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N/A という本を読みました。

何気なくインスタを開いたところ、不思議なイラストの表紙と『かけがえのない他人』という言葉が私の目に止まった。これは今まさに私に必要な本だ!と瞬間的に認識した。
すぐさまKindleを開き、タイトルを検索し、キャンペーン中のポイントバックに喜びつつ、購入ボタンを押した。『購入ありがとうございます』の文字に少しの満足感を得たところで、早速ダウンロードを開始する。ものの数秒でダウンロードは完了し、朝の通勤バスから地下鉄へ乗り継ぎ、会社の最寄り駅を降り執務室の入り口へ辿り着くまでひたすらに読み続けた。お昼の貴重な1時間も読書の時間に充てた。そして帰宅途中、地下鉄からバスへ乗り継いだ後に物語は完結した。
呆気なかったと言えば呆気なかったのだが、この一日が始まり寝るまでの間、仕事中に至るまで、本の内容を思い出しては自己投影が止まなかった。それほどまでに、私は主人公のまどかに自分を重ねてしまっていた。

※以下、ネタバレを含みます※



まどかはただただ生理が嫌だった。
その理由は女として“当たり前だから”ということへの嫌悪によるもので、痩せたいから拒食をしたわけでも、男になりたいという理由でもない。ただそれだけなのに、周りは目に見える真実からまどかを理解したつもりになり、それが正解か不正解かも解らないまま、本人なりの気を使った言葉を投げかける。それがあまりにも残酷で、辛かった。まどかが「理解されていない」という事実を俯瞰的に見せつけられ、苦しかった。やはり人間は分かり合えることなど到底あり得ないのだと確信するしかなかった。

別シーンでは、まどかが「かけがえのない他人」を探すため教育実習生の女性と何となく付き合っていたが、女性のSNSアカウントから友人に特定されてしまう。その携帯に映されていたのは、きれいな言葉で綴られた文章と、顔は見えないものの、儚い光に照らされまどかのような雰囲気をした人物の写真や、見覚えのあるパンケーキの写真、つい先日訪れたばかりのカフェの写真が、スクロールをする度、ここぞとばかりに羅列されている。コメントは「理想のカップル」「同性カップルにもっと希望の光を」等、二人を祝福するものばかり。
SNS上の二人は、不特定多数に“幸せ”だと認識されていた。それが正しいかどうかも解らず、皆一様に祝福や賛美の言葉を女性に浴びせている。青ざめていくまどかを想像し、震えた。このアカウントのどこにも、本当のまどかは見つからなかった。
人間は表面上の情報を好きなように自己解釈し、インプットする。疑う余地もなく、不特定多数の人間がそうする。そうして、多数決で正解が決まってしまい、当の本人が声を大にして違うと叫んでも、数が多い方が正義となるのだ。
信じられない。
集団心理があまりにも気持ち悪くて、吐き気がした。でも、もし私が読者ではなく女性のSNSをただ見ている立場だったなら、ありのままの情報を信じていたと思う。そこに疑う余地がないから、幸せそうだなぁとタイムラインをある程度スクロールし、眠りにつき、明日には忘れてしまうだろう。その行動が、勝手な解釈が、知らない間に誰かを傷付けているのかもしれない。そう思うと、やはり私は絶望した。
100%他人と理解し合う事は、現実的に考えて不可能なのだ。

最後、まどかは付き合っていた女性に助けられるが、穿った目で彼女を見てしまい誤った言葉を投げかけてしまう。自分がそうされたように。
「そうじゃない」と女性に否定され、それでも自分を想った相手への優しさに耐えきれず、まどかは自身に落胆し、泣いた。

正解か不正解か、垢の他人にそんなこと分かるわけがない。あなたは私じゃないし、私はあなたじゃない。だったら、永遠に分かり合えることなんてない。「かけがえのない他人」「離れていても繋がっている」「家族や友人じゃなく理解し合える」こんなことは、やはりありえないのだと思うしかなかった。

私も「かけがえのない他人」を探している。異性でも同性でもいい、心の繋がりが欲しい。私の愛を貰ってくれる人、愛を私にくれる人、一生私の心の側にいてくれる人。旦那でも家族でもない、かけがえのない私だけの他人がほしい。
自分の求めているものを理解した瞬間、寂しさの荒波が押し寄せてくる。旦那と一緒に暮らしていても、自分は孤独だという波が蠢き立つ。知らない内に、心にぽっかり大きな穴が空いてしまったのだ。これを書いている今も、お風呂に入っていた昨日も、とめどなく涙が溢れてくる。自分でもどうしてこうなったのかわからない。人を信じられないからこそ、一人でもいいから、心から許せる、繋がれる人をいつの間にか求めてしまっているのかもしれない。


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