見出し画像

謝ればいいってもんじゃない

虐待とか毒親とか言うとどうしても暴力や激しい叱咤などのイメージが浮かぶ人が多いと思います。
もちろんそれも立派な虐待。
でも「自分が悪いように見せかけて子どもに罪悪感を抱かせる」という最悪な方法があるんですよね。
私はずーっとそれをされてきました。
「親が悲しいのは私のせいなんだ」「親が怒るのも私が悪いんだ」「親は泣いて謝っているのに許せない私はすごく心の狭い人間なんだ」という思い込みをじわじわじわじわ植え付けられていくのです。

何故今その話をしようと思ったのか。
それは最近母と意見が食い違い久々に「泣き落とし謝罪」が発動したからです。
毎度のことながら閲覧は自己責任でよろしくお願いいたします。


意見が食い違ったので


私からのアプローチを変えたら「タイムスリップした?」ってくらい幼少期と同じ対応をされてドン引きしました。
母は昔から感情的な人です。
それがすぐに喜怒哀楽に直結するので周りの人は余程パワフルじゃないと振り回され、疲弊して終了という感じなんです。
しかもそれを本人は自覚していない。
ちょっと話は逸れますが母自身が自分を客観的に見直す機会を持った方が良いと思う今日この頃です。
私はちょいちょい母の星座や血液型などの占いの短所の部分(母は短所と思っていないし、むしろいい風に捉えてる)部分を指摘するけれどその程度でどうにかなるなんてないんですよね…。

で、本題に戻る

その日は母の愚痴を聞かされていました。
何か言ったら面倒確定なので適当に相槌を打っていたんですが明らかに「それはイジメじゃん」って話が出てきて我慢できず、つい反論してしまいました。
どうしてもある特定の人を「悪」認定したい母と「その人にだって事情はあるでしょう」と考えた私。
もっと言えばクラスの中心にいた母(悪気はないかもしれないけれどいじめに加担していた)と万年いじめられっ子の私。
話が平行線になってきたところで徐々にお互い無言に……。
これ以上は無駄だと感じたので私は早々に部屋に退散。
これが逆鱗に触れたらしいです。
私としてはその場を離れるのはただのクールダウンだったんですけどね…。

深夜に一方的な謝罪が始まる

これですよ。
しかも問題点をクリアにせず「私が全て悪かったんです。あなたを苦しめてごめんなさい。私はダメな母親です」という内容。
待って待って。
母の人間関係の問題と私の成育歴って関係あります?
しかも深夜って正常な判断力を欠いていると言われがちな時間帯。
明日の仕事のことも考えるし、眠いのにいつまで付き合ってなきゃならないんだって絶望感で「もういいよ…」と言ってしまいがちでもあります。
ついでにタチが悪いのは「本当に悪かった」とは一切思っていないところ。
よくいじめっ子が「昔いじめた子に謝罪したい」と言いますよね。
でもいじめられっ子は謝罪なんて望んでないことも多い。
いじめっ子と対峙することによって最悪の過去がフラッシュバックするし、私個人的にはいじめっ子に対しては「謝罪なんていらないから一生関わらないでくれ」です。
もちろん謝罪してもらいたい人は受け入れればいいと思います。
でも私は謝罪なんていらない派。

要するに

「勝手に自分に酔って、一方的に謝罪して、気持ちよくなってんじゃねぇよ!」

ってことです。
お口悪くてごめんなさい。

でも「何のために謝るのか」を間違わないで欲しいというのはずっとずっとずーっと思っていることです。
加害者の罪悪感を減らすために存在するんじゃないんですよ、こっちは。
被害者の気持ちも考えてください。
謝罪拒否されても泣かないで。怒ったりもしないで。
何故「許されて当然」とハナから決めつけるのか。
その通りに行かなかったらこっちを悪者にするのか。
私は特に執念深いのかもしれませんね。
毎日そのことを考えている訳じゃないけど一生許さないと思います。
謝った方からすれば心外でしょうね。
でもいじめっ子さん達はそれだけ酷いことをしたんだって自覚をしっかり持ってください。

自分と人は違う生き物

当たり前ですよね。
けれど家の母は違う。
私を「自分の一部」と認識しています。
幼少期の頃から今も変わらず。
だから私が違う意見を言うなど母にとって予想外の行動をするとパニックになるのです。
幾らお腹を痛めて産んでも、血の繋がりがあっても、子どもは親の所有物ではない。
個性も意志も持った「1人の人間」です。
思い通りにいかないから暴力を振るったり、言葉で押さえつけたり、はたまた「貴方ができない子なのは全て自分のせいだ」と悲観する姿を見せ付けたりするのは全部「虐待」です。
特に1番最後は子どもの苦悩が周囲から見えづらく「パパやママはあんなに頑張ってるのにねぇ…」と言われがちなのです。
近所の方から見れば「子どもを想う健気な親」に映るのでしょう。
でも実際親にとって「何かが違う」言動をしてしまう度に自分より体も年齢もずっと大きな大人が

「自分はダメな人間だ」
「親失格だ」
「貴方が普通じゃないのは自分のせい」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「貴方を殺して自分も死ぬ」

などなど平常心を失い、泣き喚く姿はただただ恐怖でしかないと思いませんか?
それをしてほしくない・させたくないから子どもは「(親にとって都合の)いい子」になるしかないんです。

今回は逃げないと決めた

時間を置いて話し合う覚悟です。
また同じことの繰り返しかもしれない。
それでも私自身が「話をしたい」と思ったから。
理解してもらうためではありません。
そんな風にできるのならもっと早く解決しているはずなので。
だから「私が私の言いたいことをいう場」を設ける感じです。
泣かれても、怒られても、死をほのめかされてももう引く気はありません。
あくまで冷静に。淡々と。

どうなったかの結果報告はするかもしれないし、しないかもしれない。
それも含めて私は未知の領域に足を踏み入れようとしています。
これが正しいのか間違っているのかも分からない。
でも進みます。
自分が自分として生きていくために。


お気に留めてくださり、ありがとうございます。 サポートいただいた分は今後の執筆活動を充実させるため、有効活用していきたいと思います。