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あの頃の俺らは確かに輝いていた。

俺は物心着いたころには、ヤンキーと言う学校のルールなどは無視し、タバコを吸ったり万引きしたりバイクを盗んだりした日々を送っていた。

その当時は喧嘩で誰が強いとか、誰とやったなど、各々の家庭環境もさる中、それはそれで楽しい日々を過ごして居た。
しかし、それは、ただ楽しいだけの毎日だった。
普通は部活や勉強など、詰まらない事も、やらなきゃいけない、勉強を頑張れば将来が約束される、俺らはというと、昼頃に登校しては、皆で集まりタバコをふかし、授業になんて出ない。
先生と喧嘩することもあったし、親ともぶつかりあった、平和だった俺の家族も何かが可笑しくなっていっていたのだ。
だけど、悪い事ってのは、刺激的で楽しい。
ある日、先輩に呼ばれた俺と長島で家電量販店へと向かう、そこで先輩はライターのガスを万引きし、すぐ近くの土手で、ライターのガスを吸った、フワフワしてくる、空から外国人の女の人の声が聴こえる。
ガスパン遊びと言われ、幻覚や幻聴が現れる、もちろん体には悪い。
ある日、ガスパンでラリった友達が、「マリオが飛び跳ねてる」と言った、俺はふーんって感じでボーっとしながらガスを吸っていた。
ある日の夜中、幼稚園の敷地に侵入して5人くらいでガスパン遊びをしてたら、遠くの方から赤灯が回ってきた、不法侵入で逮捕されるから逃げては見たもののフラフラだったから、3人まとめてポールとポールを繋ぐチェーンに足を引っ掛け勢いよく、ズテーンと転んだ、そのあとどうしたか忘れたが、今でも滑稽に感じる。

昼頃に学校へ行く、俺は身体の線が細く先生からターゲットにされることが多かった、退屈しのぎに家庭科の授業に友達と侵入し、料理に洗剤をかけてフザケてたら、先生は、華奢な俺だけを、つまみ出そうとした、俺はそれが分かってて気に食わなかったから一発殴って頭突きをかましてやった、赤く染まる俺のワイシャツ、鼻から血を流した教頭先生のテンパった顔は今でも覚えている。
傷害という立派な罪である、しばらくするとパトカーや刑事の車が学校に到着した、俺は友達と一緒に公園に身をひそめていた、指名手配がかかると言われ、学校に戻り逮捕された、「しばらく帰れないからな」と刑事に言われた、そして留置場にぶち込まれた。
面会に来た親は泣いていたと思う、無事鑑別所に送られた、俺は、初犯だから少年院には行かないだろうともたかをくくっていた。
さしだされたコーラを飲み、中では反省していたが、出て来て、元のメンバーに合流したら、反省なんてのは水に流されたかのように無くなっていた。
友達から貰ったセブンスターの煙が空へと消えていった。


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