人生の選択


誰かに聞いた話ですが、人生には三つの節目があると言います。高校や大学に入学する時、そして結婚する時、そして就職する時です。
私が24歳の頃、製菓会社に勤務していました。女性社員も多く在籍していましたが、私は異性と積極的に接触する性格ではありませんでした。しかし、何人かからアプローチを受けることがありました。数回デートのようなこともしましたが、特に感情は湧きませんでした。
そんなある時、会社の福利厚生の一環で様々なクラブ活動があり、私は軽音楽部に入部しました。その時に初めて話すことができたのが、K子さんでした。同時期に母親が入院し、手術を受ける必要があり、一週間ほど母親のベッドの隣に泊まることにしました。その病室は厚生労働省の規定により四人部屋でしたが、約50年前の病院では十人程の大部屋でした。その病室の同室の若い女性が、私のために一食分の食事を持ってきてくれました。彼女の食事と私に他のものがあるからと言ってくれました。彼女は膀胱結石で入院しており、私の勤務先と取引のある会社で社長の秘書をしていると話しました。彼女の名前はA子さんで、その時点で私はすでにK子さんと交際していましたが、A子さんにも興味を持ち、一度食事に誘いました。
二人で会って話しをしましたが、彼女は非常に魅力的なスタイルの良い美人でした。これまで女性と交際したことがなかった私にとって、突然二人の女性が現れ、選択を迫られたように感じました。A子さんとはその後も何度かデートをしましたが、最初の印象とほとんど変わらず、会話も楽しく盛り上がりました。彼女には他に交際相手はいないと言っていました。一方、交際していたK子さんとは特に進展はありませんでしたが、会社の同僚のSくんと二人でお盆休みに能登半島に旅行する計画を立てました。
K子さんの実家は福井の嶺北地区にあり、Sくんが能登に行くのであればK子さんも一緒に行くことになりました。私たちはSくんの車に乗り、K子さんを途中まで同行させることにしました。K子さんの家に着くと、比較的大きな家で、お父さんは農協に勤める兼業農家でした。夜に到着した私たちはお父さんから泊まっていくように言われ、お言葉に甘えることにしました。家族から歓迎され、食事は甘エビを中心に刺身や、お母さんが作った里芋を皮ごと煮た煮っ転がしなど、美味しい料理がたくさん出されました。私はご馳走になり、お酒もたくさん飲まされて、あのときは天井がグルグル回るほどでした。また、この時に初めて甘エビを食べましたが、とても美味しかったです。
K子さんの家に泊めてもらい、能登の旅行を楽しんだことをきっかけに、私たちとK子さんとの関係は深まりました。私自身は几帳面ではありませんが、異性との付き合いには責任を持つべきだという意識はぼやけていました。私がK子さんの実家に行ったことで、彼女の両親は私をどのように思ったのか、またK子さんは両親に私についてどのように話したのか、色々と考えました。しかし、連絡をしなかったA子さんとはその後会うことはありませんでした。結果的に私はK子さんと結婚しました。
今考えると、私にとっては重要な選択の時だったと思います。彼女こそが私の現在の妻であり、結婚生活は52年を迎えました。私が仕事を変えたり広告代理業を始めるにも彼女は黙って私をサポートしてくれました。彼女は私の最も重要なパートナーです。全てにおいて彼女が完璧であり、私の選択は間違っていなかったと確信しています。」

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