祖母は短歌が上手でいろいろなところで教えていた。私もさんざん短歌を詠むように、ゆくゆくは、宮中の歌会始に出れるように勉強しろと、めちゃくちゃなことを言われたが、断っていた。
「俳句ならいいよ」
というと凄く喜んで
「ホトトギスに載るくらいになってね」
と言われてしまった。それは無理だとずっと思ってきた。最近、友人から2000円程度の冊子を定期購読すると、そこに投句用のハガキがついていて、それで書けば、「ホトトギス」に掲載されるということを教えてもらった。そんなズルをしていいのかとも思ったが、背に腹は代えられない。一生かかっても「ホトトギス」に自力で掲載されることはない。ズルをして載ったホトトギスを祖母の墓前に供える。もっと早く、生きているうちにしてあげれば良かったようなきもする。でも、怒られるような気もする。
 「ホトトギス」の資料などは兵庫県芦屋市の高浜虚子の記念館に行くと見れる。そこはオト・タチバナヒメの埋め墓の近くだ。
「オト・タチバナヒメ様のお墓参りも兼ねて高浜虚子の記念館に行きましょうか?」
と提案しているが、絶対に、うんと言わない。自分が呪詛で封印されていたところに行きたくないらしい。

 自宅と事務所のベランダにマメにカラスが来る。艶のいいハシブトガラスで、結構な頻度で、どんぐりとかビー玉とかを窓辺に並べてくれる。私が受け取る前に、他の鳥が持っていってしまうので、そこまでが一日のルーティンだ。会社の人も、カラスの見分けがつくようになって、
「白鳥さんのカラスですよ」
と教えてくれる。なんでこんな行動をするのか分からないし、知らなくてもいいのかなと思う。勝手に私を守ってくれてると思っている。姫神様いわく私を見張っているとのこと。見守っていると思いたい。
 カラスにお礼をしたいと思い、熊野古道の伊勢路を歩いた。姫神様たちも、熊野古道が好きで、行って歩いて修行しろと言われる。平安時代の上皇たちが熊野詣した道とは違って、伊勢路は庶民のための道だ。年齢を問わず、男女を問わず、貴賤を問わず、歩くことが許された。江戸時代、家庭を持った女性も一人で伊勢路を歩くことが出来て、いわゆる女子旅についての逸話もある。宿に泊まるお金のない人のための無料の宿泊もあったようだ。座頭と言われた目の不自由な人も歩くことができ、道中一緒になった人がボランタリーに手を引く、座頭引きという習慣もあったらしい。でも実際に歩くと、目の悪い人を案内しながらは大変だっただろうなと思う道だ。黙々と山道を歩くと、頭が空っぽになる。心が整い、足腰も鍛えられるし、とても修行になる。熊野速玉大社に寄って、カラスグッズを買い集める。三本足の可愛いカラスのグッズがいろいろ売っていて楽しい。

 桜がまだ咲くか咲かないかのころ、難攻不落の城、忍城を見に行った。戦国ゲームでも、なかなか落としにくい。それだけに自分の城にしておきたい。ゲームでは仲間と夜な夜な攻めた城だけに、実物を見て感無量だった。ここは石田三成がどうしても落とせなかった城だ。三成は本名を「かずなり」というらしい。昔は誕生日と本名はトップシークレットだった。誕生日が分かると占星術から、その人の取る戦術がばれるし、本名がばれると呪詛をかけられる。今の人は簡単にアンケートなどにも誕生日と本名を書いてしまうが、気を付けた方がいいのかも知れない。


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