眺めていたら 
皆さんご存知かもしれないけど、この方の生活ぶりに衝撃を受けました。

ひと月の電気代200円、ガス契約なし、洗濯機、冷蔵庫無しの生活をされている、という。

え?どうやって暮らしてるの?無理でしょ?

まずは正直にそう思った。

洗濯は手洗い、お風呂は銭湯、掃除は箒とちりとり、料理する際の熱源はカセットコンロ、常温保存可能な保存食を手作りし、
昭和初期のような暮らしをされている…

などと、番組の冒頭ではキャッチーに、それらのことを放送していたのだが、
今の時代にこんな生活を出来るって…この人はすごい人なのかもしれないけど、
私の聞きたいことは、きっとテレビではやってくれないだろうな…

と思って、テレビはすぐ消してしまった(私はテレビはいつも消す係なのです、静寂が好きなので)のですが、
常日頃、時間が足らないことが悩みの種の私は、
稲垣さんのおっしゃる、

最小限の家事

というワードに心惹かれて、

自分は、こんな生活をできるだろうか?
このような生活をしたら、どんなメリットがあるだろう…?

など、諸々の事を
数日かけて考えてみました。

こういう時に、私はどうしたって
ヨガ哲学に当てはめて考える癖がありますが、
ヨガ哲学的に考えてみて、稲垣さんのようなライフスタイルは、

執着を手放す

からこそ成り立つライフスタイルだと思うんです。

執着を出来る限り手放す事で、
苦しみを生み出さない、という事に繋がっているんだろうな、
だからご本人はとても楽だと仰ってるんだな、と考えました。

まずはひとつずつ解説していきましょう。


前回、アップした文章の中に、
クレーシャのお話を最後に少し書いたのですが、
クレーシャとは、私たちの苦しみの原因になるもの、を言います。
クレーシャとは、

無知、自我意識、執着(好き)、憎悪、死への恐怖

の5つであると言われています。


前回とは違った角度で、この5つを見てみると、

執着することで、人間って苦しむんだなー

という共通項が見えてくると思います。
まずはしっぽの方から見ていきましょう。

死への恐怖とは、言い換えれば生きることへの執着となりますし、
人間、いつかは誰でも迎える死というものを受け入れなければいけない時が必ず来ます。
生きることへの執着は、人間の本能でもあるからこそ、手放すのはとても難しい事だと言われているのですが、
私個人の考えとしては、この大きな執着を人生の最後に手放す事ができるように、
そこに至るまでの道のりで、いろんな執着に気づき、手放す練習をしているんじゃないかな、と思います。

次、嫌悪について見ていきます。
嫌悪って、なんで起こるのか考えた事ありますか?
嫌悪という感情は、過去の記憶に紐づいています。
例えば前回、私はゴ✖️✖️✖️が怖い、嫌い、と書きましたが、つまり嫌悪しているわけです。
正確に言うと、ゴ✖️✖️✖️だけではなく、
虫全般を嫌悪してます。
それは、子供の頃に虫に関して嫌な思いを沢山したから。

スズメバチに背中に止まられて、長逗留されたりとか(刺されはしなかったけど、死にそうなくらい怖かったです😭)。
虫とは、こちらの意思が全く通じない相手、という認識が、
私の脳裏にこびりついています。
他にも虫には怖い思いをする事がめっちゃ多くて、
それらの記憶が憎悪の根っこになっていると思うのですが、
これも、その過去の記憶をある意味、ぎゅっと握りしめている、その記憶に縛りつけられている、という事になりますよね。
その記憶をある意味塗り替える事ができたら、憎悪という感情は無くなっていくんだと思います。



そして、自我意識について。

自分ってこういう人間である、という意識の事を、自我意識と言いますが、
わたしは真面目だよね。
って思うのと、
わたしは真面目でなくてはいけない。
って思うのとは、
全く感覚が違ってくると思います。
何が違うのかというと、
自分をありのまま認めているのと、
自分はこうでなくてはいけない、という執着から、自分を定義付ける、という違いです。自分という人間を無理やりカテゴライズすると、そこには苦しさを伴いませんか?

別の例えでお話しすると、
元々スリムな人が、出産とか、体調の悪化などで、体重が増えてしまい、
自分の思い描く自分ではなくなってしまった場合、
元々のスレンダーな体型を、
"ワタシ"だと思い込んでいると、
太って贅肉がついた体を見て、

私は、スリムでなければならないのに、
こんな太った身体の私は、ワタシではないー!

