5章第4話 万事休す!
昨日は夕方から会場に入り、アマチュア・スタンダードの熱い戦いを観戦しました。合間に20分ほどのダンスタイムが何度かありましたが、そんなに踊っている人はいませんでした。しかし、そのスカスカのフロアが、かえって大きなプレッシャーとなりました。目立ちすぎる気がしたからです。それでもみんなは、勇気を奮い立たせてフロアに立ったのですが、膝が震えるばかりで踊り始めることさえできませんでした。
夜のホテル。完全にうな垂れているみんなを前に千葉ちゃんが話しました。
千 葉: いや~、やっぱ、ブラックプールは凄いね。フロアは広いし、天井は高いし、人は多いし、踊りのレベルは高いし。すべてが想像以上だね。
全 員:…。
千 葉: 今日は全く踊ることさえできなかったけど、明日は、せめてみんなで踊ろうよ。フォーメーションは忘れてさ。せっかく思いで作りに来たんだからさ。
全 員:…。
千 葉: プログラムによると、明日は開場が午後3時で終わるのは深夜。多分0時を回ると思う。終わりまでに6回のジェネラルダンスタイムがあるし、せっかくここまで来たんだから、勇気を出して踊って帰ろう。
全 員:…。
千 葉: じゃあ今日はこれでお開きにしよう。ちゃんと寝るんだよ。お休み。
全 員:…。
翌朝、ホテルのレストランに集合した皆の顔を見て、千葉ちゃんたちは驚きました。全員、ニコニコ笑顔なのです。
千 葉: ど、どうしたんだ、みんな!
寿 美: なにかあったの? 大丈夫??
さとし: いやさ、昨日解散してから俺たち、なんで一歩も動けなかったんだろって話し合ってたらさ、原因が分かったのよ。
千 葉: 何だったの?
恵 美: 私さ、せっかく送り出してくれた旦那たちに申し訳なくてさ、電話かけて「ごめん」て、事情話したのさ。そしたら、「みんな、ちゃんと飯食ってるか?」って。それで、はっとしたんだわ。そう言えば食べてるけど、食べてない感じがするって。
さとし: それ聞いて、みんなも「それだ!食べてるけど、食べてない!」って。それで調子が出なかったんだって。
「えっ、それが原因?」「上がってたんじゃなかった?」 ―― 千葉ちゃんたちの目が点になっています。
ミッチ: なんか、普通に美味しいもの食えば元気が出るのになー。
やっと、寿美ちゃんが話せるようになりました。
寿 美: そ、そうだったのね(汗)。じゃあ、昼は何にしましょう。 ハンバーガー? カレー? フィッシュアンドチップス? 中華?
全 員: ぜーんぶ食べたーい!
そうもいかないので、お昼は近くの中華レストランを予約して出かけましたが、席に案内されるや否や、注文するわするわ。食べるわ食べるわ。
ということで、満たされたみんなは最初のダンスタイムになると勢いよくフロアに飛び出し、自分たちなりのダンスを楽しみました。そして、2回目、3回目、4回目のダンスタイムになると、徐々にフロアの中から会場を見渡す余裕さえ生まれてきたのですから驚きです。昨日のことを考えると、これだけでも十分で、みんなはよくやったと言えますが、ここまでくると、やはり欲が出るというものです。
寿 美: みんな、本来の元気が戻ったみたいね。そしたら、どうするの、あなた。
千 葉:そうだな…。最後のダンスタイムは決勝の発表前にあるけど、まあ、踊れないと思っている方がいい。つまり、次のダンスタイムで仕掛けようと思う。
ヤ ス: いよいよだな!
千 葉: イチかバチか、やってもいいかな?
全 員: いいともー!
全員の気持ちが一つにまとまりました。
そして、次のダンスタイムになるや否や、千葉ちゃんがフロアに美和ちゃんを送り出すと、美和ちゃんはモップを手に、広いフロアを小走りで掃除し始めたのです。
実は、これこそがダンスタイムをハイジャックする秘策だったのです。あたかも床掃除の時間と思わせ、踊りに入ろうとする人たちを敬遠させる狙いでした。
しかし、美和ちゃんの姿は誰の目にも「おかしい」のは一目瞭然です。通常の床掃除は、マイクロファイバークロス使用の幅広モップで二人が並んで整然と行いますが、今、みんなが目にしているのは、普通のモップを持ったジーパン姿のおばちゃんが、ちょこちょこ動き回っているだけなのですから!
あちこちから大きな笑い声が上がりました。
すると、控室に向かっていたMCがこの騒ぎに気付き、振り向いたかと思うと、急ぎ足で戻ってきました。そして千葉ちゃんを捕まえると、とても険しい顔で話し始めたではありませんか!
万事休すです!
「北国ダンサー物語」(作:神元 誠)
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