子どもは多言語の世界をどんなふうに受け止めているか
子どもは、多言語が飛び交う世界をどう受け止めているんだろう。
バイリンガル育児をする親としても、純粋な好奇心からも、ずっと知りたかったことでした。しかし当然ながら、幼い子どもは自分に見える世界を大人に分かるように伝える術を持たないわけで、色々な状況や断片のような言葉から、パズルを当てはめていくように想像するしかありません。
今回の記事は、我が家の中間報告です。条件としては、父親と母親の言語が違う国際結婚家庭で、1親1言語方式を採用。社会の言語と父親の言語が同じで、母親の言語はマイノリティ。日本への帰省を除き、生まれてからずっと同じ地域に住んでいる同時バイリンガルの事例です。特に、3才頃に言語の違いに気づき、4才ぐらいで相手による使い分けが確立するようになるまでのエピソードを中心にしました。
たった1人の事例ですが、うちはこんなだったよ!という一つの例として、子どもの視点で書いてみますね。
1.ママのいうこと、わかるよ(語りかけへの反応)
ママがいったんだ。
「おみず、ほしいの?」って。
こくん、ってしたんだ。そしたら、おみずくれた!
ママがいったんだ。
「これ、たべないの?」って。
それは、ぜんぜんおいしくないの!
くび、ブンブン。
「そう?じゃあ、こっち、たべる?」
こくん。
そしたら、おいしいほうのをおくちにいれてくれた!
2.ぼくのいうこと、わかる?(喃語を話す)
まいにち、いっぱいおしゃべりしてるんだ。
ママがなんかいったら、ちゃんとおへんじするんだ。
おはなししたいこと、たくさんあるよ。
ゆびで、あっちみて、ってすると、ママもみてくれる。
ママもおはなしいっぱいしてくれる。
でも、なんでぼくのいうことに、ちがうおへんじするんだろう?
ねえママ、ぼくのいうこと、わかってる?
そうじゃないよ。
わかってくれないんなら、おおきいこえになるよ!
3.ママのことばとパパのことば、どっちだろう?(二言語を認識)
ここは、とってもおもしろい!
ぼくのまわりにいっぱいあるもの、パパは、공っていう。
아빠 이게 뭐야?(パパ、これなに?)
「이것? 이건 공이야」(これ?これはボールだよ)
공!!
「그래, 공」
공、공
「ボール、いっぱいあるねぇ」
ママはまた、ちがうこといってる。
ぼーゆ?
「うん、ボールだよ」
ママは、ボール。パパは、공。
じゃ、あのおじさんは、なんていうのかな。
きいてみよう。
이게 뭐야 ?(これなに?)
「어? 이것? 공이에요」(うん?これ?ボールだよ)
じゃあ、あのおじさんは?이게 뭐야 ?
「응? 공이지」(ん?ボールだね)
じゃあ、あのおじさんは?이게...
パパがぼくをだっこした。
「이게 공이지. 아빠가 알려줬잖아. 왜 다른 사람한테 또 물어보니?」(ボールだよ。パパが教えてあげただろ?どうしてまた違う人に聞くんだい)
まってパパ。
あのひとは공ていうか、ボールっていうか、しりたいんだ。
4.ママのまわりはママのことばになる(二言語の使い分けへの仮説を立てる)
ママは、ママのことばをしゃべる。
それは、ママとぼくだけわかるんだ。
パパもハルミ(幼児語でばあば)もせんせいも、みんなパパのことばをしゃべる。
でも、パパがママにちかづくと、パパはちょっとだけママのことばをいうときがある。
ハルミも、ママがいるときは、「おさかな」って言ったりする。
それに、ママとなかよくはなすひとは、ぜんぶママのことばになるときもある。
きっと、ママのちかくにくると、くちからママのことばがでるんだな。
じいじとばあばも、ママといるとママのことばだから、ぼくもママのことばでおしゃべりする。だけど、ごはんたべてるとき、ママがどこかいっちゃって、じいじが「おにわにいこう」っていったんだ。
じいじ、ママいないと、ママのことばわかんないよね?
ぼく、パパのことばでおはなししてあげるね。
「おまたせ」
あっ、ママがきたよ、じいじ。
「いやぁ、まいったよ」
「え?なんで?」
「ママがいなくなったら、急に韓国語話し始めちゃってさ…」
じいじ、ママきたから、ママのことばでる?
じゃあ、ママのことばではなそうね。
5.なんで、ちがうふうにいうの?(二言語使用への疑問)
ハルミは、あれを거미 줄っていってた。ママとおさんぽしてたら、おんなじのなのに、「くものすだね~」っていった。
あれママ?
これ、거미 줄だよ?
