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ためらい。

思い描く風景を、文章にする時は、素直に表現できる。

それを「声」をのせようとすると、ためらいが生まれる。

同じ話しをこのnoteを書くのと、誰かに話すのでは、私の中のハードルが違う。


「書く」と「言う」の差はなんだろう。


少し前までは、自分の声があまり好きじゃないことが理由だと思っていた。
今は、自分の声への抵抗は以前ほど強くない。

話し方や、話のまとめ方に自信がないからだろうか。

文章だと、言葉に肉づけできる。「嬉しい」のまえに、「ちょっと照れくさくもあり」と付け足すことに抵抗がない。

話す時は、出来るだけコンパクトにしようとする。無駄なく(情緒豊かにと思うと、しどろもどろで言いたいことがずれていく)


以前は、「こんなこと書いてもしょうがない」という気持ちが強くて、noteを書くことにもためらいがあった。

でも、書くことは経験を積みやすくて、一人でもくもくと書き続けたら慣れてきた。

慣れの問題なのか? 話慣れていないだけ?

話している時は、相手の反応がダイレクトだから、つまらなそうだなとか(勝手な判断で)思うと、焦ってしまう。

AI相手に話していたら、書くときと同じように、言葉が出てくるだろうか。


自分の話をしているのに、相手の反応や勝手に読み取る雰囲気で、自分プラス周囲の話にしてしまうから、言葉がすべるように感じるのか。(相手に何か気づきを与えたいとか、すごいって思われたいみたいな気持ちが強くなって、言葉が浮つく感じ)
それが、話すことから自分を遠ざけるのか…?


書くときは、見栄がなくて、話す時は、見栄だらけ。
見栄をはっているのがばれたくなくて、素の自分が恥ずかしくて、わたしはためらっているのかもしれない(仮説)

KOJIRASE・・・

えーもう、誰かを攻撃するとか傷つけるとかじゃなければ、さらっと話せるようにはなりたいな…

ありがとうございます。ロックンロールと生クリームとマンガと物語に使いながら、自分の中のことばを探っていきまます。