「やってみる」を増やすには、「好き」の力を借りる
やってみてわかることは、思っているより難しいけど、ちゃんと面白さもあるってことだ。
難しいことって、やらなくてもいいこともあるだろうけど、「難しそうだから」の段階でやらないのは、もったいないことだなと、改めて思うようになった。
とはいえ、「難しそう」の壁を超えるのは容易ではない。
だから、難しそうの壁は、
自分の「好き」に頼ってみたらいいのかもしれない。
私は、ファシリテーター的な役割を持つことが苦手だ。
今までもなるべく避けてきたのだけど、最近自分がやりたくてやっているイベントでは、自分がファシリテーター的な立場になっている。(まだ2回目だけど)
少人数でもやっぱり緊張するから「私はファシリが上手くないんだ、ごめんね」と事前に申告はしている。
もちろん少しでも楽しいイベントにできたらいいなと思っているので、自分なりに意識はするものの、「上手くまわそう」と考えすぎると、自分が硬くなるのがわかる。表情が乏しくなってくる。真顔になりやすいのだ。
しかし、場を意識することをやめると、ただの参加者になるので、自分がしゃべって終わってしまう。
まだまだ、ファシリテーションは、私には難しいと感じる代表だ。
それでも、もう少し上手くなりたいなとか、イベントをもっと楽しんでもらえるには? と考えているので、苦手だったファシリテーターは、「苦手なもの」からは取り出せたのかもしれない。
やってみることができたことも、小さいけど大きい変化だ。
苦手だなって感じていることは、過去に挑戦してちょっと失敗した記憶があるものが多いように思う。
今だって、失敗したら嫌だなって思うけど、今やっていることでは、失敗というほどのことにはならないのかもしれない。(と思っていたい…)
参加者にはちょっと不快感を与えたり、つまらないって感じる機会をつくってしまうこともあるかもしれないけれど…。
経験するから起こるこうした自分のちょっとした変化を、少しずつおこしていけるようになりたいなと思う。
そして、変化を循環させていけたらいいなとも思う。
ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。