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お弁当箱を介したコミュニケーション

とあるコンサートホールの客席にて

先日、世界的に有名な音楽プロデューサーのデイビッド・フォスター主催の来日コンサートに行ってきた。ASKAとの二度目の共演だ。私はいつもよりワンランク上のおしゃれをして開演15分前に着席。

今日はどんなパフォーマンスを見せてくれるのだろう…!期待が高まる中、後ろの席からこんな会話が聞こえてきた。

「息子のことなんだけど、お弁当箱を洗わずに3ヶ月も放置していて大変なことになっていたのよ」
「えええ、それは大変。そのお弁当箱どうしたの?」「私は怖くて見なかったんだけど、息子は自分で洗って、捨てずにまた使ってるのよ」

これはビックリだった。なぜかって、DAVID&ASKAのコンサート前に持ち出す会話としては無関係すぎるし、話の内容も常軌を逸してる。

その後コンサートは始まった。圧巻の歌声に酔いしれ、あっという間に幕が閉じられた。

余韻に浸りながら帰路についたのだが、開演前に聞いた会話が頭から離れなかった。3ヶ月も放置されていたお弁当箱の惨状を想像してしまうのだった。

お弁当箱を介したコミュニケーション


私なら3ヶ月も放置されたお弁当箱を見つけたら、見なかったフリをして躊躇なく捨てる。それこそパンドラの箱だ。後ろの席の人たちの会話に出てきた息子さんは、どんな心境で箱を開けたのだろう。思い出がたくさん詰まったお弁当箱だったから、そう簡単に捨てるわけにはいかなかったのか。

ところで、お弁当には「作る人」と「食べる人」がいる。「作る人」は「食べる人」が食べているところを見ないことが多く、「食べる人」は「作る人」が作っているところを見ない場合が多い(と思う)。

見ない代わりに頭で想像するの。相手がお弁当を作ってくれている場面、相手がお弁当を美味しそうに食べている場面を想像してほっこりする。

お弁当箱に小さな手紙を入れる人もいる。オムライスの上にケチャップでハートを描いたり、キャラ弁で楽しませてみたり。食べる人の好き嫌い、体調や両も考えて作る。

お弁当(箱)=「作る人」と「食べる人」のコミュニケーションを取り持つアイテムなのだ。お互いを意識し、想像し合うきっかけをくれる。

これはなかなか面白い視点だと思っていたら、過去にはなんと「作る人と食べる人のコミュニケーションを支援するお弁当箱」を思案し、作ってしまったスゴイ人たちがいた。

お弁当箱を介したコミュニケーション支援システム*
https://mobiquitous.com/~tsuka/pub/interaction2011-lunch.pdf

お弁当箱に、小型タッチパネルパソコン、カメラ、マイク、スピーカーを内蔵したのだそうだ。そうすることで、お弁当を作る様子、食べる様子を動画や音声で自動記録できる。なるほど確かに、コミュニケーションに課題がある家族間のであればこのシステム弁当箱がお互いの意思疎通を助けることになるかも。

お弁当箱がコミュニケーションする未来を想像

皆さんは、お弁当箱にカメラ、マイク、スピーカーがついていたら嬉しいですか?

私はちょっと抵抗があるなぁと思う。お弁当の時間は、一緒に食べている相手がいればその人とのコミュニケーションを大事にしたいし、一人で食べているのなら、誰にも邪魔されたくない。お弁当を舌や目で味わいながら、作り手はこの材料をどこで買ったのだろうとか、あれこれ考える。考えながら作り手への感謝の気持ちを確認する。

逆に、自分がお弁当の作り手だった場合も「今頃食べているのかな」「味付け濃すぎなかったかな」などと、食べ手の顔が見えない中で想像するのが良いことだと思っている。

それなら、こういうのはどうだろう。

お弁当を作る人や食べる人を録画するのではなく、お弁当箱の中をモニタリングするために内蔵カメラを使うのだ。洗い忘れのまま数時間放置されていたら、カメラが感知して、作る人(食べる人でも良い)のスマホにアラートを出して知らせてくれるとか。

そんな便利機能がついたら、作る人も食べる人の良好な人間関係に役立ちそうだ。3ヶ月もお弁当箱が汚いまま放置されることを防げるし、作り手は食べ手のお弁当洗い忘れに腹を立てることもなくなる。洗い忘れの結果、捨てられるお弁当箱も減りそうだ。

未来のお弁当箱は、人と人とのコミュニケーションツールを超え、人のコミュニケーションに加わるすごいお弁当箱になっていくのかもしれない。

お弁当を作りながらそんなことを考えてみるのもおもしろい。

*小谷尚子, et al. "お弁当箱を介したコミュニケーション支援システム." 情報処理学会 インタラクション (2011): 239-242.

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