舟遊び、六連装機関銃、どしゃ降り
閏三月八日、九日 岩崎弥太郎の最初の長崎滞在も、終わりの日が近づいています。この二日分の日記にそれを示唆する記述はありませんが、文章にこれまでにない緊張感が漂っているようです。今回は、なるべく原文に近い形で提示します。
九日 旧知の千頭寿珍が寄宿先に来て、城島(四郎島の誤り)砲台の見物に誘われたので、隅田敬治と共に寿珍宅に赴きました。酒を舟に載せ、寿珍宅の老婆が三弦を弾き、二人の「女子」が酌をします。
一人は元妓婦だが今は家にいるとの由。ようやく舟が岸を離れると、遠くの眺望が絶佳。しかし風が少シク生じ、舟が蕩揺た。何ぶん今日は城島までは難渋しそうだというので、まず近い陸地であるコガクラニ舟を着け、魚を買い求めた。煙の上がっている数軒の漁師の家があり、(尋ねたところ)答えて曰く、無有。
舟をめぐらせて瀬戸に行き、十二、三尾の小魚を買い求めた。すこぶる廉価。日は既に真昼に近い。風がようやく穏やかになり、岸近くに錨を投下してしばらく憩った。それぞれの欲するところに従って、飲んでは歌い、臥しては起きた。これもまた一況。隅田は婦女の一人との猥褻が甚だしく、笑えた。
日はすでに傾こうとしている。ゆっくり舟をめぐらしている内に酒が尽きそうなった。舟を小瀬戸に着けて上陸、酒を買った。しかるに余はすっかり酔っており再び飲むことができなかった。布巾をかぶって舟底に臥すと、たちまち夢の境にいた。しばらくすると皆が余を呼んで起こした。曰く、舟は既に大浦に到った、と。首を上げてとまの窓を開けると、オランダ屋敷の燭光が水に落ち燦然と光っていた。
弥太郎は先に立って上陸、知り合いの清人の居宅に行き、筆談を交わしました。寓舎に帰り隅田らと談話した後、酢飯を食べ、明かりを灯して聊斎志異を呼んでいる内に「眸が睫が合わさった」
十日 下許武兵衛の客前川を連れて「ヒロバハの英人メイシャウの寓を訪イ、六挺仕掛ノ銃器ヲ見ンコトヲ求ム」しばらく留まった後に辞去、大浦に行って昨日の清人と再会し、筆談を交わしました。
帰りに前川を誘い、茶店で歌妓を交えて宴会。「劇飲、長歌。日は西に傾き、よほど大酔に相なり」弥太郎は、前川は置いて歌妓二人を連れ浪花楼に行きました。馴染みの芸妓以呂波が合流、そこから大坂楼に上がり、さらに花月楼へ。
庭前の藤の花が咲き誇り、良い香りが馥郁と漂っていた。余は一人で(楼の建物と)庭との境に下りたところ、誤って小さな池の中に脚を落とし、服が全部湿ってしまった。浴衣を持って来てくれたが着替えず、もはや興も尽きたので辞出して、寓舎に戻った。
夜中近くなって、再度隅田と「諸楼を冷却」、花月に行ったものの馴染みの阿近がいなかったのでさっさと退出しました。浪花楼で多数の歌妓を侍らせて「大いに酒を飲んで甚だしく酔い」、隅田は「倒れ臥した」。弥太郎も泊まって行くよう強引に引き留められますが、聞き入れませんでした。
余りにしつこいので少し憤怒しつつ外に出ると、風雨が甚だしく強い。夜道が暗いのでやむを得ず歌妓歌路宅の戸を叩き、傘を貸してくれと相談じたものの、何か不審の様子で、(弥太郎は)不平を抱いて言葉を返さずに退出した。余が名前を言わなかったので、(歌路は)誰だろうと疑ったのだ。
浪花楼に袴も大小(刀)も置いたままだったので、そのままでは帰れない、とはいえ再び浪花楼に上がることは不都合なので、どうしようかと思案中、雨がますます激しくなり、やむを得ず帰寓した。瞼が合わさる頃には空は明るくなろうとしていた。
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