って思っちゃう
なーんて事は、よくある話だと思います。

スリムな身体=ワタシ

という自我意識が強くあるって事です。

ありのままの自分をみとめていれば、
出産などで変化した身体を受け入れる事ができるはずなんですね。
受け入れた上で、

健康に良くないから
動くと身体が重いから
今の状態は快適ではないから

だったら快適になるために、ちょっと頑張って痩せようかな?
ってなると思うんです。


身体ってそもそも、移ろいゆくものですよね。
子供の頃は成長という変化があるし、
歳を取るごとに、老化という変化もあります。
ホルモンバランスによって、日々身体には変化が起こりうるし、
食べるものによっても、日々の変化って必ずあります。

その変わりゆく身体に、自分自身を見出していると、
身体に変化が起こった時に、

苦しみますよね。
揺れ動くものは身体だけではありません。
心も思考も、揺れ動きます。

自分はこういう人間でありたい
自分はこうでなくてはいけない
こう出来ない自分はダメだ

自我意識を強く持つ事って、実は

自分のセルフイメージに対する執着

だと思うんです。


結構、こういう事を無意識にやってしまいがちだと思いませんか?

意外と、手放そうと思っても、
なかなか手放すのが難しいことだと思います。

お洒落な自分
優秀な自分
器用な自分
心広い自分
きちんとした自分
いつも一番である自分
誰かの役に立っている自分

上げたらキリが無いですが、
こんな自分でいなくては、と移ろいゆくものに価値を見出すことは、
向上心にも繋がるけど、
強く執着しすぎると、
自分の首を絞めすぎ、苦しさに自分を誘ってしまいますよね。



そして、真ん中の執着(好き)について。
この執着は、サンスクリット語では、
ラーガといい、(好き)と書いたのは、
好き嫌いの"好き"で、先程解説した憎悪と対で解説されたりします。
つまり、ラーガとは、
欲望とか、快楽とか、愛執という捉え方をします。

私はお酒が大好きなのですが、
お酒のような嗜好品に対する心の在り方も、このラーガに含まれます。
嗜好品は私達に欲望を満たし、快楽を与えますよね?
それゆえ、その物や人や事に固執するという気持ちが生まれます。
すなわち執着ですね。

でも、このラーガというものは、
得ても得ても、
もっと欲しい!もっともっと…!
と、際限なく得たいと思ってしまうんですね。
皆さん覚えがあるはずです。
例えば、美味しいものを食べた時、
もっと、もっと食べたい!
って思った経験って、無いですか?
それがラーガ、です。


でも、このラーガ、"執着"が永遠に続く事を想像してみてください。
それって、ものすごく苦しくないですか?

私は苦しかったです。
メイクするのが大好きで、メイク品の新作チェックに余念がなかった頃、
限定品を買っても、
手に入れた瞬間から、嬉しさは分かりやすいほど目減りしていくし、
またすぐに次の新作が出るのを心待ちにするようになる。
どれだけ手に入れても欲しいと言う気持ちは癒やされるどころか、
欲望や執着はどんどん大きくなっていく感じ…


だからこそ、
これらの4つの事が、
私達をこんな風に苦しめるんだよ、という事を、

知っておく

これがものすごーく大事なんですね。
それが一番最初に書いてある、

無知

という事なんです。

私がここまで書いてきた事を、知っていたら
もし、あともう一杯ビール飲みたいなー!
と思ったとしても、

ここでもう一杯飲んだら、
それがもう二杯、もう三杯…と
酔い潰れるまで続くぞ…💦

と思い直し、
適度なところでストップがかけられますし、

メイク品だって、
この色は、果たして本当に毎日の私に必要な物なのだろうか?
と冷静に見直して本当に必要な判断をする事ができるでしょう。

だから、知っておくことって、ものすごく大事なんです。

執着に翻弄されないための知恵

を、ヨーガ哲学は教えてくれているんですね。


…と長々と書いてきましたが、
稲垣さんの、
究極に執着を手放した生活は、これまで書いてきたように、

苦しみを生み出さない

生活の仕方と言うことができると思います。

それを成し遂げるためには、
徹底的に自分自身と向き合う事が必要だ、
と感じました。

自分にとって、これは本当に必要なのか?

ひとつひとつの物事に対し、徹底的に向き合った結果、
最小限の、必要で大事な物だけの毎日の生活をされているのだと。

様々な執着を手放したことで
場所にも時間にも、心の中にも空間が生まれ、
手元に残った本当に大事なものたちを、
きっと無二の宝物のように大切に扱う余裕ができたんじゃないかな、と思います。

稲垣さんのことを、大して知っているわけでもなく、面識もないので、
あくまで、私の推察ですが😅

ここまで書いてきて、
私自身、稲垣さんのような生活ができるだろうか…?と
改めて考えたところ、

私はまだまだ、
執着している、ということに、
気づく段階にいるなぁ、と感じたので、
まずは、己の執着にまず気づき、 
そこから手放すかどうかを、
ひとつひとつクリアにしていかなきゃな💦
と思いました。

修行がまだまだ、必要のようです😵‍💫

皆さんも、
自分にとって本当に大事なものは何なのか?
向き合って考えてみたり、
要らないと思うことはどれくらいあるのか?
振り返ってみるきっかけにして下さったら、
嬉しく思います。


とてもとても長い文を、
お読みくださり、本当にありがとうございました🥰















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