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どうでもいいことを大問題にして、どうでもよくない大変な国際情勢への対処と国内の百年の計がなし崩しに遅れてゆく。

2018年05月18日
この稿は、月刊誌HANADA今月号に、総力大特集 朝日新聞は正気か、いま日本に問われているのは「常識」を採るか、「狂気」を採るかだ、と題して掲載された小川榮太郎氏の論文からである。
本論文は、彼が、お世辞にも褒められたものではないだけではなく、彼自身の市価を凋落させた、妙な岸田文雄政権擁護発言が世間の顰蹙を買う以前のものである。
本論文は正鵠を射た、正しい論文であり、日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。
幼稚と言うだけならまだしも、極めて悪辣な態様としか言いようのない、中国や朝鮮半島の諜報機関のハニートラップやマネートラップに罹り、彼らのエージェントとなっている者達が無数に存在していて、そのような者達に支配されていると言っても過言ではない、日本の主流と称せられているメディアで続けられている、「反安倍」の、これ以上ない程に低劣な報道に対して、まともな日本国民を代表して、怒りの大音声を上げた論文である。
見出し以外の文中強調は私。

メモ書きで糾弾 
昨年来、私は、朝日新聞の虚報による政変誘導劇を告発した『徹底検証「森友・加計事件」朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』で同社を告発してきたが、ここにきて朝日新聞の工作準備は終わり、事態はテレビや時事通信、共同通信をも大幅に巻き込んだ、マスコミ全体の狂奔的安倍潰しに進展してきたようである。
狙いは安倍氏の三選阻止である。 
事柄の全てがバカバカしく、常識からかけ離れている。
国民は馬鹿げていることを感じているためであろう、団塊の世代を中心にした安倍憎しの人たちを除けば、関心は極めて薄い。
ただ騒ぎが続く以上、安倍政権や安倍首相に何か問題があるに違いないと感じているだけである。 
最早、「親安倍」か、「反安倍」かではない。
「常識」か、「狂気」かが問われている。 
ちょうど本誌が刊行される時期、国会では柳瀬唯夫元首相秘書官招致になるのであろう。
悪夢そのものであり、招致を要求する野党も、そうした誘導を続けたマスコミ主流もその罪は重いが、自民党の抵抗のなさもまた、どうかしていると言わざるを得ない。 
財務省による文書書き換えの時は、私は佐川宣寿元財務竹理財局災を国会に呼べと主張もし、進言もしていた。
そこには文書書き換えという不正が存在し、組織的関与があったからだ。 
しかし柳瀬氏の場合、愛媛県側の職員による覚書に名前や発言が出ているだけだ。
何ら公的な文書でなく、内容の証明も保証されていないただのメモ書きに、柳瀬氏の名前と発言が出ていただけだ。
しかも、その内容は何ら不正と関係がない。 
ある陳情の席で何を発言しようと、だから何だと言うのか。
陳情の席で「大いに頑張ってください、総理も応援してくださっていると思いますよ」とか、「これは日本の発展のうえでも不可欠だから、総理の方針にも合致します」とかという類の発言が事実あったのだとしても、私は全く驚かない。 
許認可の実際や権限に関して、陳情をどう上に上げるかなどについては無責任な発言は慎まねばならないが、陳情に来た人間の事業を応援する心情を表したり、助言するのは寧ろ当然ではないか。
権限や違法性の根拠がないまま、権威なきメモ書きを元にある人物を糾弾し、国会に呼べというのは、最早、革命政権の魔女狩りそのものだ。
あとは、国会議事堂の横にギロチンでも用意して、気に入らない奴を片っ端からつるしていったらどうなのだ。
そこまでに一歩手前の暴挙だ、どうして人々は気付かないのか。
問題は違法かどうか
 
