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しょ〇〇だんご

僕の愛した南が丘の海はこんな感じだ。右の方向はキャンプをしたコムケ湖やサロマ湖方面で、晴れた日は、崖の上から眺めると、遠くに知床の陰がうっすら見えた。今回は図の①海水浴場にまつわる思い出。

泥道を下ると狭い砂浜が広がっていた。




■水泳の時間

小学校にはプールはなかった。今もないと思う。何しろ寒いから。運動会の時でさえ、寒くて震えていた時があったくらいだ。よって、プールの時間はなかったが、確か小学3,4年の頃に1,2度だけ海水浴場に授業として行ったことがあった気がする。

遊泳できたのは気温25度以上の時だったと思うが、それでもオホーツクの海は冷たいので、海から上がってくる子供たちはガタガタ震えていた。唇は紫色だ。直ぐに濡れた体にタオルか何かを掛けるか、少しでも温かくなっている砂浜に体を横たえた。再び泳ぎに行くのは体が温まってからだから、まるでトドやイグアナのようだ。実は、海に入っている時はさほど寒く感じないので、変な話だが、海から出るのが怖かった。

海水浴と言ってもそんな感じだから、僕は泳げない。自分の中では、紋別の人は誰一人泳げなく当たり前と思っている節がある。


余談だが、大学時代、クラスメートの子から「神元君、泳げるの?」と可愛らしく聞かれたことがある。その時は「ばか言え。紋別では海に飛び込むと夏でも流氷に頭をぶつけて大怪我する」とバンカラぶった返事をした。すると別の子が「高校は遠かったの?どうやって通っていたの?」と、これまた可愛らしく聞いてきたので、「みんなはバスだったけど、僕は熊。熊に乗って学校に行く。下校時間になると迎えに来る」と真顔で話した。すると、それを聞いていた周辺の人たちも「ええー! ホントー!!」、「ホントかー!!」と大声上げて驚いたので、「嘘に決まってるだろ」と笑ったら、その瞬間から誰も僕の話を信じなくなった(笑)。


■しょ〇〇だんご

話を戻すが、そんな寒い海水浴場で忘れられない体験をしたことがある。確か小学5年の夏休みだったと思う。できれば、ここから先は、女性は読んではいけません。

しょうゆだんご

その日は泳ぎに来ていた子供は殆どいなく、人影はまばらだった。これは、そんな閑散とした砂浜に、どこからか「お団子屋さん」が売りに来た ―― という話ではない。多分、この時点で、この話の先が読める人は誰もいないのではないだろうか。この話は自分としては書きたくない。書きたくないけど、かなり稀有な体験なので、後世に伝えなければいけない義務を感じて書いている部分がある。信じて欲しい。


そこで話を戻すと、その日、一人でパシャパシャ泳ぐ練習をしてから砂浜に座っていると、男友達が隣にやってきた。二人で「寒いな」とかお喋りしていると、そいつが「これ知ってるか?」と言った。

「面白いぞ。お前もやってみろ」
「いやだよ、そんなの」

「俺がやって見せてやる」

そういうと、やつは開いた両脚の間に乾いた砂をかき集めた。海水パンツの前の部分が砂で隠れた。そして、少しの間、静かに遠くを見つめるような顔をしたかと思うと、「ほら!」と言った。

僕は驚いた。それは魔法だった。なんと、やつの脚の間の乾いた砂の中からころりと、砂団子が転げ出たのだ。

「な、面白いべ。お前もやってみろ」

「いやだよ、パンツ履いてるからできないよ」
と言いつつも、僕も砂を寄せ集めて、暫くの間頑張ってみた。

やがて、下腹部に解放感を感じると、砂の中からひとつの団子が生まれ出た。やつのと同じまん丸だ。

「な、しょ〇〇だんご、面白いべ」

確かにそれは見事だった。

「しょ〇〇だんご」を製造したのは後にも先にもその1回だけだったが、乾いた砂の中からまんまるの砂団子が転がり出てくるのは、芸術性が高い職人技の様だった。

かくして、この日のことは、脳裏にこびり付いた記憶となって残っています。


このばかな話を読んでくれた人で、この夏の残りに、人で溢れ返った綺麗なビーチを歩くことがあったら、少しだけ砂に注意してみましょう。綺麗に丸くなったお団子を見つけることがあるかも知れませんね。(笑)


この技を伝授してくれたやつの名前を思い出せないのが残念で仕方がない。


因みに、表題の「しょ〇〇だんご」の「〇〇」は自分で埋めてください。「うゆ」ではありません。

(まこと)




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