外国人旅行者の夢と、無意識について

2023年5月10日水曜日の夜
に見た夢。

私は仕事中であった。仕事のチーム全体で大事なイベントがあり、それをやらないといけない。
ひょんなことで、職場の建物の中で外国人旅行者たちと出会う。たぶん英語圏のひとたち。
彼らはwifiを探しているらしい。
私は親切心で一緒に探してあげることにする。
今いる建物の中ではうまくいかず、仕方なく「私の家へ行こう!」と私は提案する。
自分の家なら絶対にwifiが繋がっている。
仕事に支障が出るが、さっき偶然上司に事の様子を見られたので、たぶん事情はわかってくれる。
私の家は歩いて5〜10分である。
旅行者たちは「遠い」と嘆く。
私がせっかく親切心で言ったのに。当の本人たちが嫌がっていることに私はイラっとした。
旅行者たちの代表の1人が私と私の家へ行くことに。
仕事のことも気がかりだが、私は遊んでいるわけではない。
人助けをしているのだ。
そう思っていたら、旅行者が通りすがりの運動場で遊びだした。
私は一刻も早く旅行者にwifiを使わせてあげたいと思っていたので、困惑した。
しかし旅行者にしてみたら、そもそも楽しむために旅行に来ているのだ。
こういう思い出作りも必要なのかもと思い至り、付き合って遊ぶことに。
そんな時に職場から電話がかかってくる。
「遊んでばかりいていかがなものか。」
といった内容で、私のやっていることを暗に批判する言い方であった。
しかも誤解もされているようだ。
ちなみにこの電話の主は実在する私の苦手な人物である。

私は腹が立ったので
「困っている人を助けるのも福祉の仕事ちゃうんかい!!」
と大声で電話に怒鳴った。

おしまい

私は数年前から夢日記をたまに残しており、最古のものだと8〜9年前くらいのが残っている。
最近の夢は昔と比べて、登場人物としての自分が感情を表出できているなあと思う。
状況に翻弄されてはいるものの、自分の主張もできている。
昔はひたすらゾンビに追いかけられているとか、
そんな夢をよく見た。

近代の夢の分析はいわゆる「無意識の発見」をしたフロイトから出発したと考えていいと思う。
無意識を意識化すると、なんか私たちの生活や人生に変化をもたらすかもねーそれって面白いスよねーロックですよねーってことなんだと思います。
夢には無意識があらわれているので、それじゃあ夢を分析するっきゃないスよね。ハートを磨くっきゃない、きれいに磨くっきゃないっていう思想の潮流が、フロイトからしっかり始まったんだと思います。

このフロイトさんよりかはだいぶ年下のロバート・マートンさんという社会学者が「機能は潜在的」というようなことを言っていたらしく(大澤真幸さんの本で読んだ)
「私たち人間には意図できないことがあるんですよ〜」みたいな主張をした人たちが、19世紀後半から20世紀初めくらい生まれの人たちに多い気がする。
『プロ倫』のヴェーバー。
『闇の奥』のコンラッドも
「密林の奥では、近代西洋人の倫理観など通用しませんよ〜我々には踏み込むことが不可能な領域がありますよ〜」みたいな話だ。

無意識や夢は『闇の奥』のような了解不可能な世界ではあるが、
そこから少しでも手がかりを持ち帰ろうとするのが、
夢の分析だったり精神分析なんじゃないかなあと思う。
(私は素人なのでどこか間違ったことをたぶん言っています。すいません。)

まあ、素人ですが自分自身に素人判断の解釈をするのは別に良いかな、と思いよく夢分析をやっちゃってます。

で、今回の夢は、たぶん「親切心を理由にやるべき仕事から逃げている」という解釈ができる気がします。
しかも、その事実に無自覚ですね。
夢の中で私はイライラしていますが、
これは何かを見通せていないことの、
イライラかなと思います。

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