朝4時に姫神様に叩き起こされて、千葉の本八幡にある葛飾八幡宮に行けと言われた。その日は大雨だったので、翌日にして良いですか?と聞くと駄目という。午後は警報級の大雨だから午前中に行っていいですか?と聞くと駄目という。仕方ないから、雨具を着こんで、大雨が一番酷い時間帯に、葛飾八幡宮へ行く。もちろん誰もいない。入り口の看板を取り込んでいた宮司さんに挨拶して、本殿からはじまり、ぐるっと摂社を廻る。浅間神社には富士塚もあり、厳島神社には渡る橋もあり、祠の隣には宇賀神が立派な白蛇として祀ってある。素敵な神社で、晴れた日にゆっくり廻りたい。大雨の中、吹き飛ばされそうになりながら、一通り回ったので、これでいいのかと思うと、駄目と言う。少し離れたところにある不知森神社に行けという。駅から幹線道路を歩くと急に出てくる竹藪で、何だろう?と思う不思議なところ。禁足地になっており、入り込むと出てこれないと言われている。こんな大雨の中、参拝する人も、通りがかる人すら居ない。人払い出来ているということで、最近、私のことをあまり叩かない大男が出て来て、藪に手を突っ込んだ。大雨だからこそ、出来ることらしい。大雨で浄化されて、ポータルに引き込まれず作業が出来るらしい。棺のような大きな箱を二つ出して終了。横殴りの大雨に私は傘も差せず、全身びしょ濡れ。でも、仕事が終わったならそれでいいやと思い、足を引きずるようにして帰った。

 四国の旅は大荒れの天気予報だった。飛行機は飛ぶのだろうかと心配される予報だった。ぎりぎりまで姫神様の用事で葛飾八幡宮に行かされたりと忙しく、四国の旅はスケジュールから手配まで全て友人に甘えて頼ってしまった。
 当日は幸い晴れて飛行機も無事に飛んだ。徳島に着いてから、眉山近くのレストランでランチ。地鶏を使った唐揚げでとても美味しかった。腹ごしらえの出来たところで、忌部神社。ものすごく古い由緒のある神社ながら、街に馴染んでいる。鳥居をくぐると長い階段。鬱蒼とした森の中に入って行く。どこまで登るのか、よく見えないので不安。異世界に吸い込まれそうな怪しい雰囲気。でも、ランニング中の人が階段を降りて来て、人がいるんだと、少しほっとする。息が上がるくらい、かなりの階段を登ると、急に開けて、また 鳥居がある。立派な社殿。縁結びのご利益があるらしい。一緒に来た姫神様たちが、わーっと喜んで走っていく。本殿から、たくさんのお出迎え。手土産を渡して、嬉しそうだ。時間はコントロールできるので、私は、そこに行けばいいだけで、すぐに終わる。こっちとしては一瞬だけど、姫神様たちにしたら長い時間、いろいろ話していたと思われる。お渡しする物を渡し、お預かりする物をお預かりして、すぐ、次の神社へ向かう。ここからは、オトタチバナヒメ様の息子に会う旅だ。
 忌部神社を出ると、テーマソングが流れ始めた。「ボヘミアンラプソディー」だ。「ママー!」の部分がリフレイン。ママに会えて息子は嬉しいらしい。音楽に合わせて雨が降ってくるのも、堪えていた涙があふれ出る感じらしい。富田大麻比古神社は忌部神社からすぐのところにある。これも静かな住宅地の中に、馴染んで立っている。大麻比古神社はアクセスが悪いので、普段の信仰はここで培われているのだろう。大麻比古神社にオトタチバナヒメ様の息子が居るそうだ。オトタチバナヒメ様も嬉しい気持ちと、謝りたい気持ちと、ないまぜになっている感じだ。オトタチバナヒメ様は言い訳もせず、育ててやれなかったことを謝っている。息子は息子で、ただただ、母に会えて嬉しい気持ちを伝えている。産んでくれてありがとう、と言いながら、ボヘミアンラプソディーが、ガンガンに流れている。小さな神社だったので、すぐに参拝して大麻比古神社へ。息子はどんどん大泣きになっていく。すごい雨だ。
 大麻比古神社は徳島の一宮。大きな鳥居をくぐってからも長い距離を車で走る。左右に灯篭の続く道は幻想的で綺麗。最後に赤い橋を渡り神域へ。大山祇命神社に似た感じの大きな樹が出迎えてくれる。何しろ大雨。品のある本殿でお参りして、摂社末社を巡る。第二次世界大戦の時、ドイツ人捕虜が滞在していたらしく、そのゆかりのものが点在している。
 麻の服を着て参拝して欲しいと姫神様から言われていたので、旅行に不向きの恰好だったし、この大雨で大変。
 オトタチバナヒメ様の息子の墓は、他のところにあるらしいのだが、大麻比古神社に行ってから墓参りして欲しい、と順番が指定されていたので、大麻比古神社を無事に参拝出来て嬉しい。ひとつコマが進めてホッとする。ボヘミアンラプソディーは相変わらず流れていて、親子の対面を喜んでいる。
 