「くものすだよ」
ちがうよ、거미 줄だよ?
「うん、くものすだよ」
?????
ハルミは거미 줄っていってたよ?
「そうだね、ママは、くものす。ハルミは、거미 줄って言うんだよ」
?????
なんで?
なんで、ママとハルミはちがうふうにいうの?
「ママとハルモニはね、違う言葉話すからね。それで、そうなの」
ふうん…?
6.ぼくのことばもつくったよ(自由な試行錯誤)
ママ、きいてきいて!
パパとママのことばみたいに、ぼくもぼくのことばをつくったよ。
※△?☓★☆!
「え?どういう意味?全然分かんないよ」
※△?☓★☆!
「ごめん、ママのことばで言ってくれる?」
もう、なんでわかんないの?
ぼくはママのことば、聞いてたらわかったのにな。
7.パパ、ママのことばでいって!(人による言語の使い分け徹底)
きょう、ママは「おしごと」なんだって。
「よるおそくかえってくる」んだって。
パパに「よるおそく」はいつってきいたら、おそとがくらくなったらっていってた。
もう、おそとはまっくらだよ。
もう、「よるおそく」だよ。
どうしてママはかえってこないの?
パパ、ぼくをだっこして。いっしょにママをさがしにいこう?
ママー、どこー?
パパもいって。おそとで、おおきいこえでいわないと、ママにきこえないよ?
パパ、ちゃんとママのことばでいわないと、ママわかんないよ。ちがうよ、もっとおっきなこえでいって!パパ、ぼくみたいに!
ママー、どこー!?
ママー、どこー!?
ママー、どこー!?
あっ、ママだ!
ほらね、ちゃんとママのことばで言ったら、ママかえってくるんだよ。
8.ばあばのとこにいれば、ママのことばがわかるよ(言語習得への推論)
ハルモニが、「할머니한테는 네가 일본어,엄마말 알려줘(おばあちゃんにはあなたがママの言葉を教えてね)」っていったんだ。
それで、ぼくはおしえてあげたよ。
いっしょに、ばあばのとこにいったらいいよって。
ばあばのとこにいれば、ママのことばわかるようになるよって。
ぼく、ばあばのとこでいっぱいねたら、ママのことばもっとよくはなすようになったよ。
だから、ハルモニもばあばのおうちにいって、いっしょにねようねっていったんだ。
ばあばのおうちはひろいから、ぼくがねるおへやでいっしょにねたらいいし、ハルモニがねるおふとんもあるからね。
9.ママはにほんご、パパはかんこくご(言語の概念化と言語話者のグループ分け)
ママのことばはにほんご、パパのことばは、かんこくごって言うんだよ。
ママと、じいじとばあばと、おじちゃんはにほんごのひと。
パパと、ハルモニとハラボジと、チャグンアッパ(おじさん)たちは、かんこくごだよ。
ほいくえんのせんせいと、おともだちはかんこくご。いっしょにあそぶおともだちは、にほんごとかんこくごのこ。にほんにいってあそぶおともだちは、にほんご。
まえに、チャグンオンマ(おばさん)のとこにいったとき、のどがかわいてママにいったら、「おみずちょうだいって、チャグンオンマにいってごらん」ていうから、そのまま「おみずちょうだい」って言ったんだ。
そしたら、チャグンオンマはぜんぜんわかんなかった。
「아 목말랐어요? 잠마(작은 엄마)한테는 한국말로 해줘 」(のどが乾いたの?おばさんには韓国語で話してね)
チャグンオンマもかんこくごなんだ。
チャグンアッパとチャグンオンマには、赤ちゃんがいる。
ママってば、赤ちゃんにママのことばでどんどんはなすから、「赤ちゃんはパパのことばだよ!」っておしえてあげた。そうしたら、「赤ちゃんには何語で話しても大丈夫だよ」だって。へんなママ。この子はかんこくごの子なのに。
10.なんでわかんないの?(自分が経験している世界の一般化)
ハラボジのおうちで、みんなでご飯たべてたんだ。
ごはんがおくちにいっぱいになって、ママに「おみずちょうだい」っていったのに、ママがハルモニとはなしててくれないから、おっきな声で「おみず、ちょうだい!!!」って言ったの。
そうしたら、ハラボジが「おみずちょうだい가 뭐야」って聞いてきて、ママはおみずをとりに行って、ハラボジが「おみずちょうだい」ってどういういみなのってまた聞いたんだよ。
なんでハラボジわかんないの?
물 주세요! 이거예요!
って、ぼくがおしえてあげたんだけど。
なんでわかんないのかな?
