中森明菜の「セカンドラブ」のメロディーに載せて「神社も二度目なら少しは上手に周りたい~」と歌いたくなるときがある。一度でミッションを果たせないと二度でも三度でも行かされる。何がミッションなのか、頭をフル回転させ、足を棒にして走り回る。

 もちろん、日々、出社前に近所の神社に参拝してから出かける。何をお願いするわけでもない。日々、こうやって祈れることを感謝している。

 伊勢神宮や出雲大社のように、大事な場所にある神社にも、何回も行かされる。ミッションによっては、行く「順番」まで指示がある。

 それとは関係なく、惹かれるように行く神社がある。山梨県にある北口本宮富士浅間神社だ。初めて行ったのは、中学の部活の合宿の帰りにOBが連れて行ってくれた。富士山を近くに感じた。その荘厳な社殿にも圧倒された。ここには神様がいるなと思った。夫婦でいると書いてあるけど、そういう感じはしないなと思っていた。回数を重ねるたびにそれは確信に変わった。コノハナサクヤヒメ様はいらっしゃる。イワナガヒメ様もいらっしゃる。コノハナサクヤヒメ様は可愛くて幼いかんじがある。イワナガヒメ様はクールな美人だ。二人とも上品で穏やかで控えめだ。ニニギ様の影は薄い。

 富士山の五合目から下山して北口本宮富士浅間神社まで歩いたことがある。登山道でいうと吉田ルートを降りたことになる。五合目の小御岳神社をお参りしてスタートだ。両手にストックがあってバランスをとりながら歩けば下山は楽しい。五合目以下はいろんな植物もあるし、直接日差しがくることもなく、快適だ。珍しい植物もある。高山病の心配もあまりない。凄いスピードで走っている人もたくさんいて、どんどん抜かされる。焦らず自分のペースで歩く。途中から、川の匂いがしてくる。たまにしか見えないが川が登山道と並走している。昔は、この川に山で遭難した人の遺体を流し、運んでいたとのこと。ハイキング気分で浮かれていた私は、ピリッとした気分にさせられる。たまたま自分の歩いた日が穏やかな山であったとしても、山は山だ。常に生と死は背中合わせだと気づかされる。楽しみながらも慎重に下山していく。

 二合目あたりに、御室浅間神社の奥宮がある。ずっと、大事にされてきたお宮だ。だいぶ老朽化してしまい、クラウドファンディングで資金を集め改修するそうだ。コノハナサクヤヒメ様がしばらく、そこにじっとして動かない。泣いているのかもしれない。

 歩けど歩けど、道は続く。馬返しでバスに乗ろうかなと思ったけど、我慢して、中ノ茶屋まで歩く。暗くなると怖いので、バスに乗って帰る。

 なんやかやで、年に2,3回は北口本宮富士浅間神社に来る。何もお願いはしないが、本当に心が洗われる。混雑は嫌いなのだが、一度だけと決めて、吉田の火祭りを見学した。

 まだ明るいうちに、北口本宮浅間神社の本殿の前に人だかりができる。二つの大きな神輿が出されて運ばれていく。本殿の階段から鈴なりの人をかき分けながら見る。神輿が二つとも神社の境内を出ていったのを見送り、追いかけていく。メインの通りには木で組み立てた人よりも大きい松明ともいえないものが、道の真ん中に一定間隔で並んでいる。その日は無礼講なのか皆、ブロック塀に登る。私も登って、座って待つ。日が落ちて、あっという間に周りが暗くなり、松明に火が灯されていく。神々しい。力強い。護摩の火と違い、開放的だ。道にずらりと並んだ火を見ていると、なぜだか、涙がこみあげてくる。富士山を下山してきた人と合流し、今日で富士山は休暇に入ると実感する。富士山は今年も、夏中、沢山の観光客にぞろぞろ歩かれて、お疲れさまでした、と思う。心なしか夏というより秋の気配の風が吹く。夏休み最後の日のような気持ちだ。

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