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幼少~小学時代

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幼少~小学時代の記憶に残る日常生活を綴ります。
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#芭露

親父を超えられない

「おまえ、持ってないべ?」 と、田舎の兄から数枚の写真が送られてきた。昨年のことである。 確かに持っていない。見た記憶も余りない。 小さかった頃の写真は殆どないので嬉しい。 ましてや親父と一緒で、しかも、親父に甘えている姿がとても嬉しい。 裏に、母の字で「誠4歳」とある。もっと小さいように感じる。 親父とはキャッチボールをしたり、海や川の釣りにも連れて行ってもらった。親父に釣り針の結び方を習った時の事はよく覚えている。 親父のバイクにまたがり、山にコクワ(キーウィに似

お母さん、あれは誰のだったの?

水泳がまるでダメです。 3才位の時、母と姉とサロマ湖で水遊びをしたらパンツが濡れた。 帰るときになっても、パンツは乾いていない。 替えもない。 「そのままズボン履いて帰ろう」 「いやだ!」 「しょうないでしょ。乾いてないんだから」 「パンツなしでズボンはくのいやだ!」 と、十八番のダダをこねると、とてつもなく大きなパンツを履かせてもらった記憶がある。 お母さん、あれ誰のだったの?  この疑問が原因とは思わないが、以来、水泳はダメ。      ◇ ◇ ◇ 昨年

もう泣きません!

僕は芭露という町で生まれた(地図の赤丸の辺り)。 産婆さんに取り上げられた時、泣かなかった(らしい)。 つまり呼吸を開始しなかった。 慌てた産婆さんは僕を逆さにして振ったり叩いたりしたが、それでも泣かなかったので、顔はどんどん土気色に変わっていった(らしい)。 その様子を見ていた母は、案外あっさり 「もういいわ…」と諦めた(らしい)。 「すでに子供が3人いるから」と。 その時になって、僕は遂に「オギャー」と泣き出した(らしい)。 こうして、反骨精神いっぱいの僕の人生