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抜かされることへの恐怖

子供のころ、水泳を習っていた。よくある習い事です。団地で生まれ育ったことの良いことは、同じ階段の子どもらは、みんな兄弟のようにして遊びながら育ったこと。

兄が1年生に上がるとき、最上階のけんたくんは6年生。初日の登校とまるで兄貴のように当たり前のように連れて行ってくれたと聞く。

この団地で水泳を教えてくれる五郎さんという先生がいた。五郎さんは、子どもらを市民プールへ連れて行って泳ぎを教えてくれた。夏には合宿に連れて行ってくれた。

私は同い年3人組で仲いい友だちがいた。良きライバルという感じだった。あっこちゃんはお金持ちの家でお父さんは弁護士さん。子どもながら大きな家を羨ましく思っていた。

大人になり風のうわさで、「ねえ知ってる?あっこちゃんて会社社長さんと結婚して金沢に住んでるんだって。うちらのなかで一番の出世だね」もう一人の友達に言われた。

お金持ちと結婚して社長婦人だと出世なの?とへんな気持ちになった。お金は本当に大切です。だけど、お金を持ってるから偉いとか出世だとかいう考えは、人の優劣を決めてる。

あの子よりも勉強ができる、あの子よりもかわいい、この子はお金持ち。そんなセリフのなかに人の価値に序列をつけて優越感劣等感を刷り込んでいる。

そうじゃない。人はみんなそれぞれ素晴らしいのに。お金があろうがなかろうが、頭が良くても悪くても価値は素晴らしさは変わらないよと思った。

毎日よく泳いだ。大会に出て上位に入るためよく頑張った。人に抜かされる恐怖をずっと体験しながら、いつしか、そんなふうに競争するのは相手じゃない、本当は自分自身の恐怖心と戦ってるんだと気づいていった。


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