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娘の結婚まで 壊れた夫婦

「キタ・・・ヤダ・・・」

私はじっと椅子に座ったままだ。オットも半分腰を浮かして固まっている。戸が開く音がして、娘の声がした。

「どもー」

想像と違う、あまりに普段通りの声。途端にコケつつ玄関に走り出た。

娘がいつもと変わらない調子で
ぬっ・・・と立っている。顔もいつも通りである。

私のギアがヘンなところに入った。
娘が向かって右を見た。その視線の先に彼がいるのだ。

私と夫が外に出ると、スッとした背の高い男性が折り目正しく立っていた。
そして
「初めまして。〇〇 〇と申します、よろしくお願いします」
と、きびきびながら柔らか、そして緊張感たっぷりという感じで頭を下げた。

私はこのところずっと、敬愛する佐藤愛子さんのエッセイを思い出していた。愛子さんの娘さんに縁談が持ち上がり、彼と会う場面だ。

愛子さんはこう書いていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・

「この母親のために破談になったりせぬよう」という思いが、
(常にありのままに正直に己を見せるという日頃の主義にもかかわらず)
一瞬頭を掠め、つい、
「こちらこそよろしくお願いしますわ」
と上品を心がけたことを告白しておく
            佐藤愛子「娘と私と娘のムスメ」より

・・・・・・・・・・・・・・・・

私も全く同じ気持ちで、実を言うと普段めったにしなくなった化粧をし、マスカラまで付けて無理をし、更に彼の挨拶に、その目をパチパチさせながら、声あくまで静かに、しかし我ながらキーはいつもより高く

「Mの母です、こちらこそよろしくお願いします」
と上品を心がけたことを告白しておく。

あとで夫に
「豹変」
「さっきまでと別人」
「ウェルカム全開」
と言われたが、いざ対峙すると私は全力でもてなしたくなるのが常なのである。

それにしても・・・だ。
なんということか、彼の名は、夫の名前と同じである。
もっと言うと、字は私の名前の一字と同じなのである。
私の心中をたちどころに察した娘は

「そういちいち縁だなんだと感じなくてもいいからね」

と釘を刺す。刺しつつハハハと笑っているではないか。
どうもなんだか娘の方が余裕で悔しい。

私の挨拶のあと、娘が夫のことを紹介した。夫もなんだか様子がおかしい。きちんとしようと思って、きちんとしているつもりのようだが、どうも変なのだ。

「さあさあ、どうぞ、こんな何もないところまでわざわざねぇ・・・犬も猫もいて散らかっていますけど」
「はっ・・・お邪魔します」

居間に通す。

「どうぞおかけください」
「はい」

娘のカレはきちんとしているというか、緊張しているのか、私もおかしくなっているのでどちらともわからぬ。

「まずお茶にしようか?」
と娘に問うと
「お腹空いた、ご飯がいい」
と言われる。

一応リサーチ済だが、
「苦手なものってありますか?」
なんて初めて聞くようなふりをして尋ねる。
「何でもいただきます」
と言うと、娘が
「マヨネーズとかドレッシングね」
とフォローする。

何? ドレッシングとな。
私も嫌いだ。嫌いというか必要としない。何せ育つ過程でドレッシングなるものを、伯母も母も用いたことがない。塩か醤油で食べていた。
フライでもソースが嫌いなので醤油だった。

「私もドレッシング苦手なんです」
と言うと
「じゃ、サラダとかはなんで食べるの?」
と夫が割り込んで問う。
「塩か醤油で・・・」

私はイヒイヒとなりながら
「今日はメインがなくて、山菜ばかりなんですが、じゃ、天ぷらも塩かツユでいいですか」
「はい」
「肉っ気がないんですよ」
「いやいや、ご馳走になりに来たようで申し訳ありません」

背筋正しく伸び誠実に返事が返ってくる。一応最初の関門は通過したので、あとは夫に任せて、台所に逃げた。

いざ天ぷら。
私の天ぷらは、誰に出しても褒められる。
自分でもわからぬが、確かにサクサクと美味しい。
コロモべったり、油じくじくにはならないのである。

張り切って天ぷら鍋に火を点け、揚げ始める。
向こうでは夫が名前について尋ねていた。

「自分の名前って嫌いじゃないかい?」
唐突な質問であるが、困惑気味ながら
「いえ、嫌いじゃないです」
などと彼の返事が途切れがちに聞こえる。

その後、何か上ずったような声が混じる。
娘が
「暑い暑い」
と言っている。
「Tさん、なんかいつもと違う」
と笑っている。

夫はしょっぱなから核心を聞いたのであった。
もちろん

「何でも聞いていいかい?」
「何でも聞いてください」

というやり取りの後であったが。

私はと言うと、天ぷらに集中していて、殆ど何を話しているのか聞こえていないのであった。
ここでも私は遅れをとられている。なんでだ。
そして夫は

「血縁ではないから気楽」

などと言いながら、上ずった声で何か話している。

「はぁ・・・ 成り行きで」
「なんとなく・・・自然に」

そんなのが断片的に聞こえるだけで、聞き耳を立てているうちに、タラの芽の天ぷらが少し焦げたのが遺憾でならない。

私たち夫婦は、カップルよりも確実にテンパって壊れていたのは間違いない。

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