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#018 愛煙家

 煙草のにおいが好きだ。
 街中で煙草のにおいがたゆたっていると私はまず〈いいにおいがする〉と感じる。同時に風景が二段も三段も引きしまり色鮮やかに見えはじめる。ああ煙草のにおいか、とはそれから遅れて気づく。煙草の在り処を探す。すぐ前を行くおっさんの歩き煙草である場合が多いが中にはスーツ等の衣類にしみこんだにおいであることもある。引きよせられるように私は歩速を速め対象に近づき胸いっぱいにそのにおいを吸いこむ。
 両親ともにノンスモーカーである私はこの嗜好が何の影響によるものか知らない。私自身も喫わない。過去にはギターのテレキャスター/ストラトキャスターに似た語感に唆され〈キャスター〉を試したり日本文学の影響で〈ゴールデンバット〉に手を出したこともあるがいかにも身体に悪い感じがするとの阿呆らしい理由から続かなかった。(無論続かない方がいいに決まっているのだが。)特に当時のゴールデンバットはフィルターがなく煙を直に吸引する〈両切り〉というタイプで不健康感が甚だしく苦労して入手した割には期待はずれというか、無論私のもったいない精神がゆえにしばらく部屋に残りつづけはしたのだが結局は喫わないままに処分してしまった記憶がある。とにかく私は主流煙の方はだめで専ら副流煙派である。そんな派閥があるのかどうか知らないが。
 愛煙家という言葉がある。これは無論〈煙草を好んで喫う人〉を意味するわけだが文字通りの意味で受けとれば私のような人間こそが真の愛煙家なのではないか。「煙」の文字がつく割に煙感がない主流煙に比べ周囲を縦横無尽にたゆたう副流煙こそが真の煙の名にふさわしいと私などは思うのだがそうなれば愛煙家なる言葉も字面的には副流煙を好む人、とはならないか。いやそうなれば何も煙草に限る必要はなく香の類いや線香、果ては焚火の煙に至るまで真正の〈煙フェチ〉こそが真の愛煙家と呼ばれるべきかもしれぬが副流煙愛好家でさえ出くわしたことのない私にはそのような人種が果たして存在するのかわからずまた愛煙家なる言葉が煙フェチなる壊滅的マイノリティを括るためにのみ存在するはずもなろうからやはり愛煙家の「煙」とは煙草に限って考えるのが妥当なのであろう。となると俄然、私のような副流煙派の人間こそが愛煙家であると言えそうではないか。
 今ちらと書いたがいずれにせよ私はまだ自分のような副流煙愛好家に出会ったことがないのである。これは本当に理解に苦しむことで私としてはただただふしぎでならない謎であるがしかし私には信念がある。いつの日かきっと出会うであろう。今はただ静かに待つほかない。そして願うほかない。歩き煙草のおっさんに引きつけられた私の側方に私と同じような恍惚の表情で吸いよせられる我が同志たる真の愛煙家が現れんことを。


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