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#004 七センチの銅管

 先日ホームセンターからの帰り際に何か雰囲気が違ったなと違和感があったのだが、探ってみれば恐らくは社名が〈DCM〉に統一されたせいである。〈ホーマック〉なる文字/ロゴ/看板が撤去されていたそのせいである。
 昔実家の近所にあった〈石黒ホーマ〉が〈ホーマック〉に改名されたのはWikiによれば一九九五年、これが二〇二二年についに〈DCM〉と改まったわけだが、容易に人名と想像される当初の社名から音感的にまだ辛うじてホームセンターの名残を残すカタカナ文字を経、味もそっけもないどころか由来も意味もわからぬ英文字に集約されてしまったのは無論合併やら資本提携やらの末に巨大化した企業のある種の必然ではあろうが、私には何かいざとなればいつでも世間の目を欺き雲隠れ、責任の所在を曖昧にできるよう周到に選ばれた〈無意味語〉、あるいは我々の目から確信犯的に遠ざかり後退するための一種の〈韜晦術〉のように、申し訳ないが思われてならない。それは実例はすぐに思い浮かばぬものの似たように判然とせぬ社名を持つ現代の他の企業群による一連の事件/事故/犯罪の記憶によるのだろう。
 コールセンターに問い合わせれば「○○の方は○番を……。」などと度重なる誘導/たらい回しの末にようやく出たオペレーターはカタコトの外国人、これもまた企業が巨大化したがゆえの人材不足/モンスタークレーマー対策とは一応は理解できるが、単なる誤配送の問い合わせのために時間/労力/気力を殺がれねばならぬのは興醒め、いつかなどは当日の配送員に電話がつながれば一言二言で済む確認が、結局は購入した通販サイトの内部でも情報が匿名になっているらしく配送業者は特定できずじまい、返金対応はしていただけたものの何かもどかしさの残るままに致し方なく再購入したこともあった。またコンビニやスーパーではセルフレジの導入が進みフードデリバリーでは〈置き配〉を指定すれば注文から配達まで誰とも顔を合わせずに済むようになった。私もたった一日だけフードデリバリーの仕事をした経験があるが八割方は置き配、店にもよるが飲食店側でもできあがった飲食物がデリバリー用の棚にすでに並べられており配達員の方でも誰とも話さずに仕事ができるしくみになっていた。

 もう二〇年も前になろうか、札幌の〈ホーマック〉で切り売りの銅管を七センチ分依頼したことがあった。担当の男性店員はうろ憶えではあるが白髪交じりの四、五〇代だったと思う。「何に使うんですか。」と訊かれ「ギターの……。」と答えると、「ああスライドバーですか、ボトルネック。」と親しげに笑いかけられ、切り出した銅管を渡される際にも「頑張ってください。」と親身に/あたたかく声をかけられた記憶を今に忘れない。銅管は今もなお健在、長らく使用していないがまだ手許にある。
 切り売りなる文化もいずれ無人化、匿名の機械/ロボットに取ってかわられるだろう。


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