 翌日は、麻に関する「ひらく」がテーマ。この地域と麻の関係が一躍有名になったのは平成と令和の天皇陛下の即位の大嘗祭に、この地方の麻で作られた麁衣が調進されたことだった。ここで作られた麻でないと駄目なのだ。

 そのなかでも、善入寺島へ行って、ということだった。善入寺島は吉野川の川の中州だ。川の氾濫が多いということで、そこに住んでいた人は移住させられて、今は誰も住んでいない。しかもそこにあった神社は爆破して破壊されたという話だ。穏やかではない。
「そこにあるトバリみたいのを剥がすのですか?」
と姫神様に聞いたけど、イマイチはっきりしない。どういう形の結界があるかは、行ってみないと分からないということらしい。神社を破壊した祟りか? と思ったが、そんな怨念めいたものも感じない。地図と、さんざん睨めっこして、島をぐるっと回る道を回りながら結界の端っこを剥がしていくのがいいかな、という結論になった。川島城の近くに川島神社があり、そこから、潜水橋で渡るのが最短のようなのだが、
「その橋はだめ」
と姫神様が言う。もともと忌部神社に比定されていた神社が爆破され、その跡を探すのも大変そうで、こりゃ、お手上げだなと思っていた。仕方ないから行ってから考えようと思った。

 天気予報では線状降水帯直撃みたいな予報だったのだが、当日は、なんとか降らずに、もってくれているかんじ。川島城跡の隣の川島神社に行くと、宮司さんとおぼしき男性が階段を降りてきた。せっかくなので、善入寺島への行き方を尋ねると、姫神様にダメと言われた橋を渡れと言う。しかも潜水橋は一度に、一台しか通れないから、対向車のいないのを確認して渡るようにと言われた。行っても別に何もないよ、と仰るので、爆破された神社に行くんですと言うと、爆破ってどこで知ったの? と聞くから、ネットですと言うと苦笑いしていた。爆破ってわけでもない、みたいな口ぶりだったので、詳しく聞きたかったが、そもそも、宮司さんが用事があって出かけるタイミングだったらしく、聞けなかった。
「用事がなければ、一緒に行って、詳しく案内してやるんだが」
と仰って、善入寺島を見渡せる高台の場所への行き方と、山崎忌部神社への道を教えてくれた。東京にいたときには溜池山王の日枝神社に務めていらしたとのこと。現在は息子さんが東京大神宮に務めていらっしゃるとのこと。物凄く上品な顔立ちだったのが印象的だった。お忙しいのに、親切にして頂き恐縮した。
 そうこうしている間に、大森勝山遺跡のストーンサークルから、ご一緒の女性が、お供の人たちを連れて、善入寺島に向かって走っていってしまった。
「あなたたちは、上から見てて。連れて来てくれてありがとう!」
と言い放って、凄い速さで降りて行った。
一緒に行ってくれた友人が土地勘があり、高台から見渡せる場所、二カ所に連れて行ってくれた。そこから姫神様たちと一緒に、善入寺島に行ってしまった彼女たちを見ていた。
「大麻繋がりね」
と姫神様たちは言っていた。その後、山崎忌部神社にも行き、「忌部・大麻」の旅はミッションコンプリート。友人と鳴門の渦潮を見て、鳴門のお洒落レストランでご褒美ランチ。
 お洒落大好きなオトタチバナヒメ様もことのほか、お喜びのご様子だった。

 よく聞かれるのだが、姫神様たちは、私に普通に今の言葉で話してくれる。
「われは、○○じゃ。」
みたいな雅な言葉遣いではない。今どきの言葉も使ってくれる。それに引きかえ、大森勝山遺跡のストーンサークルから来た彼女は、ずっと無口だった。全くコミュニケーションが取れなかった。あれこれ質問しても答えてくれなかった。こちらも縁があった以上は、ご要望に応えるべく努力するので、どういう趣旨で、どこに行って、何をしたいかくらいは、出来るだけちゃんと伝えて欲しいと、思っている。
 
 三次元的なことで言えば、法律的な問題があるときに、日本には法テラスという無料で相談できるところがある。これは税金で賄われているのではなく、法曹の人たちが、あらゆる人に法的サービスがいきわたるように自腹で運営しているものだ。でも、無料だと思って、相談したあげく、文句を言う人が沢山いる。人の善意に唾をかけるようなことは断じて許せない。お金を払えと言っているわけではない。善意には感謝を、と思っている。姫神様たちは、決して人間をただ働きさせたりしない。せかされたり、怒られたりするが、最後には感謝を言葉にしてくれる。神様業してる人の中には、欲しい報酬を申請する人も居るみたいだが、私の場合は、何も申請していない。でも、気が付いたら、全て困らないようになっている感じだ。有難い。

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