第一、柳瀬氏は去年から愛媛県、今治市の職員と会った記憶はないと繰り返し発言している。
私の取材の範囲でも、「都合が悪いことだから記憶にないことにしておこう」という話ではなく、県や市の役人に関しては、本当に記憶にないのだと思う。 
中略
問題は、あくまで行政決定のプロセスに違法性があるかどうかだけだ。 
常識で考えてみよう。
地方役場の課長の陳情である。
任期中に柳瀬氏が様々な事案で一回限りの面会をした件数はほとんど無数―多分数千件―に上るだろう。 
柳瀬氏がこの件を記憶していると仮定するのはおかしい。
詳細かつ具体的に尋ねれば、記憶の糸から何か出てくるかもしれない。
記憶にないが面談記録が先方から出てきた以上、会っていたわけだからである。
が、だからどうしたという話である。
会っていたら不祥事で、記憶になかったら不祥事なのか。
安倍氏と加計氏が友人としてクローズアップされるが、これまた安倍氏の親しい友人も数十人ではきくまい。
その誰とどの程度の交友があるかなど、議員秘書ならともかく、官庁から出向の秘書はつぶさには知らないだろう。
安倍総理が時折会食するレベルの相手になれば、一千人ではきくまい。
その多くは職務権限ある要職や大企業、ベンチャーの大物だ。
何らかの利権に関係している。 
そのなかで加計氏がどんな立ち位置にいるか―客観的に見れば年数回会うほど親しく、しかし少なくとも獣医学部に関しては安倍政権も含め、十数回却下され続けていた人物だ。
親しいから利権を前に進めたというストーリーが成立するには、それまでの「却下」歴が長すぎる。 
しかも獣医学部は医学部と違い、美味しい話ではない。
だから多くの経営者や既存の大学が話に乗ってこなかった。
加計氏は損を承知で、四国に世界的な獣医学部の新設をという夢に手を貸したのではなかったのか。 
加計氏と比較にならぬ巨大な利権の認可があった人物が、総理の会食相手やゴルフ相手に何十人いるかわかるまい。

どうでもいいことを大問題 
…さてある日、首相官邸に愛媛県、今治市、加計学園の職員が陳情にやってきた。
柳瀬元秘書官が対応する。
その時、相手の職員が、「十回以上却下された案件だ、実はうちの理事長は総理と親しいのに、何でこんなに却下され続けるのやろ」と陳情のなかで話したとして、それは普通のことだろう。
陳情者のほとんどは、「総理と親しい」「有力議員や有名人の○○と親しい」などの言い方をする。
御挨拶のようなものだ。 
有力者との関係を誇張するのは、読者の皆さんだって聞き覚えも身に覚えもどちらもあるだろう。
そんな言葉にいちいち反応していたら陳情を捌けない。
「親しいアピール」のほとんどは誇張である。 
無論、加計氏の場合には実際親しかったわけだが、だからと言って、そもそも地方役場の課長と何人もいる出向秘書官一人の間で、半世紀も阻まれてきた獣医学部の新設がどう動くというのか。
地方の課長と首相秘書の一人とで話が動くなら、規制緩和に誰がこんなに苦労しようか。 
そもそも今回の案件の許認可官庁の安倍側近の国会議員-萩生田光一官房副長官(当時)、松野博一文科相(当時)、義家弘介文科副大臣(当時)など―は、一人もこの件を総理から託されていない。
拙著にも書いたとおり、それは朝日新聞がスクープした文科省文書からはっきりとわかることだ。
信頼している子飼いの政治家を誰も使わず、安倍総理は秘書官と地方役場の課長の間で話を進めさせたのか。 
「アホかいな」という他ない。 
「首相案件」という言葉を官邸の人間は使わず(言うなら総理案件)、柳瀬氏も使わなかったに違いないが、それは枝葉末節であり、要するに規制緩和や国家戦略特区、獣医学部が「首相案件」だという発言が、その時、柳瀬氏からあってもおかしくないだろう。 
実際、規制改革は安倍政権の最重要課題の一つであり、そうした意気投合は寧ろ国民本位、国家本位の情熱ではないのか。
それが、なぜ卑しい利権の話だという根拠ない貶めになってしまうのか。 
いずれにせよ、柳瀬氏の発言の内容は事の主筋ではない。 
国家戦略特区の行政プロセスと、地方役場の課長の陳情や首相秘書官の発言など全く関係ないからだ。 
どうでもいいことを大問題にして、どうでもよくない大変な国際情勢への対処と国内の百年の計がなし崩しに遅れてゆく。
この稿続く


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