ご一緒している姫神様たちは皆、音楽が大好きだ。しかも生演奏に拘る。ジャンルは問わない。正直コンサートのチケット取るのが面倒で、スルーしようか思うけど、そんなことでは許してもらえない。
この前は、能楽を聴きたいと仰るので、「竹生島」の演目を聴きに行った。よく神社などで奉納される薪能とかは観るのだけど、この「竹生島」は蝋燭の灯で照らされる中、上演されるというものだった。一緒に行った友達も、
「蝋燭能は雰囲気好きだから良いんだけど、絶対寝ちゃう。いびきかいたりしたら死ぬほど恥ずかしいから、絶対起こしてね!」
と念を押してくる。こっちだって起きてる保証はないよ、と思う。始まる前の、混雑するロビーで各々が思い思いにオニギリやサンドイッチなどを頬張っている。私もオニギリを食べながら、友人が事前に送ってくれていた資料を一生懸命読み込む。事前にあらすじだけでなく、セリフをある程度は頭に叩きこんでおかないと、見ていてもさっぱり分からない。
着物会社?の人が、着物を買った人達を連れて、2列ほど、席を占領している。2列全員着物をお召しになっている女性が並んで座っているのは壮観だ。今どきは着物を買っても着ていく場所が無いので、着付けと、能を見るのがセットのツアーになっていて、それを機会に着物を買うということだそうだ。皆、着物を着慣れてないから、上手く歩けないみたいで、ちょっとハラハラする。一番の問題はトイレだ。着物でトイレは慣れないと大変だ。着物屋さんの店員さんみたいな人がトイレに連れて行っては、細かく指導していた。商売とはいえ、日本の伝統を守っていくのは並々ならぬ努力があってのことだと感服した。
「竹生島」を上演するにあたって、全体の照明を落とし、舞台の周りにずらっと並んだ蝋燭に一つ一つ灯をともしていく。見目麗しい青年二人が黙々と火を点けていく姿も幻想的だ。蝋燭は、風よけの和紙でくるまれているので、光が柔らかい。普段の能は、前の椅子の背もたれに組み込まれたパッドにセリフが表示される。英語で読むことも出来る。しかし今回は光を落とすために、その表示もない。こんなに暗くなったら寝る人が続出だろうなと思いながら、見ていた。蝋燭能が始まった途端、皆が惹きつけられた。これはテレビで見ていても伝わらないだろうが、良い意味の緊張感が張り詰めている。友人も私も全く寝るどころではない。周りを見回しても寝ている人はいない。大袈裟でなく心が震える。終わったときも拍手が鳴り止まない。姫神様たちも、もちろん喜んでいる。
「今の時代、デジタルで音楽を聴けるのは便利だけど、ちゃんと生演奏で聞かないと、音を取りこぼすからね」
と言われて納得する。
オトタチバナヒメ様も音にこだわっていた。オトタチバナヒメ様が忌部家の術式だと仰るやり方にも音を使っていた。必要な音を「声」として出せるようになると一番いいのだが、それにはかなりの訓練が必要だなと思った。私は、その「音」を聴き分けられるようにはなったが、出すことは出来ない。「音」も、まだまだ調べることがありそうだ。
ショパンの化身と謳われたポーランドのピアニスト、ヤノシュ・オレイニチャクが亡くなられた。11月に来日予定だったので、本当に本当に楽しみにしてた。姫神様たちは、日本の音楽に拘らない。良い音楽の情報を何故か知っている。姫神様の指示がなければ、このコンサートのチケットを取っていない。なんであれ、演奏が聴けなくて、めちゃくちゃ残念。心からご冥福をお祈りします。
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