65.母の秘密

 私は、自分の過去の振り返りを行うことで、たくさんの方々に感謝と恩返しができるキッカケになるのではないかと、このnoteを始めました。
でも、母のこと、母が亡くなった後のことなどを書いているうちに、色々なことが蘇り苦しくなりました。
気持ちの整理をする時間が必要になり、note更新が遅くなりました。

このnoteを読んでくださった方々に感謝しています。
自分のことばかりしか書いていない “note” なのに、読んでくださる方がいることに感謝です。
ありがとうございます。

少しづつですが、コメントさせていただおります。
なかなか進まず、申し訳ありませんm(_ _)m
読んでくださる皆さまに、心から感謝いたします。

では、前回の続きに入らせていただきます(^^)

 母のお骨はお寺に預けられた。
父は、お墓を探そうとしていたが、衝撃な事実が発覚し、それが不可能となった。

それは…
母が病院でも大事に枕元に置いていた、小さな黒っぽいバッグ。
入院した時に、母は父にそのバッグには大切なものが入っているから持ってきて欲しいと頼んだそうだ。
中身は絶対に見せず、枕元に置いていた。

父が、何が入っているのかと聞いても、母絶対に答えなかったそうだ。
だから、母の意識がもうろうとして、私の顔もわからなくなってきた時も、父は中身を見る事はなかった。

母が亡くなったあと、父がその中身を見た時、あまりの驚きに言葉も出なかった、頭が真っ白になったと話してくれた。

その中身は、借用書の束。
俗に言う闇金の借用書。
母には300万もの借金があった。
一体何に使ったのか。
「ウチにはお金がないんだから我慢しなさい。」
と、生前母によく言われていた。

贅沢もしていない。
外食もほぼない。
洋服とか買ってもらうのも、一年に1〜2度くらい。
普段は制服なので、着ることも滅多にないから、それはいいんだけど…。

父は不思議がった。
「パパのお給料は、一般のサラリーマンの人たちより遥かに良かった。
ひと月50万は貰ってたんだよ。
それを殆どを渡していたのに、一体何に使ったんだ…。
贅沢なものなんて買っていないのに。」

母は自分の妹達の面倒をよく見ていた。
生活費がないと母に頼り、お金を渡していた様子だったから、それが原因か、そうでなければ、母が信仰していた宗教か…
父は、いろいろ考えを巡らす。
それよりも現実問題として、これからどうやって生活するかの方が重要だった。

後、私が結婚する時、思い当たる叔母に、このことを聞いてみたことがある。
そしたら…
すごく怒られた。
「お金なんてもらうわけないじゃないの!!
私を疑ってるの⁉︎」

でも、母の教え子のおばさまが、母の思い出話を聞かせてくれた時に
「あなたのお母さんは、妹達に振り回されすぎた。
自分のことより兄弟達のことを優先しないと、一番上のお兄さんに怒られてたからね。
お給料はみんな持って行かれてしまっていたのよ。
だから、田舎を出る決意をして東京に出てきたの。
ここを(実家を)離れなければ自分がダメになる。
自由になれない、そう思ったのね。
あなたが小学生の時に、家に帰れなくて、親子であなたの家に暫くの間来ていたおばさんもいたでしょ?
だから、相当お金を渡していたんじゃなかったかしら?」
と、話してくれた。

やっぱり、あの借金は…

もう追求する気もないし、追求したところで何かが変わるわけでもない。
きっと、そんなに多い額ではなかったのが、借りた先が闇金で膨れ上がったのかもしれないし。

その借金が分かったあとの私たちの生活はどん底だった。
ますます私は、母のところに行きたい、もう生きていたくない、という気持ちが強くなっていった。

父は、100万を超える母の入院費の請求に、頭を抱えた。

私たちの心はボロボロだった。

父と2人の生活。
私は、父とは長いこと一緒に暮らしていなかった。
だから、急に2人だけの生活なって、初めて気付いた。

他人のおじさんと一緒にいるよう…

そんな感覚に陥った。
そこに思春期&反抗期。
でも、そんな事に浸っている暇もなかった。

一体、借金はいつ返し終わるのだろう。

私にとって、途方もない数字、300万。
とてつもなく多い額なんだということだけは分かる。

父が言った。
「借金、必ずパパが返すから。
まさえには悪いけど、頑張ろう。
パパが死ぬ時には、お金は残せないけれど、借金も残さないから。
だから…
10年、頑張ろう。」

…続く……👨


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