見出し画像

私が出来上がるまで(私が強くなっていくきっかけ)16

父を亡くし、おばあちゃんを亡くし、私にとっては生きていく上での1番頼りになる人を全て無くしたかのようでした。
ただ、父の死は生まれて初めての人の死でもあったのと、父親っ子で大好きだったので、喪失感は半端なかったです。
遺影の前で三日三晩座って泣き続けました。
泣いても帰ってこないのに。

父は私が3〜4歳の頃バイクで事故に遭い、長い入院生活を経験してます。
そして、亡くなる3カ月ほど前からまた入院生活。
なので、私はまた帰ってくるんだと知らないうちに頭に刷り込まれていたようでした。
当時の私は寂しさのあまり、父はまだ入院しているのかも。それともどこかで実はまだ生きているのかも。と知らないうちに妄想を描いていたようです。

そのせいか、父と同じ年代の男性をみたら、父にそっくりにみえたりしていました。
一度、電車の中で父と瓜二つの人を見かけました。
思わず「お父ちゃんだ!!やっぱり生きてた!」と心の中で思いました。
途中の駅でその男性は降りましたが、思わずついて行きたくなりました。
またその駅を通ると、知らず知らずのうちにその男性の姿を探す癖がしばらくありました。

勿論何年経っても父はこの家には戻って来なかったです。
母は、父が交通事故で障害者になってから、元働いていた会社に復職しているので、毎日とにかく働いてへとへとになって帰ってきてました。
その頃は朝は、歩いてすぐのパン屋さんに毎朝菓子パンを買いに行き、1人で朝ごはんを食べ学校へ行きます。
帰ってきても母は仕事なので誰もいないです。
いわゆる鍵っ子でした。

親を早くに亡くした生徒はそんなに多くなく、珍しい方なので、友達や先生からの優しい気持ちをその言葉や態度で感じていました。
しかし私はひねくれていたのでしょうか、同情されるのがとても嫌で、とにかく笑っていました。
今まで以上に。
父の葬儀の時に、お向かいに住んでいた1番の仲良しの幼馴染に「ロコちゃん、可哀想」と声をかけられたのがずっと心に刺さっていました。
彼女はとても優しいのに。
心から私を労ってくれていたのに。
『可哀想』と言う言葉が辛くて悔しくてたまりませんでした。
「え?私は不幸なの?可哀想な人なの?」と。
父が生きていた時の家庭は兄とよく喧嘩をすること以外、なんの不満もなく、幸せを絵に描いたような・・・という表現が合ってる家庭だったと思います。
それが父が亡くなることによって人から向けられる目線が変わったのをここで感じました。
私の心はと言うと決して不幸ではなかったのです。
父と別れたことは辛かったけど、日常は何も変わらない。
だけど、学校へ行っても皆んなが気の毒な目で見てきたり、いつも厳しい先生が私にだけとても優しかったり。
私はそれがとても辛かったのです。
いつもと同じでいてほしかった。
人の優しさを汲み取る力がなかったのか、気が強かったのか、こう言う気持ちになって、私はどんどん強く変わっていきました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?