もうすぐ天災がくるよと、不安を煽られることは多々ある。正直、全く心は乱れない。
でも関東に天災がくると聞くと、一応、東国三社を回ろうかなという気持ちになる。
姫神様たちは、冷ややかな目で見てくる。
「自分だけ助かりたいの?」
と言うので
「そりゃ、そうです。」
と言うと、大笑いされる。
「何があっても、その辺の草を食べても生きるという覚悟があれば、生きれるでしょう。しばらく草だけ食べてれば、そのぷよぷよのお腹のお肉もすっきりするよ。」
と、なんともまあ冷たいお言葉。
「自分は健康だし逞しいので、やれる気がしますが、困ってる人や、不安な人にどうしたらいいかと。」
と言うか言わないかのうちに、また、ハリセンで叩かれる。
「きれいごと言ってんじゃないよ。本当に自分が困ってるときに、他人を助けられる?助けられないよ。まず、自分で自分のこと面倒みなさい。他の人は、それぞれ神様が見守っているから、心配しなくていい。その人が頑張らないと意味がない。」
と言われてしまった。返す言葉もない。
「では、自己満足のために東国三社を回らせて頂きます。」
と言って、香取神社、鹿島神社、息栖神社を回らせて頂く。香取神社と鹿島神社には要石と言われる石があって、地震を起こす大きなナマズの頭としっぽを押さえて、暴れないようにしているとのこと。地震などの天災が不安になると、まずは、要石に行く。するとなぜか、姫神様たちと一緒にいる幼い女児が踊りだすのだ。
「おへそ、おへそ、でべそのおへそ。」
と言いながら、大笑いして踊りだす。水戸光圀公が7日7晩かけて堀だそうとしたが死者が出たため中止したという不思議な石だが、誰かのおへそなのだろうか。なんか不遜すぎて、誰にも言い出せずに、そーっと拝んで帰ってくる。
 
天災は防げなくても、せめて大難が小難ですむようにと思いながら手を合わせる。
「天災を予言されても信じなくてもいい。」
といつも聞かされている。
「未来が分かったら、人間が柔軟に変化していけなくなる。」
というのが理由らしい。今、分かる範囲のことで一生懸命考えて、変化しようと出来れば、小さな変化しか与えられないらしい。
 
会社の上司が、
「昔、サリン事件といって電車にサリンという毒物が撒かれる事件があったが、私は、たまたま、その事件があった電車の一本前に乗っていて、被害に合わなかった。だから、生かしてもらったことに感謝して生きているつもりだ。」
と言っていた。本当にその人は、利他の人だった。生かしてもらったから、利他の人になったのか、もともと利他の人だったから、生かしてもらったのか、それは私には分からない。

気になったことはしてみようと思い、伊豆山神社と来宮神社に天災が来ないにこしたことはないのですが、と遠慮深くお願いする。
 

つれづれなるままに書く稚拙な文章に、スキやフォローをありがとうございます。本当に励みになります。
また、姫神様のお仕事で忙しくなるので、しばらくお休みします。

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