京都の好きな人へ 堀川通り


「堀川通り(ほりかわどおり)は、北は加茂川に架かる御園橋の近く、竹殿北通り付近から南は八条通りまでの道路です。八条通りからは油小路に接続しており、さらに南へ延びています。この通りの名前である「堀川」は、通りに沿って流れる堀川から由来しています。平安京の建設当時は「堀川小路」と呼ばれていましたが、一説にはこの通り沿いを鴨川が流れていたとされています。
堀川を挟んで東側には東堀川通りが平行しており、幅10メートルにも満たない細い道路です。第二次世界大戦前までは、堀川通りも同様に細い道路でしたが、現在は幅30メートル程度に広がっています。この道路の拡張は、戦時中の空襲時に類焼を防ぐための防火帯として使用されることを想定して行われました。このため、沿道の建物は強制的に疎開され、道路が拡張されたのです。
堀川は、平安京の建設時に運河として掘削され、約1,200年の歴史を持っています。平安時代には、この運河は北山連峰から得られた木材の輸送に主に利用されました。また、堀川の沿岸には貴族や皇族に関連する邸宅が建ち並び、堀川院や冷泉院、高陽院などがあり、庭園には清流が引かれていたと伝えられています。中世には、堀川で鮎を捕って食べたという記録も残っており、堀川の美しい流れがうかがえます。しかし、昭和30年代初頭まで、生活排水や染工場の排水が流れ込み、堀川は下水路のようなものになってしまいました。その後、昭和20~30年代の浸水対策によって水流は遮断され、コンクリートで底が固められた水路となりました。その結果、通常の時には水がなく、流れのない状態が長く続いていました。しかし現在は、京都市による「堀川水辺環境整備事業」によって、紫明通から御池通までの約4キロが整備され、清流が戻りました。」

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