奥多摩八十八ヶ所第63番札所から
第63番札所、岩井堂観音 さま、浅草の浅草寺の観音さまは
この岩の上の観音堂から長されたとされている。
お坊さんは、円照寺 (入間市野田158)さま、住職さんが担当。
西武線駅前で観音霊場でもあり、御護摩も焚くお寺さん。
文化財持っている為入間市のホームページ に紹介されている。
岩井堂と歓喜寺の途中のむか~しから檀家さんの家で御朱印は押印する。個人のおうちに行くとお遍路さんしている実感する。
四国まで飛行機でお遍路さんするのはしんどいので
この奥多摩八十八ヶ所札所巡りで丁度いい。
第64番札所、新義真言宗般若山長寿院観音寺さま。
郡中新堀村。聖天院末寺だったと、『風土記稿』にあると、桜沢さん書かれていらしゃる。如意輪観音さまは弘法大師の作と言われ居るが、たぶん修験道修行者で、『我こそは弘法大師末裔也』なんて名乗った人の手づくりであろう。
享保20年に出来たお寺さんで弘法大師なはずない。
創った人は『弘法大師の末裔の弟子』など名乗ったと
想える。平和になった江戸時代のお寺さんと想える。
空海さまは、
774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉
阿弥陀如来様祀っている。場所は埼玉県の山手町5-17飯能市街。
ほか札所、武蔵野24,高麗10になる。観音霊場。飯能駅前徒歩約十分〜20分圏内。
第65番札所、金乗院さま。
第52番札所太山寺さまと第65番札所三角寺さまと、第67番札所 大興寺さま、それと第77番札所、道隆寺さま石仏さま並んでいる。
今の住職も知らない、お遍路満願した先代さんの方が詳しい。
本四国地方に、三角寺と言うお寺さんあるが、其処なのか?
“奥多摩八十八ヶ所”札所が何処か良くわからない。
奥多摩の湖水や狭山湖、多摩湖にしずんだお寺さんかもしれない。跡継いだお坊さんも分から無い状態?!逆に平成令和お遍路さんの方が詳しい。
第66番札所、別処山 西光院 金仙寺様
此処の石仏千手観音さま!も奥多摩の〜山から降りて来た。
『所沢市(昭和32年刊行)』「豊山派の寺院、新義真言宗青梅村金剛寺末」貞観三年伝灯大阿闍梨覚道上人開祖。本尊は弘法大師作という阿弥陀如来」
奥多摩町に金仙寺様(住職の奥さまや住職さんがお話し下さった)もあって、此処に移転されたお寺さん。
この狭山において、火災で焼失されているともお話されていた。
桜沢様の『奥多摩霊場札所』の本にも、元禄三年3月14日出火。明治9年12月29日暮れにも出火。記録も失ったらしい。
けれど、いまの住職は、既に此処で産まれたという方らしいので、先祖さま奥多摩町でも、狭山の湖畔、根付いていらしゃる。奥多摩湖畔の下だったのかも知れないが不明。今は、狭山の人たちの癒やしのお寺さん化。
北条家、徳川家と、名門のお寺さん。
第67番札所、金乗院さま 廃仏棄釈だったのか、住職居ないお寺さんなのか、奥多摩の山道から持って来た札所の石仏さま。
一度にこんな沢山御朱印戴けるお寺さん。
もともと武田彌兵衛さまが昭和時代造られた頃よりあるのかと想われる。
山口観音、山口観音、と明記されている。
狭山湖の湖面下に沈んでしまった部落のお寺さんなのか?
四国67番は、小松尾山 大興寺さま。その名前を付けている。
此処の御住職さまが“奥多摩八十八ヶ所”は新四国霊場で、本四国霊場を移したと言うので、名前つけたと想える。いまは不明。
実際は奥多摩八十八ヶ所札所だから山の登山道に遭ったのかも知れないが、歴史紐解くって困難で、パワー必要。
神様わたしにパワー下さい。
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