ママはぼくと話したこと、もういちどハルモニとかにパパのことばで言ったりするんだよ。おんなじいみなのにね。
ぼくのともだちも、ぼくとママがはなしてると、「뭐라는거야?(なんていったの?)」ってきいてくることあるけど。
なんで、わかんないのかな?
だからぼく、ともだちにおしえてあげるときもあるよ。안녕はバイバイだよとか、そういうの。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
ここまでの内容は、以前に書いていたブログのバイリンガル育児の記録を振り返りながら、再構成したものです。実際息子が頭の中でどう考えていたのかは分からないので、事実に基づいたフィクションです。
1.ママのいうこと、わかるよはこちらが言うことを理解して反応が返ってくるようになった頃、2.ぼくのいうこと、わかる?は喃語で何やら盛んにおしゃべりしていた頃で、どちらも発語前です。語りかけは私は日本語、夫や義母は韓国語だったのですが、どちらも理解して反応していました。
3.ママのことばとパパのことば、どっちだろう?は、2才を少し過ぎた頃。物を指しては「これなに?」と聞きまくっていた時でした。キッズルームのボールプールで、どんどん知らない人に声をかけていくので一緒にいたパパは焦ったそうです。きっと誰が何語を話すのか、確認したかったんだろうねと、今では笑い話になっています。
4.ママのまわりはママのことばになるは2才後半のときですが、母親がいる時だけ日本語を話す、という時期がありました。私の両親と私という日本語メンバーでずっと話していても、私が席を外すと韓国語になる、という不思議な現象でした。きっと、人により言葉が異なるというよりも「ママがいるとみんなママの言葉を話すし、ママがいないとパパの言葉を話す」と理解していたのかな~と推測しています。実際、日本語が分かる韓国の方と一緒にいる時は、そういう風になっていたんですね。この行動は3才を過ぎると現れなくなり、比較的短い期間で終わりました。
3.4のエピソードから、言葉をどんどん吸収して自分で話し始めるようになる時期に多言語に触れている子どもは、文法や表現だけでなく「誰が」「どこで」「誰といる時に」「どの言語を話すのか」を観察し、仮説を立てて繰り返し試しながら理解していくのかなと思っています。
5.なんで、ちがうふうにいうの?は、3才を過ぎた頃の話です。人によって、同じものを見ても教えてくれる言葉が違うということに、初めて疑問を抱いたようでした。なんにでもなんで?なんで?と聞いてくる時期でもありました。6.ぼくのことばもつくったよと言って、自信満々に意味の分からない音を発していたのも、3才の頃だったと思います。
7.パパ、ママのことばでいって!も同じ頃のエピソードで、日本語で叫びながら父親にも日本語で叫べと強要する息子を抱いて、夫は本当に困りきったようです。暗闇の中、道に佇んで待っていた二人の姿は今でも忘れられません。
5,6,7のエピソードは、いつの間にか二言語を身につけた子どもが、ふと世界の成り立ち(言葉の使い分けの原則)に疑問を持ち、やがて人によって言葉が違うんだという確信を持って行動するようになるプロセスだったなぁと振り返りました。
8.ばあばのとこにいれば、ママのことばがわかるよ、9.パパのことばとママのことば、10.なんでわかんないの?は、いずれも人による言語の違いを理解し、相手に合わせて使い分けるようになっていた3~4才の頃のことです。それまで単純にママ、パパで言葉を使い分けていたのが「にほんご」「かんこくご」という概念を持つようになっていきました。ただし、自分の経験を一般化し「他の人も自分と同じ(=みんな二言語が分かる、またはすぐに分かるようになる)」と思っているフシが見られました。
その後、4才を過ぎて日本語の会話が長くなり、私が周りに通訳をするようになったことから、母親が韓国語も分かるということが息子にバレました。「ママと韓国語で話したい」と言ってきたこともありますが、「ママは日本語で話したい。それに、ママと日本語で話していないと、じいじばあばに会った時に日本語で話せないよ」と断りました(ごめんね)。すると、「じいじばあばと話すときは日本語にするよ」と言っていました。前にすぐ覚えたから、いつでもその気になれば話せると思ったようです。
結局、母子は引き続き日本語で話すことで合意して、4才、5才は順調でしたが、5才後半から6才の今。3才以前にも見られた言語の虫食い現象が再びやってきました。しかも今度は更に複雑になって…。
幼児から児童へと移行していく時期、多言語環境の子どもは言語の面でも新しいフェーズを迎えるようです。
そのことについては、また別の記事でまとめてみたいと思います。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
途中で住む言語圏を移動した場合や言語の使い分け方が違うと、また違うプロセスを辿るでしょう。
他の方のうちはこうだったよ!というお話や、これってどうなの?という質問などもありましたら、お気軽にコメントにどうぞ…!
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