実家の父が倒れておもうこと
いつまでも元気でいるとは思っていなかったものの、子どもの成長と親の老いは、目を見張るものがある(苦笑)。自分の中で、超えられない存在的威圧感をもっていた父が老いて、変わっていく。かろうじて自分を保とうとしているのが伝わってきて、それを想うと、これを書きながらでも、鼻の奥がツンとする。
4月の終わりに5月末の退職に先立ち、職場の本棚を自宅へ持ちかえろうとして、車から後ろ向きに倒れ、頭を打ち、通りすがりの医師と看護婦さんにより心配蘇生後、救急搬送された父。病状も落ち着いてきて、リハビリ専門病棟のある総合病院へ移り、隣の病室の老婦人が、甲高い声で看護婦さんを呼んだり、ののしり続けているのをきいたのが影響したかどうか、初日の夜から、せんもう症状が出始めた。母によれば、病棟の看護師さんたちから面倒みきれないとさじを投げられ(あとで退院日に看護師さんから母が父をひきとりたがったと聞く)、精神病院への入院をすすめられるも、ソーシャルワーカーさんのすすめもあり、みつけた自宅から車で5分の24時間医療ケア付老人ホームに体験入所した。
そこからのことは、いろいろな事やそれに伴う感情の動き(母との関係性の葛藤も含めて)は、とても一言では語れない。
老いるということ、老いた先の生き様、暮らしに、待っているものを
常に想像せざるを得なかった。現代人の”分ける”→”見えにくくする”という考え方にも、効率重視の世の中にも、不信感と違和感が混じって、
自分(たち)は本当にこういう風に
最期を終えたいのかという、究極的な問いが自分の中にリアルに立ち上がった。動けるうちに、自分たちが死をむかえる頃に後悔しないような世の中に
すこしでも自分の身近のできる範囲だけでも、しなくては、という想いも立ち上がっている。
みんな、おかしいとわかっている。
それをどうして、みんな、おかしいと言わずに
のみこんで、病みながらも、従うのか。。
結局、入所から1か月たったころ、自宅に1泊することになり、手伝いにいった。自宅ではきょろきょろしていたが、湯沸かしポットの沸騰メロディを思い出したり、記憶も戻ってきていた。私も帰る時間が近づき、老人ホームへ帰りたがらない父を半分だますように(キャンセルにも延泊にもサインがいいると看護婦さんが電話で説得してくれて)連れていき、父を置き去りにして母と去ってから、コロナ発症で閉じ込められた父は、さらに高級老人ホームに自由と尊厳の欠如を感じたのは自然な流れのように思う。
ホームを抜け出そうとして職員と山を下りてくるを繰り返すようになり、職員にもひどいことを言ったりするのを苦虫をかむような顔で見ていた母、病院受診で外出したのをきっかけにタクシーから降りてくれず、自宅へ。その後もホームへは頑として戻らず、母は仕事を休んで自宅で見ることを決意した。母の挑戦は続く。。お盆期間、帰ろうと思っていたが、先週末に香川の空き家の風通しを炎天下した疲れが出たのか、たまった仕事もあったし、弟二人は来ないし、南海トラフも怖いし、お盆期間は自宅で過ごし、実家へは日帰りで1日行くことで家族とも折り合いをつけた。
まずは自分の体力と気力を整えてあげようと思う。いろいろ、ポカミスもあり、あちこちに平謝りの日々である。
それでも、生きてることに感謝である。
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